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なぜ戦時中に東京府は東京都へ改名したのですか?:東京都の歴史【歴史部日記】

更新日:7月9日

【目次】


歴史部のなかで、都庁が移転した理由なども聞かれていたので、まずは、東京府と東京都の庁舎の歴史も踏まえて年表をつくりました。



動画版はこちら



【年表】

1868年5月19日:武蔵県知事を置く

1868年7月17日:江戸を東京と改称して、旧町奉行を改編して東京府とした

1868年8月15日:幸橋(現千代田区内)の旧郡山藩邸に東京府庁を開庁

『東京都の歴史』より

1869年3月28日:天皇が再び東京に行幸して、東京にとどまる

1871年7月14日:廃藩置県⇢改めて東京府発足(11月14日)

1889年5月1日:東京市誕生。東京市長は東京府知事が兼任

『東京都の歴史』より

(このころから、近代国家の首都としての体面をきずくため、東京の近代都市化が進められた)

1894年7月:丸の内に東京府新庁舎落成。東京市庁舎も最初はこの中にあった

『東京都の歴史』より

1898年10月1日:東京市役所開庁。市制特例を脱し自治市となる(←これが現在の「都民の日」の由来)

1932年10月1日:いわゆる大東京市誕生(人口増加への対応)

『東京都の歴史』より

1943年7月1日:東京都発足。都長官は官選

1947年5月3日:日本国憲法と地方自治法施行にともない、都長官は都知事となる

1957年:千代田区丸の内三丁目に旧都庁舎完成

旧都庁舎


1991年3月9日:新宿二丁目に新都庁舎落成



【戦時中に東京府が東京都となった理由】

1932年に大東京市が成立して以降、東京都の一部として東京市があるとはいえ、東京都の人口の93%が東京市に住んでいるという状況でした。このような状況だと、実質的には二重行政のようになり、効率が悪くなります。一言でいうと、東京都と東京市はどっちか一つでいいじゃん、ってことです。

こうした理由があったので、大東京市が成立するよりも前の1890年代に最初に、そして1920年代に再び、東京市もしくは東京府を特別な行政区として、一つの「東京都」とする案が検討され始めました。

東京都をつくる件は1920年代から1930年代に入っても長々と検討されつつも、決定にはいたっていませんでした。

ところが、日中戦争が始まり、本格的に日本が戦時に突入していくと、東京も含む地方行政制度の改革が必要と考えられるようになりました。

そこで、太平洋戦争突入寸前に成立した東条英機内閣は、首都行政の一元化と行政効率化を目指して、太平洋戦争の真っ只中の1943年1月に「東京都制案」を帝国議会に提出しました。

こうして、1943年7月に東京府と東京市が統合されて、戦時体制の強化の一環として、効率的な行政機能を持った東京都が成立したのです。


【新宿の新庁舎に移転した理由】

これまで、ずっと元江戸城前の武家屋敷があった千代田区に庁舎が置かれてきました。

1970年代に入ると、千代田区に代わって、高層ビルが建ったり鉄道の乗車人数が全国一となったりして、新宿が「副都心」としての位置を確立していきました。

また、都心部にあった大学が西に移り、東京の西側が宅地化して人口が増加しました。こうした東京の西側の発展も、西からの交通の窓口としての新宿の価値を高めていきました。

ちょうどこのころ、東京都庁の再建の問題も立ち上がっていました。おそらく、57年の旧都庁舎では現代の東京の行政には対応できなくなっていたのだと思います。


最初は丸の内の旧庁舎を建て替える予定でしたが、「東京都の人口重心が西に移動するなかで立地条件として新宿の優位性が示され、都庁の新宿移転が決定された」(『東京都の歴史』)のです。


参考文献:竹内誠ほか『東京都の歴史』(山川出版社・1997年)


追記2024/07/08:庁舎の位置について詳しく

最初に東京府庁が置かれた郡山藩邸は、現在の千代田区内幸町1ー2にあたります。

(参考:東京都古文書館(資料解説―東京府庁の始まり (tokyo.lg.jp))、小粥祐子「『東京府行政文書』にみる初代東京府庁舎開庁と大名屋敷の転用過程」(東京都公文書館調査研究年報(2022年 第8号)(小粥祐子_『東京府行政文書』にみる初代東京府庁舎開庁と大名屋敷の転用過程_東京都公文書館調査研究年報_第8号 (tokyo.lg.jp)))

下の地図の「ココ」です。日比谷公園の斜向かいですね。



嘉永三年(1850年)の地図に「松平 時之助」とありますが、松平時之助とは、大和国郡山藩の第6代藩主(最後の藩主)で、版籍奉還のときは郡山藩の知藩事となった、柳沢保申(やなぎさわやすのぶ)のことです。

柳沢保申

「時之助」は「保申」の幼名で、柳沢家は戊辰戦争のころまでは一時期松平家を名乗っていました。

ちなみに、柳沢保申は柳沢養魚研究所を設立して、金魚の研究につとめました。今も大和郡山市は金魚の養殖がさかんなのですが、大和郡山市(金魚の歴史/大和郡山市 (yamatokoriyama.lg.jp))によると、享保年間に柳沢家が郡山に入ってくるときに、甲斐国から金魚を持ち込んだようです。


1894年、東京の近代都市化の流れのなかで、東京府庁舎は鍛冶橋内有楽町二丁目(現:東京都千代田区丸の内3-5-1)に新築のうえ、移転しました。(柳沢文庫:柳沢文庫 (mahoroba.ne.jp)



1943年に東京府と東京市を合わせて東京都が発足したため、これまでの東京府庁舎が東京都庁舎になりました。

この都庁舎はアジア・太平洋戦争中に破壊されたため、その後はしばらく仮の庁舎で業務を行っていました。

そして1957年、かつのて府庁舎の跡地である丸の内三丁目に、いわゆる旧都庁舎が建てられました。



1991年、新宿にある今の新都庁舎が落成しました。




参考文献:竹内誠ほか『東京都の歴史』(山川出版社・1997年)








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