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藤原兼家 「光る君へ」人物事典006

更新日:2023年12月25日




※β版(2023/12/16)。


藤原兼家(ふじわらのかねいえ):段田安則(だんたやすのり)

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。



道長の父。藤原氏の中でも、名門中の名門。権力を得て政治のトップに躍り出ようと画策する。いずれは天皇の外祖父となり、栄華を息子らに継がせようと作戦を練る。



父は藤原師輔で、母は武蔵守藤原経邦の娘の盛子です。

時姫と結婚して、道隆道兼道長・超子・詮子子らの子ができました。

娘の超子は居貞親王(三条天皇)を生み、詮子懐仁親王(一条天皇)を生みました。


私生活ではデリカシーのないヘラヘラ男で、浮気相手の寧子ちゃんをいつもイライラさせています。


年表

では、兼家の略年表を示します。年齢は数え年です。


929年:1歳。

948年:20歳。従五位下に叙位。

968年:40歳。従三位に昇進。兄兼通を追い越す。

    超子を冷泉天皇の女御とした。

969年:41歳。中納言に昇進。

972年:44歳。正月、権大納言。閏2月大納言。兄兼通に先んじる。「十月摂政太政大臣伊尹が病気のため辞表を提出すると、円融天皇の前で権中納言兼通と摂政の後継を争った(『済時記』」(『国史大辞典』)

 同年十一月に伊尹が没すると兄兼通に政務の実権を握られる。

977年:49歳。兄の兼通が頼忠に関白を譲ったとき、兼家は右近衛大将から治部卿に左遷され蟄居した。

978年:50歳。再び参内して、12月に頼忠が太政大臣となったときに右大臣となる。

   詮子円融天皇の女御とした。

984年:56歳。花山天皇践祚のときに、詮子の生んだ懐仁親王(一条天皇)を皇太子とした。

986年:58歳。花山天皇道兼道綱らの陰謀で出家させて、退位させた。

   皇太子懐仁親王を天皇に即けた(一条天皇)。

   摂政・氏長者となって政治の実権を掌握した。

   七月、詮子が皇太后となり、さらに居貞親王(三条天皇)が皇太子となった。

   右大臣を辞して、八月に准三宮となった。(道隆道兼道長も相ついで公卿となりった)

989年:61歳。12月、太政大臣となった。

990年:62歳。5月、関白となるが直ちに辞して出家し、関白を道隆に譲った。

       7月2日、没。


法名如実。

邸宅は東三条第、出家とともに法興院となった二条京極第。









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