豊臣兄弟ガイド 第21回「風雲!竹田城」(5/31・6/1配信まとめ)
- 順大 古川
- 6 日前
- 読了時間: 11分
小寺(黒田)官兵衛
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):黒田官兵衛は今?
(32歳(天文15(1546)年生)
・天正4(1576)年9月29日、嫡子の松寿丸(長政)を安土城に連れて行って、信長に人質として差し出しました。
ドラマだと、翌年に秀吉が姫路城に来たときに、差し出すことを決めました。
・天正5(1577)年10月23日、秀吉を姫路城に迎え入れて、姫路城を秀吉に提供します。
ドラマだと、荒木村重が仲介していました。
・11月26日、秀吉のもとで、福原城(佐用城)を攻めます。
ドラマであった、敵への囲いの一箇所を開ける話は、『黒田家譜』にあります。
・11月29日、秀吉のもとで、上月城を攻めます。
ドラマの最後のシーンに、官兵衛はどのようにからんでいたのでしょうか。
☆参考文献:小和田哲男『黒田如水』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/43EXDc8)
別所長治
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):別所長治は今?
(23歳?(弘治元(1555)年生?)
三木城の主です。
・天正3(1575)年7月1日、上洛します。相国寺に信長を訪問して、謁見しています。
・10月20日、上洛して信長に挨拶をしています。
・天正4(1576)年11月12日、、上洛して信長に挨拶をしています。
・天正5(1577)年1月14日、上洛して信長に挨拶をしています。
このときまでに、かなり信長に寄っていますね。
・2月、秀吉たちの雑賀攻めに、叔父の重棟を派遣します。
・10月23日、秀吉が姫路城に入ります。ドラマだと、この数日後に叔父を派遣してきましたね。
☆参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
別所賀相(よしちか)
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):別所賀相は今?
(?歳)
重棟の兄と言われます。
ドラマのころの動向は分かりませんでした。
☆参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
別所重棟
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):別所重棟は今?
(?歳)
長治の叔父です。賀相の弟と言われています。
実際は、永禄12~13年ごろには、すでに信長に従っています。ドラマに登場する10年ぐらい前からですね。
・天正3(1575)年7月1日、長治にしたがって上洛します。相国寺に信長を訪問して、謁見しています。
・天正4(1576)年11月12日、長治にしたがって上洛して、信長に挨拶をしています。
・天正5(1577)年2月、秀吉たちの雑賀攻めに、重棟も参加します。
・10月23日、秀吉が姫路城に入ってきます。
・秀吉の仲介によって、重棟の娘と官兵衛の嫡男の松寿丸(長政)の婚約が整えられます。
・12月10日付の秀吉書状が送られます。
☆参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
高山右近
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):高山右近は今?
(25歳(天文22(1553)年生))
・天正4(1576)年、高槻城主になります。
ドラマのころの動向は分かりません。隠居したお父さんはまだ生きていて、宣教師に信頼されていたそうです。
☆参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
中川清秀
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):中山清秀は今?
(36歳(天文11(1542)年生))
・天正元(1573)年4月2日、柴田勝家の指揮下で、洛外に放火します。
・天正2(1574)年4月、河内に派遣されて、遊佐信教を討ちます。
11月、荒木村重が摂津一職支配をまかされたので、その麾下に入ります。
・天正5(1577)年、ドラマのころの動向は分かりません。4万400石を知行していたそうです。
☆参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
足利義昭
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):足利義昭は今?
(41歳(天文6(1537)年生)
・1576年2月、備後国鞆に入ります。
1577年の動きはよく分かりませんでした。
参考文献:山田康弘『足利義輝・義昭』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4a91kue)
明智光秀
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):明智光秀は今?
(50歳(享禄元(1528)年生(ミネルヴァ))
・1577年10月10日、松永久秀が滅びます。光秀も従軍していました。
・10月16日、丹波に出陣します。亀山城を攻めます。
・10月29日、細川藤孝らとらと丹波籾井城を攻めます。
参考文献:小和田哲男『明智光秀・秀満』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4v28ad1)
高柳光寿『明智光秀』(吉川弘文館)(https://amzn.to/3RI7gEa)
丹羽長秀
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):丹羽長秀は今?
(43歳(天文4(1535)年生)
・1577年10月3日、松永久秀の信貴山城攻めを命じられて、大和に出陣します。ドラマだと、いましたっけ?なんか、安土城普請をがんばっていたような。
・10月10日、羽柴秀吉とともに、城攻めに加わります。
しばらく、天正9年まで本に記事がないです。
参考文献:柴裕之『戦国武将列伝別巻1織田編』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4u8MyMi)
細川藤孝
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):細川藤孝は今?
