世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの「青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。
(前回の記事「 田中角栄とその時代(3)戦後の混乱と衆院初当選」はこちら)+
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田中角栄とその時代(1)田中角栄、生誕
動画版:「田中角栄とその時代(4)角さんの議員立法」
中島:
歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして世界史の青木先生です。よろしくお願いします。
青木:
お願いします。
中島:
田中角栄伝。ワクワクするから話が全然進まないんですけど、それぐらいワクワクする魅力的な政治家ですよね。良い悪いは別にしてということですよね。
青木:
YouTubeなんかで昔の角さんの演説って見れるじゃないですか。特に僕が思ったのはロッキード事件が発覚したあとの裁判にかけられているときの田中さんが1983年だったかな、福井県の自民党の議員さんの応援演説に行くんですよ。いろいろあるけどやっぱり魅力がありますね。聞こうと思いますもん。
中島:
演説をでしょ。僕がすごい印象に残っているのは「皆さん、給料は上がりました。でも休みはどうですか?まだそんなにアメリカとかヨーロッパに比べて休んでないでしょう。これを」という。ひとつひとつが具体的だし、そのためにはどうしなきゃいけないかという動きもいろいろちゃんとやっていたような。みんな給料が上がったけど休んでないんだったらもうちょっと休めるような政策を考えないとねとか、今私たちの負担率のことを考えてくれてる人いますか?ひとりひとりが厳しくなって、この人たちをどうにかせんといかんなという、たとえば有力な政治家の人がそんなこと言ってます?まったく言ってないですよね。
青木:
そうなんですよ。特に角さんが1947年、国会議員になりますよね。そのときは民主党という政党だった。10年前に政権を取っていた民主党とはまったく関係ない政党で。
中島:
自由党と民主党の自由民主党になるけれども、その中のひとつの民主党ですよね。
青木:
立場的には中道右派、中道と言って良いのかな、感覚的にはね。その民主党から国会議員になったと。選挙の演説のときもポイントになる言葉は2つあって、さっきおっしゃったように生活。もうひとつは産業。それも東京みたいな都市だけに偏らない、農村においてもいろんな産業を発展させませんか?と。そのためには道路なんかが必要になってきますよね、みたいな非常に具体的に、国民にも、有権者にもビジョンが、絵が見えるような、そういう演説を彼はやっていたんですよね。
トップ当選じゃなかったけども、確か定員5、6人の間で2位ぐらいで確か通ってました、当時はね。
国会議員になったと。当時の政権なんですが、実は社会党が第一党で、片山哲さんという社会党の社会主義者ですよ。
この人が首相になったわけ。その社会党と民主党と国民協同党。これは三木武夫さんという人がした政党なんですけども、三派連立内閣。首相の片山さん自身が実は社会主義者なので、彼がイギリスの労働党から影響を受けて、重要産業の国有化というのをやろうとしたわけです。特にポイントになったのが炭鉱。エネルギー源である石炭産業を私有、いわゆる私立じゃなくて国有化しようと。炭鉱の国家管理法案というのが出るわけですね。これに三派連立の一員であった民主党の田中さんは反対をするわけです。基本的に社会主義にあんまり良いイメージを持っていなかったというのと、土建屋の仕事をやりながら炭鉱の住宅を作るみたいなことをいっぱいやってたらしいんです。特に福岡は炭鉱がいっぱいありましたよね、昔ね。福岡の炭鉱の炭鉱主たちから炭鉱住宅、労働者のための住宅を作ってくれと、その仕事もいっぱい請け負った。そういう自分の仕事というか本業のほうにも関係してくるので、それもあって炭鉱の国家管理については反対をしておったと。そういう演説をやってくれませんかというので炭鉱関係者から賄賂をもらったという嫌疑で彼は逮捕されちゃうんです。
