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執筆者の写真順大 古川

藤原道隆 「光る君へ」人物事典008

更新日:10月8日


【目次】


藤原道隆(ふじわらのみちたか):井浦新

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。



道長の長兄。兼家の嫡男。才色ともに優れており、上品さ、明るさをも兼ね備えた、申し分のない跡継ぎ。権力を弟たちではなく、息子に継がせようと試みる。


大酒飲みでだったと伝えられている。


父は藤原兼家で、母は時姫です。長男です。

同母兄弟姉妹は、道兼道長・超子・詮子(東三条院)です。

高階貴子との間に内大臣伊周・中納言隆家・中宮定子らの子がいます。


キャスト:井浦新(いうらあらた)

1974年生まれの俳優、ファッションモデル、ファッションデザイナーです。

大河ドラマでは、『平清盛』(崇徳上皇役)に出演しています。


解説:実際の藤原道隆

草稿:以下は『国史大辞典』

九五三 - 九五

平安時代中期の公卿。中関白、後入道関白。天暦七年(九五三)に生まれる。父は藤原兼家で長男。母は藤原中正女時姫で、道兼・道長・超子・詮子(東三条院)は同母の兄弟姉妹。子には守仁王女との間に権大納言道頼、高階成忠女貴子(高内侍)との間に内大臣伊周・中納言隆家・中宮定子らがいる。永観二年(九八四)従三位。寛和二年(九八六)六月の花山天皇の一条天皇への譲位以降、兼家の権力掌握に伴い、七月権中納言、正三位、権大納言、従二位、正二位、永祚元年(九八九)内大臣。正暦元年(九九〇)正月、女定子を一条天皇に入内させ二月女御とした。五月五日兼家が病気で摂政を辞して関白となり、ついで八日関白も辞すると、道隆が関白、十三日氏長者となり、二十六日摂政に替わった。十月定子は中宮となる。同四年関白。長徳元年(九九五)正月、次女原子(内御匣殿)を皇太子居貞親王(三条天皇)に入内させ、三月九日、前年末からの病気により、子の内大臣伊周に内覧の宣旨を受けて公事を行わせ、伊周に関白を譲ろうとしたが許されず、四月三日関白を辞して再度伊周の関白就任を奏請したが許されなかった。六日出家。長徳元年四月十日没。四十三歳。没後道兼が内大臣伊周をしりぞけて関白に就任した。大酒飲みであったと伝える。


年表

藤原道隆の略年表を示します。年齢は数え年です。


953年:1歳。誕生。

984年:32歳。従三位。

986年:34歳。(6月に花山天皇一条天皇に譲位させて、)

   7月に権中納言、正三位→権大納言、従二位、正二位

989年:37歳。内大臣。

990年:38歳。娘の定子を一条天皇に入内させて、2月に女御とした。

   父兼家が病気で摂政・関白を辞す→道隆が関白・氏長者となり、摂政に替わった。

   10月定子が中宮となる。

993年:41歳。関白となる。

995年:43歳。正月に、次女原子(内御匣殿)を皇太子居貞親王(三条天皇)に入内させる。

   3月9日、前年末からの病気により、子の内大臣伊周に内覧の宣旨を受けて公事を行わせ、伊周に関白を譲ろうとしたが許されず。

   4月3日、関白を辞して再度伊周の関白就任を奏請したが許されなかった。

   4月6日、出家。

   4月10日、没。四十三歳。(没後は、道兼が内大臣伊周をしりぞけて関白に就任)



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