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藤原詮子 「光る君へ」人物事典010

更新日:2月4日




※α版(2023/12/05)。


藤原詮子(ふじわらのあきこ):吉田羊(よしだよう)

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。



道長の姉。円融天皇に入内し、父の望みどおり皇子をもうける。その懐仁(やすひと)親王(のちの一条天皇)を溺愛、成人しても常に寄り添い、次第に宮廷での勢力を増していく。


一般的には「せんし」と呼ばれることが多いです。道長の姉です。円融天皇の女御です。父は太政大臣藤原兼家で、母は藤原中正の娘の贈正一位時姫です。

円融天皇の女御となったときには、すでに関白藤原頼忠の女遵子が女御にいましたが、天皇の心は詮子にあったといいます。

しかし、懐仁親王(後の一条天皇)を実家の東三条殿で産んだあとは、詮子は里帰りした東三条殿に残って懐仁親王を育てるので、円融天皇とは別居状態となります。

そのせいか、2年後には遵子が皇后となったため、詮子の父兼家は焦り、参内することもまれになりました。

982年の12月の懐仁親王着袴の日に詮子は参内しましたが3日で退出しました。このように、円融天皇と詮子・兼家親子との関係は安定していませんでした。

ただ、円融天皇は次の天皇(花山)が即位した後は、必ず詮子が産んだ皇子懐仁を東宮にすると兼家に約束して、譲位しました。

30歳にして出家して、日本史上初めて女院号(東三条院)を授けられました。「東三条院」の称号は、父兼家の邸である東三条第が詮子に伝領されたことによります。

藤原氏北家、特に九条家流の発展は詮子の力によるところが大きいです。

詮子が一条天皇を説得したから、道長は内覧になれました。



年表

では、藤原詮子の略年表を示します。年齢は数え年です。


962年:1歳。誕生。

978年:17歳。8月、円融天皇に入内→11月、女御。

981年:20歳。従四位下。

   6月、兼家邸、東三条第において懐仁(やすひと)親王(一条天皇)を生む。

982年:21歳。円融天皇が花山天皇に譲位。(懐仁親王は東宮になったの?→要調査

986年:25歳。正月、正三位

   6月、一条天皇践祚→7月、皇太后となる。

991年:30歳。2月、円融上皇崩御。

      9月、出家。太上天皇に準じて院号をさずけられ東三条院と称せられた。

1001年:40歳。閏12月22日、崩御(院別当藤原行成第にて)。四十歳。鳥辺野に葬送された。









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