1948年に通称炭管事件、炭鉱国家管理事件。それで逮捕されて、結論を言っちゃうと第二審の東京高裁で無罪になるんです。実際100万円のお金をもらったのは事実らしいけども、田中さん自身それは料金だと思っていたと。炭鉱住宅を作った代金としてもらった。今みたいに政治資金と本業のほうの収入、そのへんの境目が非常にグレーだったらしいんですよ。自分は賄賂としてもらったわけじゃなくて、炭鉱の国家管理に反対したのは自分の政治信条だと。この100万円は賄賂じゃなくて住宅を作った代金だって、結局そういった主張が認められて彼は無罪になるわけですね。
ただ、裁判の最中に議会が解散されて選挙が始まるわけです。彼は獄中から立候補の届出をする。
田中さんって何回か危機があったんだけども、彼の最初の、徴兵されたときに続いて2回目の大きな危機ですね。
これが1948年で戦後の不況が襲ってくるときで、田中土建工業、あんまりうまくいってなかったらしいんです。そういう中で自分は逮捕されてお金もなかったと。手元にあるお金が30万ぐらいしかなくて。それで選挙に打って出たら田中土建工業を回すだけの資金がなくなる、どうしようといったら、みんなが支援してくれた、新潟の地元の人たちが。
当時は越山会という彼の組織はできていないんですけども、ただいろんな人たちから支援されて立候補したら当選できた。こうして田中さんは最初の大きな危機を、政治家としての大きな危機を乗り切っていくわけです。ただそのときにも彼は外してないなと思うのは、いろんな人たちから資金を得るじゃないですか。必ずしも大きな会社、大きな企業からの献金だけじゃなくて、庶民からの資金がいっぱい集まってきたらしいです。それはなぜかというと彼がたとえば立候補して応援演説、遊説を始める。一番僻地から行くらしいんです。
当時のことだから道路も整備されてないし鉄道も通っていないというふうに問うていくらしいです。しかも冬だったので雪の中を。そういう中やってきてくれた田中先生に「ここまで来てくれたんだ」ということでみんな感激するわけです。あるとき線路をずっと歩いてきよって、鉄橋を渡ってきよったら向こうから列車が来た。鉄橋にぶら下がって命を取り止めたという話もありますよ。
そういう苦労をしてくれてわざわざここまで来てくださったんだというので票が入るらしい。そういう義理人情というか、そういったところもちゃんととわかる人だったんですよ、あの人はね。
2回目の当選を果たす。まだこのときは閣僚になっていなくて民主党の一議員なんですが、一議員として彼がなにをやろうとしたかというと、同じ考えを持った議員さんたちと集まって盛んに議員立法を行うんです。
本来国会議員って法律を作る場所。だけど今国会なんかで審議されてる法律ってほとんどが内閣提出法案なんです。いわゆる閣法と言いますけども、行政府が「こんな法律があったら良いな。国会議員の皆さん話し合ってくれませんかね」って、そういう法律がほとんどなんです。
ちなみに言うとアメリカにはそういったものがなくて基本的には法律は国会議員が作る。アメリカの国会議員、上院も下院もローメーカーと言いますもんね、法律を作る人。
中島:
基本的には司法・立法・行政というぐらいだから、立法というぐらいなので法律を作りなさいよという、それを議員の間に1個も携わらずに終わっちゃう人がいっぱいいるらしいですもんね。
青木:
実際法律を作る作業って、抜け道があったりするとまずいじゃないですか。だから作業自身はえらい大変なんですよね。
中島:それでも議員さんですからね。
青木:
結局田中角栄さんって彼が発案した法案、あるいはみんなと一緒に発案した法案、全部で33本ある。これはこれまでの日本の議会の歴史の中で一番多いらしいです。そういうところが偉いですよ、あの人。
中島:
国会議員というのは手段でその法律でみんなが幸せになるとか良くなるという、ルールですからね。この国ってルールによって動いていますから。
青木:
まず彼が議員立法として着目したのが公営住宅法。家が建てられない、戦争の混乱なので。家を建てられない人たちのために国が家を作って公営住宅をたくさん作る。あるいは家を建てたくてもお金がないと、そういった人たちには住宅金融公庫ってあるじゃないですか。その住宅金融公庫の利子を下げる。住宅金融公庫改正法、そういったものを立案して、これは田中さんの発案なんです。
中島:
みんなが住めるようにとか家を持てるようにということですよね。
