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中国近現代史4【毛沢東から習近平に受け継がれしもの】【青木裕司と中島浩二の世界史ch:16】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木裕司先生です。よろしくお願いします。

日中戦争が終わったあと、結局中国は国民党と共産党というところになるわけですよね。まず一番最初ちょっと良い関係っちゃ関係なんですよね。


青木:

そうですね。対立はいろいろありましたけども、日中戦争が始まる前後にやっぱり結束して日本と戦わにゃいかんばいと。


中島:

ということなんですよね。


青木:

大戦中いろいろあったけど、一応結束して日本と戦い続ける。戦争が終わるとやはり共通の敵を失ってしまうので、中国の支配権はどっちにあるのかをめぐって対立が表面化していくんですね。


中島:

国民党と共産党。


青木:

毛沢東の共産党と蒋介石さんの国民党ですね。1946年から第二次の国民党共産党の内戦が始まって、49年まで3年間、これでまた200万人ぐらい亡くなるんですよね。

中島:

これ先生がいつもおっしゃるんですけど、内戦というのはかなり大変で、国と国とだったら違うというのでわかるけれども、内戦だったらどっちがどっちというのがわからないから。


青木:

敵味方の区別がわからないのでどうなるか、疑わしきは皆殺しにしておくかとなりがちなんですよね。


中島:

それで結局1945年に日中戦争は終わるけれども、46年からすぐに戦争が始まっちゃう


青木:

そうなんですよ。これで共産党が勝つわけ。


中島:

結局前回おっしゃったように、実は共産党はずっと負け続けていたけれども農村を支配していた。


青木:

これが大きいですよね。農民の心を掴んだというのが圧倒的に強いんですよ。結局それが勝利の最大の原因です。

中島:

国民党は結局逃れ逃れて台湾に行くと。


青木:

逃げ込むわけですね。


中島:

台湾、僕1回台湾のお宝展という展示に、福岡で行われたときに行ったんですけど、蒋介石が台湾に逃げるときに、相当中国のお宝をこんなやつに担いで何百と持って、白菜の印鑑とか、あんなのを全部を持って行ったということらしいですね。


青木:

ほとんど根こそぎ。


中島:

台湾に行って台湾に中国から攻め込まなかったんですか?


青木:

上陸用の舟艇が少なかったということですね、上陸作戦を展開するうえで。そしてもうひとつはアメリカの第七艦隊、これの介入の可能性がある。


中島:

なるほど。台湾を攻撃したらそういうふうにアメリカがしてくるかもしれないということで、台湾に逃げ込んだけれどもそれはもう良しとしようと。


青木:

しょうがないということですね。だからそこまで追いかける力は当時の共産党にはなかった。


中島:

そういうことなんですね。だから今は結局台湾は台湾としてずっとそのあと来ているという。

青木:

そうですね。今放送なんかでは中華民国と呼んじゃいけないらしいんですが、日本もアメリカも長らくの間、中国の代表はといったら台湾の中華民国、蒋介石さんの国民党だとずっと言っていたわけですよね。


中島:

ということなんですよね。


青木:

内戦に勝利した共産党が中国大陸を支配する。現在の中華人民共和国というのが1949年10月1日に誕生するわけですね。


中島:

ただ毛沢東の共産党が中国を治めるといっても、かなり領土が広くて、毛沢東という人って僕思うんですけど、全然やること成すこと失敗ばかりしてますよね、中国の国づくり。


青木:

中華人民共和国が建国されたあとの毛沢東の政策というのはほとんど失敗ですよね。あの人は基本的に革命家なんですよ。だから殺す壊す奪うは得意なんです。だけど作るは苦手。


中島:

理想に燃えていろんな政策をやるんですけれども、これがなかなかうまくいかないんですよね。


青木:

その大失敗の歴史をこれから語ることになるわけですが。


中島:

これ見せますか。まず中国の政治システム。


青木:

まず左下、全人代。全国人民代表大会といって、中国の立法機関ですね。日本の国会にあたるもの。

なんですが、国会議員を選び出すシステムが日本と違っていて、中国の場合は共産党が指名した人間しか全人代の代表にはなれない。


中島:

うちのディレクターが全然勉強してないですから、選挙あるんですか?と。一応あるんですよね。


青木:

一応あるんです。一応あるけども、北京の国会、全人代に行けるような代表というのは基本的に共産党の使命。それについてYESかNOかと。


中島:

100人選挙に出て100人が受かるという選挙なんですよね。


青木:

そうですね。よっぽど酷いやつでなければだいたいOKなの。


中島:

落ちる人いるんですか?


