鎌倉幕府を開いたのは、源頼朝です。
もう頭の中を「たわむれは終わりじゃ」とか「笑って頼朝」とかが駆けめぐっている人は、分かってる人です。
頼朝が若いころ、父の義朝が平治の乱で敗死しました。これによって、頼朝ボーイは謀反人の子として捕らえられて、死刑に処されることになりました。
ところが、平治の乱で勝利した側の平清盛の、義母の池禅尼が何を思ったのか、泣き叫んで頼朝ボーイの命を助けるように訴えました。頼朝ボーイが池禅尼の死んだ息子に似ていたからだといわれています。
こうして命を救われた頼朝ボーイは、伊豆の蛭ヶ小島に流されることになりました。頼朝ボーイ14歳のときのことでした。
伊豆で流罪生活を送っていた頼朝ですが、国家的犯罪人のくせに、20くらいのころに恋をしました。恋の相手は、豪族伊東祐親の娘の、八重(やえ)ちゃんです。
Love is always a hurricane!!
恋はいつもハリケーンなんだよ‼(byサンジ 第9巻)
ヤング頼朝は、八重パパが三年間の出張(京都での大番役)に出かけたスキに、八重ちゃんを口説いて、子どもまで作りました。
八重パパは出張から帰ってきてこのことを知って、激怒します。そりゃね。自分が遠方で社畜っているスキに、国家的犯罪人が娘を奪っていたら、そりゃあキレます。っていうか、感情論を排除したとしても、八重パパ的にもかなりヤバい状況です。もしも、娘と国家的犯罪人との仲を認めてしまったら、自分も謀反人扱いされる時代です。八重パパ的には、自分や一族の皆殺しもありえる状況なんです。
そこで、八重パパは、ヤング頼朝の子どもを殺して、八重ちゃんを別の男に嫁にやり、ヤング頼朝も殺そうとしました。
このとき、ヤング頼朝は全力でトンズラこいて、蛭ヶ小島に逃げ帰りました。
こうして、シャレにならないほど痛い目にあって大人になった頼朝(31歳)は、今度は政子ちゃん(21歳くらい)に恋をしました。あの、後の尼将軍、北条政子です。
What a ladies' man.
あの軟派ヤロー(byウソップ 第6巻)
例によって、頼朝メーンは、政子パパが出張(京都での大番役)に行っているスキを狙いました。そして、頼朝メーンと政子ちゃんは、アレでコレな仲になりました。
政子パパの北条時政は、出張から帰ってくるときにこれを知って、驚きました。実は、政子パパの北条時政は平家側の人間で、頼朝の監視役を命じられていたんです。例えるなら、自分が刑務所の所長だったとして、刑務所内の極悪犯罪人で死刑囚と娘がくっついているという事態です。時政的には、八重パパ以上にヤバい状況です。
政子パパは、伊東祐親と同じように、娘をとにかく他の男(山木兼隆)に嫁がせようとします。
ところが! なんと政子ちゃんは嫁ぎ先から脱出して、頼朝が待つ伊豆山権現の別当寺に逃げ込みました。伝えるところによると、嵐の夜道を約20キロメートルも一人で駆け抜けたといいます。駆け落ちです!!!
There's a saying in the eastern seas! "Love is always a hurricane!!"
東の海にはこんな諺があるという …”恋はいつでも‼ハリケーン‼!”(byニョン婆 第53巻)
頼朝メーンがさらいに行ったんじゃなくて、政子ちゃんが駆け抜けたというのがカッコいいですね。昔の日本史を見てて、そうそうお目にかかれる話ではないです。
あ…今回は「ハリケーン頼朝」というよりも、「ハリケーン政子」ですね。どちらかというと。
エピローグ
その後、14歳から34歳までを伊豆で流罪人として生きた頼朝は、治承四年(1180年)についに挙兵します。
挙兵した頼朝が最初に襲撃した相手は、政子ちゃんが嫁がされかけた山本兼隆でした。ハニーに逃げられた挙げく、相手の男に殺された山本くんに、のぶたは深く同情します。
源頼朝は、日本史バトルには2回登場しています。
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