(44歳(天文3(1534)年生)
・1577年2月、雑賀攻めに従軍します。22日に数十人の敵を討ち取って、信長から感状をもらいます。
3月、鈴木重秀の居城の攻撃に参加します。
10月1日、松永久秀攻めで片岡城攻めに功績があります。信長より感状をもらいます。
10月10日、信貴山城攻めに加わります。ドラマでは、軍議の席にいました。
10月29日、明智光秀らと丹波籾井城を攻めます。
☆参考文献:
『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
織田信忠
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):織田信忠は今?
(21歳(弘治3(1557)年生)
・1577年1月5日、従四位下になります。
2月、雑賀攻めに従軍します。信忠は連枝衆を率いて、28日に中野城を落とします。
3月、鈴木重秀を降伏させます。
9月27日、松永攻めの総大将として出陣します。
10月3日、信貴山城を包囲します。
ドラマでは全然出てなかった記憶ですが、ここにいたんですね。
10月15日、従三位左中将となります。
12月28日、安土の信長のもとに行って歳末を賀し、秘蔵の名物をもらう。安土で年を越します。
参考文献:
『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
柴裕之『戦国武将列伝別巻1織田編』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4u8MyMi)
池上裕子『織田信長(人物叢書)』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4dP8FBp)
織田信孝
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):織田信孝は今?
(20歳(永禄元(1558)年生)
・1577年2月、紀州雑賀攻めに参加します。
・1577年11月、従五位下侍従となります。
参考文献:柴裕之『戦国武将列伝別巻1織田編』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4u8MyMi)
織田信澄
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):織田信澄は今?
(20歳(永禄元(1558)年生)
近江高島郡の支配を任された磯野員昌の養子にされたようです。
参考文献:柴裕之『戦国武将列伝別巻1織田編』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4u8MyMi)
上杉謙信
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):上杉謙信は今?
(48歳(享禄3(1530)年生)
9月23日、夜戦で織田勢に勝利して、千人以上を討ち取ります。このときまでに、秀吉が陣を離れたわけです。
9月26日、七尾城の普請を始めます。
10月25日、能登国の各城に制札を掲げます。
12月、能登国の畠山義隆の妻と子供を連れて、春日山城に帰還します。
参考文献:矢田俊文『上杉謙信』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/42FRhsK)
与一郎
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):与一郎は今?
(?歳?年生)
史実ベースでは秀長の実子(慈雲院(慶)との間の子)です(『羽柴秀吉とその一族』)。まだ子供なので、動向は分かっていません。
参考文献:黒田基樹『羽柴秀吉とその一族』(角川選書)(https://amzn.to/4wA9Qfn)
豪姫
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):豪姫は今?
(4歳(天文2(1574)年生)
さすがに、まだ正確な動向は分からないようです。
参考文献:岩沢愿彦『前田利家(人物叢書)』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4dOONOT)
藤堂高虎
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):藤堂高虎は今
(22歳(弘治2(1556)年生)
このころの動向は分かっていません。秀吉の戦いに従軍したり、秀長のもとでがんばっていたと考えるべきでしょう。
ドラマでは、竹田城の普請を担当していました。
☆参考文献:
諏訪勝則『図説 藤堂高虎』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4dAxyRd)
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
『戦国人名辞典』(新人物往来社)( https://amzn.to/4tUBSRa)
吉川弘文館『戦国武将合戦事典』(https://amzn.to/45eYv8O)
石田三成
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):石田三成は今
18歳(永禄3(1560)年生)
ドラマのように、秀吉の長浜城時代に出仕します。
史料に初登場するのは天正11(1583)年なので、正確な出仕年代は不明です。
このころの動向はわかりません。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
平野長泰
#豊臣兄弟 20回「本物の平蜘蛛」(1577年(天正五年):平野長泰は今
19歳(永禄2(1559)年生)
ドラマでは、このタイミングで秀吉に出仕しますが、『戦国人名辞典』によると、実際の出仕は天正7(1579)年のようです。
☆参考文献:
『戦国人名辞典』(新人物往来社)( https://amzn.to/4tUBSRa)
片桐且元
#豊臣兄弟 20回「本物の平蜘蛛」(1577年(天正五年):片桐且元は今?
(22歳(弘治2(1556)年生)
ドラマのように、秀吉の長浜城時代に出仕します。
辞書で言及されているのは、賤ケ岳の戦いからなので、正確な出仕年代は不明です。後日、ほかの本なども調べてみたいです。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
加藤清正
#豊臣兄弟 20回「本物の平蜘蛛」(1577年(天正五年):加藤清正は今?
(16歳(永禄5(1562)年生)
すでに小姓として、秀吉に仕えています。
天正元(1573)年ごろには、長浜のあたりに170石を与えられていました。
ドラマで、血判のときに、高虎にドーンってされてたのは、清正と正則ですかねえ。よく見えなかったです。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
福島正則
#豊臣兄弟 20回「本物の平蜘蛛」(1577年(天正五年):福島正則は今?
