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藤原道兼 「光る君へ」人物事典009

更新日:2023年12月12日




※α版(2023/12/05)。


藤原道兼(ふじわらのみちかね):玉置玲央(たまきれお)

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。



道長の次兄。兄の道隆にすべてがかなわず、父の愛情に飢えている。その苛立ちの矛先が道長に向くことも。紫式部(まひろ)との間には、ある因縁が。


関白になったけど、11日で死去したため「七日関白」と評された人です。没後に、弟の道長に内覧宣旨が下り、道長が実権を握ることとなりました。


藤原兼家の三男。母は藤原中正女時姫。同母の兄弟姉妹に、道隆・道長・超子・詮子(東三条院)がいます。一条院女御尊子は道兼の娘です。


年表

では、時姫の略年表を示します。年齢は数え年です。



961年:1歳。誕生。藤原兼家の三男。母は藤原中正女時姫。同母の兄弟姉妹に、道隆・道長・超子・詮子(東三条院)がいる。

984年:24歳。花山天皇の蔵人→10月、左少弁。

986年:26歳。兄の道綱と謀って、故弘徽殿女御藤原子への追悼の思いの深い花山天皇をダマして、6月23日、内裏から密かに花山天皇を脱出させて、元慶寺(花山寺)に移して剃髪させた。花山天皇が出家して退位したことにより、道兼の姉の詮子が生んだ皇太子懐仁(やすひと)親王が天皇に即き(一条天皇)、道兼の父の兼家が摂政となって、政治の実権を掌握した。

   7月、参議→10権中納言・従三位→11月正三位。

987年:27歳。従二位。

989年:29歳。権大納言、正二位。

991年:31歳。内大臣。

994年:34歳。右大臣。

995年:35歳。4月10日、関白道隆が出家して没→(兄道隆の子の内大臣伊周を退けて)27日、関白に、28日に氏長者となる。しかし、当時すでに病気で、11日後の5月8日に没。

   七日関白と評された。三十五歳。

   贈太政大臣・正一位。第宅は二条第。









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