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藤原定子 「光る君へ」人物事典025

更新日:2月4日




※α版(2023/12/04)。


藤原定子(ふじわらのさだこ):高畑充希(たかはたみつき)

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。



道隆の長女。一家の繁栄を願う父の思いを一身に負い、年下の一条天皇に入内する。清少納言らが集う、才気にあふれたサロンを作り上げ、一条天皇の最愛の妃(きさき)となるが、悲運に見舞われる。


母が学者の家系のインテリで、陽キャです。インテリ陽キャという無敵感あふれるキャラです。

陽キャサークルの女王でしたが、父道隆が死んで、そっこーで兄伊周が失脚・左遷してからの転落がド悲惨です。


一般には「ていし」と呼ぶことが多いです。関白藤原道隆と高階成忠女貴子の娘です。清少納言が仕えた人です。

立后の「当時、太皇太后・皇太后・先帝(円融)皇后がいずれも存命のため、定子は中宮と称し、これが皇后・中宮の称号を別個に用いる先例となる。」(『国史大辞典』)

太皇太后は昌子内親王で、皇太后は詮子で、皇后(元来、=中宮)は遵子。皇后がいるのに定子が中宮となるいことによって、皇后と中宮が分かれることとなりました。


年表

では、藤原定子の略年表を示します。年齢は数え年です。


976年:1歳。誕生。

990年:15歳。正月5日、一条天皇元服

      正月25日、定子入内

      2月11日、定子は女御となる

      5月4日、兼家が関白に

      5月8日、道隆が関白に

      5月26日、道隆が摂政に

      7月2日、兼家死去

      10月5日、定子は中宮

995年:20歳。4月10日、道隆死去

      4月27日、道兼を関白に

      5月5日、伊周の内覧停止

      5月8日、道兼死去

      5月11日、道長が内覧に→6月19日、道長が右大臣に

兄の伊周と叔父の道長の対立が深まる。

996年:21歳。3月、二条邸に退出(懐妊のため)。

      4月、兄の伊周左遷→左遷取りやめを訴えるために?検非違使が寝室を破壊したために?定子は落飾

      6月、妊娠中の居所二条北宮が焼亡する。母高階貴子も死去。

      12月、修子内親王を出産。予定日を大幅に過ぎたため、彰子の入内と重なる。

997年:22歳。6月、一条天皇の希望により再入内→世間の不評をかう

999年:24歳。第一皇子敦康親王を出産。

1000年:25歳。彰子が中宮となる→定子は皇后に(一帝二后並立の初例)

      12月、媄子内親王を出産→翌日死去









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