豊臣兄弟登場人物動向チェック 第27回「本能寺の変」(~天正十年六月二日)
- 順大 古川
- 7月18日
- 読了時間: 11分
織田信長は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇49歳
2月1日、木曾義昌が武田信玄に背いて、信長方に寝返ります。
2月3日、信忠が先陣を信濃国に派遣します。
2月9日、諸将の配置を定めます。
2月12日、信忠が出陣します。
3月2日、信忠が高遠城を落とします。
3月5日、信長が出陣します。
3月11日、勝頼父子が自刃して、武田氏が滅亡します。
3月29日、武田旧領の知行割をおこないます。
3月、甲斐・信濃の国掟13条を定めます。
4月21日、安土城に帰還します。
5月3日、三職推任の勅使がやってきます。
5月6日、勅使と面会します。
5月7日、信孝に四国出兵を命じます。
5月15日、徳川家康と穴山梅雪が、御礼言主のために安土に来ます。
5月29日、上洛して、本能寺に入ります。
6月2日、明智光秀に攻められて、自刃します(本能寺の変)。信忠も二条御所で自刃します。
6月4日、羽柴秀吉が本能寺の変を知ります。
6月13日、羽柴秀吉が明智光秀を破ります(山﨑の戦い)。
6月27日、清須会議で三法師(秀信)が織田家家督を嗣ぎます。
佐久間信盛は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正9(1581)年◇?歳
7月24日、十津川で没します。
林秀貞は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正8(1580)年◇?歳
8月、突然遠国に追放されます。理由は『信長公記』によると、24年前に信勝を擁立しようとした罪によると伝えられますが、学界ではあまり信用されていません。追放後は、「南部但馬(勝利)」と改名して京都に住みます。
8月25日、佐久間信盛父子が高野山に追放されます。
10月15日、没したと伝えられます。
安藤守就は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇
6月、本能寺の変に乗じて、旧城北方に拠ります。
稲葉良通(一鉄)は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇68歳
清水城にいたようです。
森乱(森成利)は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇18歳
正月26日、信長の使者として岐阜に行きます。
2月8日、信長の使者として斎藤六大夫を報奨します。
3月20日、信長の使者として小笠原信嶺のち行を安堵します。
3月23日、兼和から贈物をもらいます。
5月19日、信長の使者として幸若大夫を褒賞します。
5月27日、京にいる信忠の書状を信長に取り次ぎます。
5月29日、信長の上洛に随従します。
6月2日、本能寺の変のときに討死にします。
☆参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
徳川家康は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇41歳
3月、武田氏が滅びます。
5月15日、信長より、武攻め恩賞として駿河国を拝領します。安土城に参上します。
5月29日、信長の家臣の長谷川秀一の案内で堺に旅行します。松井友閑らの歓待を受けます。
6月1日、今井宗久の朝会と、昼には津田宗及の茶会と、夜には幸若舞が舞われる酒宴にも出席します。
6月2日、本能寺の変が起こります。
参考文献:笠谷和比古『徳川家康』(ミネルヴァ書房)
長宗我部元親は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇44歳
正月、織田信長に讃岐国と阿波国の引き渡しを要求されますが、断ります。
5月21日、信長に阿波国の諸城を引き渡すことを伝えます。
6月2日、本能寺の変が起こります。
毛利輝元は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇30歳
2月、八浜合戦で宇喜多勢を破ります。
4月、来島水軍が毛利氏を裏切ります。
6月2日、本能寺の変のときは、備中高松城が水攻めにあっています。
☆参考文献:光成準治『毛利輝元』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4uFfzyz)
宇喜多直家は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇54歳
正月、病死します。
☆参考文献:渡邊大門『宇喜多直家・秀家』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4uybSKQ)
小早川隆景は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇50歳
2月、八浜合戦で宇喜多勢を破ります。
4月、来島水軍が毛利氏を裏切ります。
6月2日、本能寺の変のときは、備中高松城が水攻めにあっています。
☆参考文献:光成準治『小早川隆景・秀秋』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4e55AgU)
吉川元春は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年53歳
6月、水攻めされている備中高松城を救援しようとしますが、なすすべがありません。
☆参考文献:
『戦国人名辞典』(新人物往来社)( https://amzn.to/4tUBSRa)
『戦国武将合戦事典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/45eYv8O)
安国寺恵瓊は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇?歳
備中高松城の降伏交渉に関わっています。
☆参考文献:
河合正治『安国寺恵瓊』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4emcHAe)
黒田官兵衛は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇37歳
3月15日、秀吉に従って、備中に出陣します。
4月14日、宮路山城を攻めます。
4月25日、冠山城を攻めます。長政を初陣させました。
6月2日、本能寺の変が起こります。
☆参考文献:小和田哲男『黒田如水』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/43EXDc8)
Qg)
別所重棟は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇歳
天正13年まで、動向が分かりませんでした。
☆参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
