豊臣兄弟 第17回「小谷落城」:登場人物を勉強してみた()
- 順大 古川
- 3 日前
- 読了時間: 2分
本多忠勝
#豊臣兄弟 第17回「小谷落城」(1572年(元亀三年):本多忠勝は今
25歳(天文十七(1548)年生)
すでに一軍の将(一手役の将)となっています。
三方ヶ原の戦いの前哨戦である一言坂の戦いで、「蜻蛉切(とんぼぎり)」という名槍を振り回して、武田軍の追撃を阻止して家康を救いました。
ドラマでは、ちらっと登場でしたね。
☆参考文献:
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朝倉景健
#豊臣兄弟 第17回「小谷落城」(1573年(元亀四年/天正元年)):朝倉景健は今
?歳(?年生)
朝倉家滅亡のときも生きながらえます。
朝倉義景が滅亡した後は、織田信長に属して安居(あご)城を与えられます。
今後はドラマに登場しないと思うので、ここで最後まで紹介しておきます。
景健は、一向一揆を殲滅した信長が天正3(1575)年8月に越前に攻め込んだときに、信長に反旗を翻して、鳳尾(あげお)の砦に立て籠もります。しかし、8月21日には殺されます。
☆参考文献:
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朝倉景鏡
#豊臣兄弟 第17回「小谷落城」(1573年(元亀四年/天正元年)):朝倉景鏡は今
?歳(?年生)。8月、信長に一乗谷まで攻め込まれたときは、ボロ負け中の義景を大野まで導きました。しかし、義景を囲んで自刃させます。朝倉家滅亡後は、織田信長に臣従して信鏡と改名します。その後も大野郡を支配することを許され、居城の土橋を名字として、土橋信鏡(つちはしのぶあきら)と称します。天正2(1574)年、一揆に攻められて平泉寺に逃げ込みます。結局、4月15日に村岡山で討死しました。朝倉家のNo.2でありながら、織田に寝返った変節ぶりは「日のもとに かくれぬ其名あらためて 果は大野の土橋となる」と詠われました。ドラマでは、義景への忠義の糸がぷっつりと切れた瞬間が演じられていましたね。
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