青木:

何人かいたんじゃなかったっけな。


中島:

そうなんですか、それが国会で。


青木:

そうですね。そこで法律を作るわけです。その法律に従って国を動かす行政府が国務院という、上に書いていますけどね。国務院のリーダーを総理といって、日本では首相と言ってますけどね。そのポジションには共産党ナンバー2だった周恩来、この人がつくわけです。

じゃあ毛沢東はどういうポジションかというと、ひとつは国家主席、国家元首ですね。


中島:

一番偉い人ですよ。リーダーという言い方ですね。


青木:

ただ基本なにもしないです。日常的な国のやりくりは国務院のリーダーである首相、総理、周恩来がやるわけですね。そしてもうひとつ毛沢東がいたポジションというのが共産党の主席というポジション。国務院の官僚たちも全人代のメンバーもほとんど共産党の党員なんですよ。共産党のトップのポジションにいる人間が実際には中国を支配する。現在は党主席というポジションはなくなっていて、党総書記というのが共産党のナンバーワンのポジション。よく聞かれるんですよ、書記ってなにするんですか?って。会議のときに記録を取る、そういうイメージがあるけど違うの。自民党で言うと党主席が総裁。総書記は幹事長。党の事務方というか、トップですね。党運営の最高責任者。日本で言うなら二階さん。


中島:

というのが総書記。今はもう主席がいないから基本的には共産党のトップというのが総書記。


青木:

はい。今は習近平体制ですけども、習近平さんは共産党のナンバーワンのポジションである総書記であり、なおかつ国家主席ですね。


中島:

ということですね。この行政府の長よりも総書記のほうがいわゆる力は持っていると。


青木:

当然です。ついでに言っちゃうと人民解放軍という軍隊がありますよね。あれは中華人民共和国という国の軍隊ではございません。あれは共産党の軍隊です。党の軍隊。正確に言うとそうです。


中島:

ここから本格的に毛沢東の失敗の歴史。


青木:

まず触れておきたいのは朝鮮戦争。

中華人民共和国が1949年にできて、その翌年の1950年に朝鮮戦争が始まっちゃうんですね。北朝鮮を韓国軍とアメリカを中心とする国連軍が攻め立てる。このまま行ったら北朝鮮が終わっちゃうぞというので中国が1950年の11月に参戦するんです。動員された軍隊、いろんな説がありますけども、最初は30万人が派遣されるんです。そのときに毛沢東はどうしたかというと、自分の長男を最前線に立たせる。国民を戦争に動員する以上、自分の家族も例外であってはならない。これはスターリンもそうです。


中島:

スターリンってそうなんですよね。

青木:

独ソ戦が始まったときに最前線に自分の長男がいたんです。


中島:

スターリンという人の歴史も、家族がめちゃくちゃになるんですよね。


青木:

これがまたごまんと話がありますもん、スターリン。


中島:

そういうふうなことで朝鮮戦争で結局北朝鮮をうしろ側から支援すると。


青木:

そうですね。かなりの犠牲が出るんです、自分の長男も。びっくりしたのがアメリカのほうで、とにかく機関銃で撃っても撃っても中国軍が攻めてくる。

中島:

いわゆる人海戦術ですね。


青木:

そうなんです。いわゆる人海戦術。人が海のようにね。韓国の映画で「高地戦」という映

画があって、そのシーンが出てくるんですよ。画面を見てても背筋がゾッとしますよね。


中島:

本当に怖かったでしょうね。


青木:

アメリカのある将軍がなんと言ったかという、アジアではこんなにも人の命は安いものなのかと。累々たる屍の山ですからね、戦いが終わったあと。そういう苦労をして、アメリカと中国でぶつかるわけですね。


中島:

ここで本当に近代国家としてぶつかるというところですね。


青木:

で、大きな犠牲を出す。朝鮮戦争は53年に休戦協定を結ぶ。

ここから本格的な国づくりを始めていくわけです、中国。ソ連もやっていた5か年計画というのをやっていくわけです。その中で毛沢東が知識人に向かって、建国して何年か経ったあと、いろいろ俺たちは問題があると思うので、知識人諸君、思い切り思っていることを言ってくれと。共産党に対する批判もガンガンやってくれ。これは百花斉放・百家争鳴運動といって、たくさんの花が一斉に花開くように、いろんな考え方を我々に浴びせてくれと。


中島:

なんか革命家っぽいですよね。

青木:

ところが知識人は黙っていたんです。なんでかというと、言ったら毛沢東は怒るので。


中島:

いやいやいや。ちょっと待ってください、言ってくれと言われて、言ったら、性格なんですよね。


青木:

知識人はわかってるんですよ、毛沢東がどんな人か。言ったら怒る人なんですよ。だから黙ってたの。そしたら毛沢東が「言論無罪。なにを言っても罰しないから」と言うわけです。じゃあ言いましょうかって言い始めたら、どんどん共産党に対する批判、毛沢東に対する批判がブワっと渦巻くようになった。ある瞬間にプチッと毛沢東がきて、「言い過ぎだ」と。ここから中国で言論の自由がまったくなくなっていくんです。


中島:

ということなんですよね。


青木:

特に1958年。


中島:

1958年ですよ。1958年、今から50年以上前、そこからずっとそうっていうことですよね。


青木:

習近平が今香港で言論の自由を弾圧してるじゃないですか。習近平さん自身が言論の自由という言葉の意味がわかってないんじゃないかなという気がするんですよ。


中島:

だって自分が生まれて育った環境がそういうことじゃない。


青木:

言論の自由がない国でしょ?本人自身が、共産党の人たち自身がわかってない気がするんですよね。「なんで香港の連中はあんなに騒いでるんだろう」ぐらいの気持ちなんじゃないかなという気がするんですよ。


中島:

ここから毛沢東さんの失敗の歴史を振り返っていかないと、なかなか中国近代史に行けないと思いますので。結局先生がこのチャンネルを始めるときにおっしゃいました。結局失敗に学んでいかないと未来はないんですよね。


青木:

あんまり毛沢東、学んでないんだよなあ。


中島:

ということです。









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