高山右近は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇30歳
2月、武田攻めに従って、上諏訪に陣を置きます。
6月2日、明智光秀の下で高松に向かって進軍しているときに、本能寺の変が起こります。知らせを聞いた右近は、まっさきに高槻城に帰ります。
☆参考文献:
中西裕樹『戦国摂津の下剋上 高山右近と中川清秀』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4vutvwC)
『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
海老沢有道『高山右近』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4eVj3rR)
中川清秀は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇41歳
2月、武田攻めに従ます。
6月2日、明智光秀の下で高松に向かって進軍しているときに、本能寺の変が起こります。
☆参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
足利義昭は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇46歳
毛利氏の庇護のもとにいます。
参考文献:山田康弘『足利義輝・義昭』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4a91kue)
明智光秀は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇55?歳
3月5日、信長に従って、甲斐国に出陣します。
5月15日、信長から家康の饗応役を命じられます。
5月17日、中国出陣を命じられたので、安土から坂本城に帰ります。
5月26日、坂本城を出立して、丹波国亀山城に入ります。
5月27日、愛宕山に参詣します。
5月28日、愛宕山で連歌会を開きます。
6月2日、本能寺の信長を襲撃して、信長・信忠父子を滅ぼします。
参考文献:小和田哲男『明智光秀・秀満』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4v28ad1)
高柳光寿『明智光秀』(吉川弘文館)(https://amzn.to/3RI7gEa)
丹羽長秀は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇48歳
3月、武田攻めに従うも、なんかする前に武田が滅びちゃいました。
4月3日、休暇をもらって草津に湯治に出かけます。
4月21日、佐和山で、甲斐より帰陣した信長をもてなします。
5月、信孝についての四国出陣を命じられます。
5月21日、大坂に向かいます。
6月2日、堺にいました。本能寺の変の報が届くと、兵の大半が逃亡します。
参考文献:柴裕之『戦国武将列伝別巻1織田編』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4u8MyMi)
『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
細川藤孝は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇49歳
2月9日、武田攻めに忠興を出し、藤孝は留守を守るようにと命じられます。
4月24日、中国出陣の用意をするように命じられます。
5月?、上洛します。
5月14日、徳川家康の接待に加わるため、安土に行きます。
6月2日、本能寺の変のときは丹後宮津にいました。
6月3日、本能寺の変の報が届きます。
☆参考文献:
『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
織田信忠は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇26歳
正月15日、爆竹に連枝衆の筆頭として参加します。
2月1日、木曾義昌が信忠に降ってきます。
2月3日、先陣として森長可らを出発させます。
2月12日、出陣します。
2月16日、今福昌和を破ります。
2月17日、大島城を攻略します。
3月1日、高遠城を包囲します。
3月2日、高遠城を攻略します。
3月7日、甲府に入ります。
3月11日、武田を滅ぼします。
3月26日、信長より褒賞されます。
5月14日、安土に帰還します。
5月21日、家康を案内して京都に入ります。信忠は妙覚寺に入ります。
5月29日、信長が上洛してきて、本能寺に入ります。
6月1日、夜に本能寺を訪問します。
6月2日未明、明智光秀が本能寺を囲みます。
この続きは、第28回でやるかもしれないので、今回はここまでです。
参考文献:
『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
柴裕之『戦国武将列伝別巻1織田編』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4u8MyMi)
池上裕子『織田信長(人物叢書)』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4dP8FBp)
織田信雄は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇25歳
元旦、安土に出仕します。
正月15日、爆竹に参加します。
3月、信長に従って武田攻めに行きます。
6月2日、本能寺の変のときは、伊勢松島の居城にいました。
参考文献:『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
織田信孝は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇25歳
5月7日、讃岐一国を与えられます。
5月25日、安土で信長に謁見し、翌日か翌々日に出陣します。
住吉に着陣します。
6月2日、堺にいました。本能寺の変の報が届くと、兵の大半が逃亡します。
参考文献:柴裕之『戦国武将列伝別巻1織田編』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4u8MyMi)
『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
織田信澄は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇25歳
3月、信長に従って武田攻めに向かいます。
5月、信孝の副将として住吉に着陣します。
6月2日、徳川家康の接待を命じられたので、本能寺の変のときは大坂に戻っていました。
参考文献:柴裕之『戦国武将列伝別巻1織田編』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4u8MyMi)
『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
与一郎は今?
