【目次】
藤原為時(ふじわらのためとき):岸谷五朗
まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。
ドラマでは非常にカタブツで世渡りベタ、、、というか、自分がしたり言ったりしたことで他人がどう思うのかがまったく分かっていない人物といった感じでしょうか。2話まで見たところ。
そういえば、行成は為時のことを「詩をつくる能力はあるけど、ビンボーなんだよな~」と評しています。
キャスト紹介:岸谷五朗(きしたにごろう)
1964年生の俳優で、ディスクジョッキーで演出家です。大河ドラマは「琉球の風」と「江」と「青天を衝け」に出演しています。
実際の藤原為時
かつては、以下に紹介する為時の漢詩に一条天皇が感動して、為時を越前守に任じたといわれていたのですが、近年の研究では宋の商人(大河ドラマでは朱仁聡)相手の交渉役として漢文に優れた為時が越前守に任じられたと考えられています。
そのあたりが、「光る君へ」でどう描かれるのかが楽しみです。
諸本で細部に違いがありますが、
『今昔物語集』にある、淡路守はイヤイヤよの漢詩は、
苦学寒夜
紅涙霑襟
除目後朝
蒼天在眼
苦学の寒夜、紅涙襟を霑ほす
除目の後朝、蒼天眼に在り
苦労してに学問に打ち込んでいた寒い冬の夜には、
血の涙が襟を濡らすほどの思いをしておりました。
(それなのに)除目の翌朝には(期待に反する任命を聞いたので)、
(むなしく空を見上げて、)美しい青空が目に映っている。(だからよけいにむなしい)
29回「母として」(1001年)ごろの為時
越前守のつとめを終えて、春に帰京します。このとき、宣孝と結婚したまひろを初めて見たはずです。
ドラマでは、帰京した為時が道長に仕えることを断って、まひろに怒られていましたが、実際、このあと為時は8年間も無職です。。。そりゃ、紫式部も公務員(宮仕え)せにゃいかんハメになるわ。
38回「まぶしき闇」(1009年前半)ごろの為時
寛弘六年(1009年)
3月4日、ようやく左少弁に任じられます。8年ぶりのお仕事です。なお、正五位です。
ドラマでは、賢子の鋭さにドギマギしていました。
寛弘七年(1010年)
正月2日、土御門殿での宴によばれますが、途中退出します。
ドラマでは、賢子の出生の秘密と関連付けられた演出でした。
その後の為時
寛弘八年(1011年)
2月1日、越後守に任じられます。
年表
では、藤原為時の略年表を示します。年齢は数え年です。
なお、『清少納言と紫式部』(丸山裕美子)は、984年に38歳としていたので、ここでは947年生まれと考えておきます。根拠は省略されていたので、わかりませんでした。
947年:1歳。誕生。
968年:22歳。播磨権少掾
970年?:27歳。まひろ(紫式部)誕生(ドラマでの設定)。
974年?:28歳。惟規誕生。
975年?:29歳。妻(ちやは)と死別。
977年:31歳。3月、東宮読書始めの儀で尚復(講師の補佐)を務める。なお、東宮とは師貞親王(花山天皇)のこと。
984年:38歳。10月、花山天皇即位。六位蔵人、式部丞。
12月、内御書所別当。
このとき、藤原宣孝(後にまひろと結婚する人)は蔵人の同僚。
985年:39歳。春、道兼邸での残花宴に歌を詠う。
10月、大嘗会御禊に宣孝らとともに奉仕。
986年:40歳。春、具平親王邸で宴。
3月1日、賀茂川原で祓いと詩歌。
なお、藤原宣孝(後にまひろと結婚する人)は、次の一条天皇の代にも蔵人に任じられた。
993年:47歳。正月、内宴に出席。
994年:48歳。紫式部の姉が死去か。
996年:50歳。任淡路守→(漢詩で一条天皇に訴える『今昔物語集』)越前守に
まひろは一年で帰京してと結婚する。
→また無職
1001年:55歳。春、越前から帰京。
10月、東三条院四十賀に屏風歌を奉る。
1003年:57歳。5月、道長邸法華三十講に詩を献じる。御堂七番歌合に出席。
夏、行成の世尊寺詩の次韻。
1006年:60歳。3月4日、東三条第花宴に出席して、詩を献ず。
1007年:61歳。4月23日、内裏の密宴の作文に出席。
1009年:63歳。正五位下。左少弁(兼蔵人)に復活
3月14日、宣旨を下す役。その手順が違例だと、行成に非難される。
7月7日、庚申作文序を作る。
12月7日、占卜のことで、なにか言われる。
12月23日、道長家の御読経行事に奉仕。
12月29日、僧綱補任について行成に問い合わせる。
1011年:65歳。越後守として現地に下る。
秋、同行した息子惟規が死去。
1014年:68歳。6月11日、越後守辞職→帰京
1016年:70歳。4月29日、出家(三井寺にて)(70歳(人物叢書))
1018年:72歳。藤原頼通邸の屏風の料に詩を献じた(最後の記事)
1029年:83歳。死去(『光る君へ〈紫式部とその時代〉』)
以下は『国史大辞典』より引用
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