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なんで国際連盟を脱退したの? リットン調査団の報告にもとづく国連勧告はかなり日本に妥協的なものだったのに。。。:満州事変【歴史部日記】

更新日:6月27日


「なんで国際連盟を脱退したの?」と、うえまつ先生から質問がありましたので、『満州事変から日中戦争へ: シリーズ 日本近現代史 5』(加藤陽子・岩波新書)『天皇の歴史8 昭和天皇と戦争の世紀』(加藤陽子・講談社学術文庫)で調べてみました。


1920年代を通じて、日本は満蒙における「特殊権益」を国際社会で認められるように、外交努力を重ねてきました。

平たく言えば、「日本は満蒙に近いので、英米などよりも満蒙の権益に優先的にあずかってもよいではないか」と認めさせようということです。


一方で、国際社会は、1923年に九カ国条約を結んだように、中国に抜け駆けして進出してはならないという流れでした。

また、国際社会では1928年に不戦条約を結んで、侵略戦争は禁止するという流れでした。


こうした状況を背景に、1931年(昭和六年)9月18日に、関東軍は自ら満州鉄道の線路を爆破する柳条湖事件を起こしました。この爆破事件を中国軍のしわざとして、関東軍は戦闘を開始して、満州全土を制圧するという満州事変が始まりました。


中国の訴えを受け、国際連盟理事会は、12月にリットン調査団を派遣して調査することを決議しました。

1932年の2月にリットン調査団が来日するなど、国連の調査が進む中、関東軍は満州人が自発的に建国したという建前で、3月に満州国を建てさせました。満州国は、実質的には日本の支配下にありました。

この段階では、日本の犬養毅内閣も満州国を承認しない立場でした。


リットン調査団

1932年5月の五・一五事件で犬養首相が暗殺されたことを受けて成立した斎藤誠内閣は、満鉄総裁で関東軍を支持していた内田康哉を外務大臣としました。つまり、満州国を承認する方向へと舵を切ったということです。


リットン報告書が公表される1932年(昭和七年)10月の直前の9月15日に、斎藤実内閣は日満議定書を結んで満州国を承認しました。

それにもかかわらず、リットン調査団は、満州事変は日本の自衛行動とは認められず満州国も認められないという満州に対する中国の主権を確認しつつも、日本の満蒙における「特殊権益」を一定程度認めるような報告書を公表しました。

さらに、リットン報告書は、満州事変を日本が中国に攻め込んだ侵略戦争とは認定せず、日本を不戦条約や九カ国条約や連盟規約違反とはしないものでした(「本紛争は一国が国際連盟規約の提供する調停の機会を予め利用し尽すことなくして他の一国に宣戦する事件に非ず。又一国の国境が隣接国の軍隊に依り侵略せられたるが如き簡単なる事件にも非ず」)。

つまり、日本に対して経済制裁を加えるような事件ではないというのが、リットン報告書の立場です。この立場は、今後の国際連盟にも受け継がれていきます。


ところが、関東軍は北京に近い熱河省にまで攻め込む熱河作戦を始めようとしました。


熱河省

このタイミングで熱河省への軍事行動を行うとなると、日本の新たな行動は、連盟規約12条〔紛争の平和的解決〕の「連盟理事会の報告後三月を経過するまで、いかなる場合においても、戦争に訴へざることを約す」に反すると、国際連盟から見られる恐れがでてきます。

この連盟規約12条に反すると、連盟規約16条〔制裁〕「第一二条、第一三条または第一五条による約束を無視して戦争に訴へたる連盟国は、当然他のすべての連盟国に対し戦争行為をなしたるものとみなす。他のすべての連盟国は、これに対しただちに一切の通商とまたは金融上の関係を断絶し、自国民と違約国国民との一切の交通を禁止し、かつ連盟国たると否とを問はず他のすべての国の国民と違約国国民との間の一切の金融上、通商上または個人的交通を防遏すべきことを約す。」

にもとづいて、経済制裁(一切の通商とまたは金融上の関係を断絶し、自国民と違約国国民との一切の交通を禁止)を受け、さらには除名(これも連盟規約16条「連盟より之を除名する旨を声明する」にある)される可能性すらでてきます。


そして、国内では天皇と内閣と軍部とであれこれあって、結局、1933年(昭和八年)の2月23日に熱河作戦は断行されることとなりました。熱河作戦では、わずか二個師団(2~3万人くらいだと思います※要確認・情報求む)の日本軍が31万人の中国軍を撃破しました。

この間の2月24日に、リットン報告書に準拠した国連勧告案が採択されました。つまり、この段階では経済制裁や除名は確定したものではありませんでした

この後も連盟との話し合いは続けられますが、妥結にはいたらず、3月27日に、日本は除名や経済制裁といった不名誉をこうむらないようにと、先回りするようなかたちで国際連盟に脱退通告を出しました。

熱河省が陥落したうえに国際連盟での解決が不可能となった情勢を見た中国は、5月31日に日本との間に塘沽停戦協定を結んで、満州事変は終わりました。


参考文献








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