#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)
◇天正8(1580)年◇歳
◇天正9(1581)年◇?歳
史実ベースでは秀長の実子(慈雲院(慶)との間の子)です(『羽柴秀吉とその一族』)。まだ子供なので、動向は分かっていません。
参考文献:黒田基樹『羽柴秀吉とその一族』(角川選書)(https://amzn.to/4wA9Qfn)
豪姫は今?
#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)
◇天正8(1580)年◇歳
◇天正9(1581)年◇8歳
さすがに、まだ正確な動向は分からないようです。
参考文献:岩沢愿彦『前田利家(人物叢書)』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4dOONOT)
藤堂高虎は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇歳
☆参考文献:
諏訪勝則『図説 藤堂高虎』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4dAxyRd)
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
『戦国人名辞典』(新人物往来社)( https://amzn.to/4tUBSRa)
吉川弘文館『戦国武将合戦事典』(https://amzn.to/45eYv8O)
石田三成は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇23歳
史料に初登場するのは天正11(1583)年なので、正確な出仕年代は不明です。
このころの動向はわかりません。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
平野長泰は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇歳
不明
☆参考文献:
『戦国人名辞典』(新人物往来社)( https://amzn.to/4tUBSRa)
片桐且元は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇歳
辞書で言及されているのは、賤ケ岳の戦いからなので、正確な出仕年代は不明です。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
加藤清正は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇歳
まだ動向は不明です。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
福島正則は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇22歳
まだ動向は不明です。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
筒井順慶は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇34歳
元旦、安土城で信長に年頭の挨拶をします。
正月7日、金春家伝書を家臣の稲地秀保に授けます。
2月9日、武田攻めの準備を命じられます。
3月、武田攻めに出陣します。
6月2日、朝に京へと向かうも、信長が既に安土に帰ったという情報が入ったので郡山に引き返します。でも、京では本能寺の変が起こっていました。
☆参考文献:
金松誠『筒井順慶』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4tTdT40)
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
荒木村重は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇47歳
尾道にいたのでしょう。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
池上裕子『織田信長(人物叢書)』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4dP8FBp)
『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
蜂須賀正勝は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇57歳
不明瞭です。
ドラマでは、、、おめでとうございます!
やっと約束が叶いましたね。小六ももう55歳になっています。
『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)(https://amzn.to/4uJhhQg)
豊臣秀長は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇42歳
備中攻めにいそしんでいます。
6月2日、本能寺の変のときは、おそらく備中高松城の水攻めに加わっていました。
☆参考文献:河内将芳『図説 豊臣秀長』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4eAfDv7)
豊臣秀吉は今?
#豊臣兄弟 27回「本能寺の変」(-天正10(1582)年6月)
◇天正10(1582)年◇46歳
2月9日、信長が甲斐武田攻めの配陣を決めますが、秀吉は中国でお留守番です。
4月2日、備前国片上に出陣して、備中高松城を攻めます。
5月8日、清水宗治が籠る備中高松城の包囲を始める。
6月2日、本能寺の変で信長が滅びます。
☆参考文献:
藤井譲治『豊臣秀吉』(ミネルヴァ書房)(https://amzn.to/4dlVeaT)
柴裕之『図説 豊臣秀吉』(戎光祥出版)(https://amzn.to/4uhsUgT)
慶(慈雲院)は今?
#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)
◇天正8(1580)年◇歳
◇天正9(1581)年◇歳:?歳寧々ぐらいの年齢?
・天正14(1586)年、『多聞院日記』にて、歴史に初登場します。
なので、このころの動向は不明です。
☆参考文献:黒田基樹『羽柴秀吉とその一族』(角川選書)(https://amzn.to/48Oxt9Z)
本多忠勝
#豊臣兄弟 25回「変事の予兆」(天正8(1580)年8月―天正9(1581)年2月)
◇天正8(1580)年◇33歳
◇天正9(1581)年◇歳
長篠の戦いのあと、まだ調べがついていません。
→参考文献では、分かりませんでした。
☆参考文献:
『戦国時代人物事典』(学研)(https://amzn.to/4sJJxjU)
『戦国人名辞典』(新人物往来社)( https://amzn.to/4tUBSRa)
吉川弘文館『戦国武将合戦事典』(https://amzn.to/45eYv8O)
菊地浩之『徳川十六将』(角川新書)(https://amzn.to/49jihSz)
宮本義己『<徳川家康と戦国時代>知られざる異能 軍師・本多忠勝』 (歴史群像)(https://amzn.to/4tRHSJG)


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