【目次】
12回:「思いの果て」(987~989年)ごろの斉信
13回「進むべき道」・14回「星落ちてなお」(990年)ごろの斉信
15回「おごれる者たち」(993年)ごろの斉信
22~26回:長徳年間(997・998年)ごろの斉信
27回「宿縁の命」(999年)ごろの斉信
28回「一帝二后」(1000年)ごろの斉信
30回「つながる言の葉」((1002~)1004年)ごろの斉信
藤原斉信(ふじわらのただのぶ):金田哲
まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。
道長、公任とともに青春時代を過ごす。道長の長兄・道隆のもとに仕えるも、道長が出世しはじめると、変わり身の早さを見せ、腹心として地位を築いていく。清少納言とも交流がある。
ききょうの元ダンナの上司で、ききょうにも言い寄ります。
「なりのぶ」と読まれることもあります。
太政大臣藤原為光の次男で、母は左少将藤原敦敏の娘です。
一条朝の四納言の一人と称された、優秀な人のようです。
ドラマの紹介で「変わり身の早さ」とありますが、はんにゃ金田の動きで変わり身してほしいところです。
雪のシーンが一番はんにゃっぽかったです。
キャスト紹介:金田哲(かなださとし)
1986年生まれのお笑い芸人です。ようは、はんにゃですね。吉本興業東京本社所属です。大河ドラマは初出演です。
1~3回:まひろ初期(977~983年)ごろの斉信
道長の1歳年下で、まだまだガキンチョです。ドラマでは、まひろの3歳年上です。
天元四年(981年)約14歳
叙爵されて大人社会デビューします。このくらいの年齢でのデビューが普通で、道隆とか道長の家系がおかしい(早すぎ)だけです。
4~11回:花山天皇期(984~986年)ごろの斉信
永観二年(984年)約17歳
侍従となります。
寛和二年(986年)約19歳
左少将となります。
12回:「思いの果て」(987~989年)ごろの斉信
13回「進むべき道」・14回「星落ちてなお」(990年)ごろの斉信
15回「おごれる者たち」(993年)ごろの斉信
16~18回「岐路」(994~995年)ごろの斉信
正暦五年(994年)約27歳
蔵人頭(一条天皇)となります。
19~21回:長徳の変(996年)ごろの斉信
長徳二年(996年)約29歳
参議となります。道隆家と道長家がおかしいだけで、十分以上な出世ペースです。
22~26回:長徳年間(997・998年)ごろの斉信
27回「宿縁の命」(999年)ごろの斉信
28回「一帝二后」(1000年)ごろの斉信
29回「母として」(1001年)ごろの斉信
長保三年(1001年)約34歳
従三位権中納言となります。
30回「つながる言の葉」((1002~)1004年)ごろの斉信
31回「月の下で」(1004年)ごろの斉信
長保六年/寛弘元年(1004年)
公任の位階を超えて従二位となります。そのせいで、公任が一年も働かなくなります。
ドラマでは、すねた公任を慰めに行きました。あれって、火に油を注ぐ結果にならないですかねえ。ロバート実資が来たおかけで助かってますよね。
寛弘二年(1005年)約歳
正月2日、隆家が、斉信の先駆の冠を笏で叩き落としやがります。なにすんねん!斉信は激怒して、正月5日に牛車ごと突っ込んできて隆家の牛車の榻をブチ折ります。
35回「目覚め」(1006年後半~1007年)ごろの斉信
寛弘三年(1006年)
6月27日、興福寺の定澄が道長に訴えにきた日に、斉信は一条天皇に「オレは検非違使の別当を辞めるぞー!」という辞表を叩きつけて受理されます。
ドラマで、7月13日に、検非違使を使って興福寺の大衆を内裏から追い払いますが、そのときの検非違使別当は、斉信の後任の藤原懐平です。
36話「待ち望まれた日」
寛弘五年(1008年)
10月16日、一条天皇と彰子の間に敦成親王が生まれた関係で、正二位となります。これで、道長と並んだことになります。
10月17日、敦平親王家の別当となります。
解説:実際の藤原斉信・その後の斉信
政務に堪能で、一条朝の四納言の一人と称されました。『江談抄』『古事談』『枕草子』などにも逸話がみえる有名人です。とくに『枕草子』が。
寛弘六年(1009年)
正二位権大納言となります。
寛仁四年(1010年)
大納言となります。
長和二年(1013年)約19歳
さらに、妍子は連日宴会を開いてパーティーピーポーしやがります。メイワク!
長元八年(1035年)約68歳
3月23日、突然死にました。『公卿補任』には「病無くして死す」とあります。
年表
では、藤原斉信の略年表を示します。年齢は数え年です。
967年:1歳。誕生。
981年:15歳。叙爵。
984年:18歳。侍従。
986年:20歳。左少将。
994年:28歳。蔵人頭(一条天皇)。
996年:30歳。従四位上、参議。
1001年:35歳。従三位、権中納言。
1009年:43歳。正二位、権大納言。
1020年:54歳。大納言。(この間、中宮大夫(彰子)・民部卿などを兼任)
1035年:69歳。死去。『公卿補任』によると、「病無くして死す」。
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