受験生・学生の質問を受けつています。
質問フォームに質問を送れば、ブログで回答します(できる限り)。
以下の問いに答えられますか。
解答例はページの下の方で。
1. アヘン戦争後の幕府の対外政策を説明できる。
2. アメリカの対外政策の推移と、ペリー来航の目的を説明できる。
3. ペリー来航への幕府の対応を説明できる。
4. 日米修好通商条約の内容と、その不平等性を説明できる。
5. 開港場における貿易の特徴と、貿易の開始が日本の経済へおよぼした影響を説明できる。
6. 貿易に対する幕府の対応と、その影響を説明できる。
7. 将軍継嗣問題について説明できる。
8. 井伊直弼の政治について説明できる。
9. 桜田門外の変後の幕政について説明できる。
13. 幕末期の科学技術導入の思想的影響を説明できる。
【解答例】
2. アメリカは北太平洋を航海する対清貿易船や捕鯨船の寄港地を求めていた。カリフォルニア州をメキシコから奪って領土を太平洋岸まで拡大すると、清との貿易が盛んになり、太平洋対岸の寄港地の必要性が喫緊の課題となったため、日本を開国させたかった。
3. 老中首座阿部正弘は朝廷に報告し、諸大名や幕臣にも意見を求めた。このことは、朝廷の権威を高めて諸大名の発言権を強める結果となった。また、安政の改革を行った。一方、アメリカとは日米和親条約を結んだ。
4. 条約には、神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港と江戸・大坂の開市、通商は自由貿易とすること、開港場に居留地を設けて一般外国人の国内旅行を禁止することが定めてあった。不平等な点としては、領事裁判権を認めることと関税の自主権の欠如とがあった。
5. 貿易額は横浜が圧倒的に多く、イギリスとの取引が一番多かった。生糸や半製品が輸出され、毛織物・綿織物などの繊維工業製品や軍需品が輸入された。貿易は輸出超過となって物価が高騰した。
6. 幕府は五品江戸廻送令などで貿易統制をはかったが効果は上がらなかった。金貨の流出に対抗するための貨幣改鋳は物価上昇に拍車をかけ、庶民の生活は圧迫されて攘夷運動の一因となった。
7. 将軍継嗣問題では、老中を出して幕政を握り有力諸大名の進出を警戒している譜代大名を中心とする南紀派が、将軍と血統の近い幼年の徳川慶福をおし、有力大名と幕臣開明派が提携し幕政を一新しようとしていた一橋派は、賢明と言われた一橋家の徳川慶喜をおして、両派は対立した。結局、南紀派の井伊直弼が大老に就任して、通商条約に調印するとともに、慶福を将軍の跡継ぎに決定した。
9. 老中安藤信正は公武合体の政策をとったが、坂下門外の変で老中を退いた。幕府は薩摩藩の意向を入れて、松平慶永を政治総裁職に、徳川慶喜を将軍後見職に任命して、京都守護職に松平容保を任命した。また、西洋式軍制を採用して、参勤交代の制を緩和した。
10. 政治権力への不信感が高まり、時代の転換期のゆきづまった世相から救われたいという民衆の願いも強く、民衆の中に幕府の支配が崩れ去るのではないかという予感や「世直し」への漠然とした期待があったと考えられる。
11. あくまでも公武合体の立場をとる土佐藩は、倒幕派の機先を制して政権を返還すること将軍に勧め、将軍からいったん政権を返還することによって朝廷のもとに徳川主導の諸藩の連合政権を樹立しようとした慶喜は、大政奉還の上表を朝廷に提出した。
12. 倒幕派は天皇を中心とする政権を樹立するために、王政復古の大号令を発して、将軍・摂政・関白を廃止して、三職が主導する雄藩連合政権の成立を宣言した。そして、慶喜から内大臣の官職を剥奪して無位無官とし、新政府から完璧に排除するために小御所会議を開いて、慶喜に辞官納地を命じた。
13. 攘夷の考えが次第に改められて、むしろ欧米をみならって近代化を進めるべきだという声が強まった。
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