豊臣兄弟 第16回「覚悟の比叡山」:登場人物を勉強してみた(2026/04/27配信まとめ)
- 順大 古川
- 4月27日
- 読了時間: 3分
宮部継潤
#豊臣兄弟 第16回(1571年(元亀二年)):宮部継潤は今
36歳?(1536年生?)
この年の9月12日に延暦寺焼き討ちがあり、翌10月に信長方につきます。ドラマでは、焼き討ち後の論功行賞のときにお目見えしましたね。
そして、国友村を攻めて、この後も宮部の砦を守り続けます。『戦国時代人物事典』に三千石を領したとあるんですが、宮部村あたりで三千石もあるの??
近江国浅井郡宮部の人。善勝祥坊と号し、後に中務卿法印になります。父は、坂田郡醒ヶ井居住の刑部少輔真俊。元は山法師(延暦寺の僧侶)とも言われているらしい。そして、宮部清潤の跡を継いで、浅井家に仕えた。
宮部村は、姉川の戦いの古戦場よりも少し下流のほうの右岸にあったようです。
浅井に仕えていたころは、宮部の砦を守っていました。
☆参考文献:
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4jSdRG3)
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
阿部孟・西村圭子編『戦国人名辞典』(新人物往来社)(https://amzn.to/4jSdRG3)
吉川弘文館『戦国武将合戦事典』(https://amzn.to/45eYv8O)
万丸(よろずまる・のちの豊臣秀次)
#豊臣兄弟 第16回(1571年(元亀二年)):豊臣秀次は今
4歳(1568年生?)
父は弥助(のちの三好吉房)で、母はとも(秀吉姉(瑞龍院殿))。辞書では、賤ケ岳の戦いから記述がありそうです。
☆参考文献:
阿部孟・西村圭子編『戦国人名辞典』(新人物往来社)(https://amzn.to/4jSdRG3)
三好吉房
#豊臣兄弟 第16回(1571年(元亀二年)):豊臣秀次は今
4歳(1568年生?)
木下弥助とも呼ばれていたという。とも(秀吉姉(瑞龍院殿))との間に、秀次(万丸)・秀勝(小吉秀勝)・秀保が生まれます。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
阿部孟・西村圭子編『戦国人名辞典』(新人物往来社)(https://amzn.to/4jSdRG3)
森可成(もりよしなり)
#豊臣兄弟 第16回(1571年(元亀二年)):森可成は今
前年に死去。享年48歳(1523年生)
金ケ崎の退き口のあとに、宇佐山城を預けられます。

ドラマのように、浅井・朝倉軍に攻められます。
元亀元年(1570年)9月16日、城を出て敵を撃退。
9月20日、再度の攻撃を受け、討死。このとき、信長の弟の信治なども討死。なお、宇佐山城は浅井・朝倉軍には奪われなかった。
美濃出身で、子に長可・成利(蘭丸)がいる。娘の一人は、木下勝俊に嫁ぐ。
☆参考文献:
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4jSdRG3)
徳川家康
#豊臣兄弟 第16回「覚悟の比叡山」(1571年(元亀二年))
徳川家康は今?:30歳(1542年生)
4月に、武田信玄の吉田城を攻略しています。(三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町、豊橋公園内)???Wikiですが、この城は、この時期は家康側についているようですが???・人物叢書にも記事なし?)8月26日に、観世宗節・元尚が、浜松の家康のもとで演能し、家康も舞う。これは、家康の能興行の最初の事例。このころ、家康は上杉輝虎に近づきます。
☆参考文献:
笠谷和比古『徳川家康―われ一人腹を切りて、万民を助くべし―』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4pJGJSk)
藤井讓治『徳川家康 時々を生き抜いた男』(山川出版社)(https://amzn.to/4c9d4yU)
藤井讓治『徳川家康』(人物叢書・吉川弘文館)(https://amzn.to/4mBStGy)


コメント