青木:
そうそう。国が住宅を作ったり資金を貸し付ける、当然財源が必要になるじゃないですか。それについてはどうしようかなと思ったら、自分がかわいがっている官僚たちが来て「郵便貯金を使ったらどうですか?」という知恵を与えてくれる。
自民党の政治家って地方の議員から叩き上げた党人政治家という人たちと官僚出身の人がいるじゃないですか。田中さんっていわゆる党人派の代表なんです。じゃあ官僚と対立していたかというと全然そんなことはなくて、使える官僚を思いきり使いまくる。使いまくるというのはなにかというと知恵を出してもらう。そのためには、特に閣僚になってからなんだけども、盆暮れの付け届けがすごかったらしいです。
中島:
しかもたとえば有能な官僚の奥さんの誕生日とかにトーンと花が届いたりして。
青木:
着物を作ってあげたり。
中島:
それは良くないことかもしれないけど、結局それはなにかというと、そういう人たちに知恵を出してもらって汗をかいてもらって、国を良くするためという最終的なところですよ。だから個人の利益じゃないというところでしょうね。
青木:
おっしゃったように官僚の諸君に気持ちよく働いてもらうためにはやっぱりなにがしかの経済的な。
中島:
ということですよ。
青木:
それまではたとえば高級ウイスキーだったのが現金に変わったらしいです。それも何十万レベル。実際に角さんって官僚たちが出してくれた知恵を活かそうとするじゃないですか。だから官僚たちもやりがいがあるわけです。しかもたくさんくれる。
中島:
いわゆるなんでしょうね、公務員の給料ってなにかをしたから上がるということはないじゃないですか。目の前の人参がまったくないわけですよね。そうなると出世するしかない。出世するためには権力闘争とか、変なことに力が行くということを考えたら、やり方というのは今じゃ無理かもしないですけど。
青木:
官僚の操縦術というのはすごかったらしいです。さっき言ったように住宅をたくさん作りましょうでしょ。次に彼がやろうとしたのは道路法、いわゆる道路整備。彼が国会議員になった前後、1950年前後、日本の道路舗装率ってなんと2.1%。これはインドよりも下だったらしいです。道路が整備されていないと物流・人流がうまくいかないというので、国の責任で道路を舗装する。新道路法というのができるんです。実は新道路法に対して旧道路法というのがあって、これは1919年、第一次世界大戦直後にできた法律で、どういう法律だったかというと、首都である東京都からたとえば県庁所在地、あるいは軍隊の司令部ですね。だから基本的には政治あるいは軍事、これを優先した道路だったんですよ。じゃなくて、さっき言ったように物流・人流。
中島:
経済を発展させるためのということですね。
青木:
そういう観点で道を作らないかんということで新道路法というのを彼が発案するわけです。これは法律になるわけです。特にすごかったのが、道路にも国道と市町村とか県の県道とかあるじゃないですか。その境目をできるだけなくす。国道を2つして1級国道と、従来は市町村あるいは県道だった道を2級国道にする。国道と名前がついたら国の予算が使えるわけです。そういったことで道路整備を急いでいく。
彼は言っていたんです、これからは鉄道とともに自動車が大事になってくると。当時まだ2万台ぐらいしかなかったのかな、今から80年ぐらい前ですよね、70年ぐらい前か。でもいずれ100万台、そして1000万台の時代が来る。そのときのために道路をしっかり作っておこうと。やるときは大規模に公共工事をやっていかないとダメだと。それは1つにはアメリカのニューディール政策から学んだ。
中島:
そういうことですか。
青木:
その財源はどうするか、これも官僚が知恵を出してくれるわけです、ガソリン税を使いましょうと。ある意味受益者負担というかね。道路が整備されたら車に乗っている人たちもガソリン税の、高いガソリンでも我慢してくれるんじゃないかと。「それ良いね」と、すぐ採用。
中島:
ある種効率的な人ですよね。
青木:
そうですね、こうして議員立法を着実に進めていって実務能力も評価されるようになる。そうする中、1957年、ついに彼は大臣になるわけですね。そこから次ですね。
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