(17歳(永禄4(1561)年生)
幼少のころより、秀吉に仕えていたとありますので、ドラマの時点でも秀吉に近侍していたと思います。
ドラマで、血判のときに、高虎にドーンってされてたのは、清正と正則ですかねえ。よく見えなかったです。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
筒井順慶
#豊臣兄弟 20回「本物の平蜘蛛」(1577年(天正五年):筒井順慶は今?
(29歳(天文18(1549)年生)
松永久秀と大和国で争っていたのですが、松永久秀が信長に反乱したので、順慶が大和一国をまかされます。ただし、明智光秀の配下という扱いです。
・10月1日、信長に反旗を翻した松永久秀親子討伐に向かう。細川藤孝・明智光秀らとともに、片岡城を攻め落とす。久秀の子の久通も自害に追い込む。
・10月10日、織田信忠、佐久間信盛、羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀(金松誠による)が信貴山城へ攻め込む。松永久秀自害。ドラマだと、も・ち・ろ・ん爆死!
・10月20日、信長の命で、石山本願寺攻めの付城である森河内城に勤めます。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
金松誠『筒井順慶』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4tTdT40)
荒木村重
#豊臣兄弟 20回「本物の平蜘蛛」(1577年(天正五年):荒木村重は今?
(42歳(天文5(1536)年生)
・1577年2月、紀伊国雑賀攻めに参加します。秀吉が対中国方面の司令官となり、村重は秀吉の援軍として播磨国の上月城へと出陣します。
ドラマでは、松永久秀攻めに参加していましたが、手元の本では分かりませんでした。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
池上裕子『織田信長(人物叢書)』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4dP8FBp)
豊臣秀長
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):豊臣秀長は今?
(37歳(天文10(1541)年生)
・天正5(1577)年10月28日ごろ、秀吉が播磨攻めの途中に、竹田城を攻略します。
ドラマでは、秀長が竹田城を攻略しました。
その後、秀長は播磨城の普請を命じられ、播磨城代となります(『信長公記』)。
ドラマでは、藤堂高虎が普請をがんばっていましたね。
☆参考文献:河内将芳『図説 豊臣秀長』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4eAfDv7)
豊臣秀吉
#豊臣兄弟 21回「風雲!竹田城」(1577年(天正五年):豊臣秀吉は今?
(41歳(天文6(1537)年生)
・10月23日、播磨攻略で姫路城に入ります。久秀の滅亡から13日しか経っていません。。。働かされすぎ。ドラマだと、このときに荒木村重の仲立ちで官兵衛を知るのですが、実際には、久秀の滅亡以前から秀吉と官兵衛は書状のやり取りをしていました。
・10月28日ごろ、但馬攻略も始めます。ドラマだと秀長が総大将となりましたが、『信長公記』だと秀吉も行っています。信長の家臣はスピード感と移動範囲がおかしい。
・11月27日、播磨国福原城を落とします。
・11月28日、上月城を包囲します。
・12月3日、上月城を攻略します。ドラマの最後のシーンのやつですね。
ドラマの最後の皆殺しの話は、「下村文書」にあります。なお、『黒田家譜』では、降参した人をみんな助けたという、真逆のことが書いてあります。
・12月5日、播磨国龍野城に戻ります。龍野城は姫路城の西にあります。
・12月10日、この日までに、安土城に戻っています。
☆参考文献:
藤井譲治『豊臣秀吉』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4dlVeaT)
柴裕之『図説 豊臣秀吉』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4uhsUgT)
慶(慈雲院)
#豊臣兄弟 20回「本物の平蜘蛛」(1577年(天正五年):慶(慈雲院)は今?
(?歳寧々ぐらいの年齢?(?年生)
・天正14(1586)年、『多聞院日記』にて、歴史に初登場します。
なので、このころの動向は不明です。
『羽柴秀吉とその一族』によると、秀長の最初の嫡男の与一郎(1568年ごろ生まれ)が慈雲院の実子だと推定されるそうです。
ドラマでは、慶の子ではあっても、秀長の実子ではないという話になりましたね。てか、ドラマの与一郎くんって、やたらとキムタクに似てませんか?
☆参考文献:黒田基樹『羽柴秀吉とその一族』(角川選書)(https://amzn.to/48Oxt9Z)
本多忠勝
#豊臣兄弟 20回「本物の平蜘蛛」(1577年(天正五年):本多忠勝は今
30歳(天文十七(1548)年生)
長篠の戦いのあと、まだ調べがついていません。
→参考文献では、分かりませんでした。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
『戦国人名辞典』(新人物往来社)( https://amzn.to/4tUBSRa)
吉川弘文館『戦国武将合戦事典』(https://amzn.to/45eYv8O)
菊地浩之『徳川十六将』(角川新書)(https://amzn.to/49jihSz)
宮本義己『<徳川家康と戦国時代>知られざる異能 軍師・本多忠勝』 (歴史群像)(https://amzn.to/4tRHSJG)


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