世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの「青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。
動画版:「戦後日本の国際関係(1)日本の再軍備」
中島:
歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル、中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。
青木:
よろしくお願いします。
中島:
今日から戦後の国際政治。
青木:
そうですね。 前回までは日本国憲法が制定される1947年、戦後の二年間の歴史。基本的にマッカーサーを頂点とするGHQ司令部が日本を民主国家にする。平和主義の国にする。天皇陛下に関しては象徴という地位に留めるけども、天皇制自身、天皇の存在自身は存続させると。でまあ戦後の日本の基本形が出来上がっていったと。ところがその平和主義、日本民主主義の日本まあ、特に平和主義の日本では許されない状況、これが戦後どんどんと進んでいってるわけですね。まあ、結論言っちゃうと、いわゆる米ソの冷戦という構造ですね。
中島:
だから東西ってことですよね?
青木:
共産主義・社会主義と資本主義・自由主義の対立。でまあ世界中でこの対立が激しくなっている。ヨーロッパでは、特にドイツ分割問題をですね、ドイツの問題をきっかけに、ソ連とアメリカが鋭く対立すると。東アジアでも、特に中国ですね、中国で共産党の毛沢東と国民党の蒋介石さんが内政を展開する。もう1946年から内戦が始まったんです。
中島:
いや、だからこれ本当にすごいことで、中国では結局そうやって内戦があって。で、その後、朝鮮戦争にベトナム戦争に、またいろんなところで、っていうことだから、いや、あの結局我々ね、のチャンネルで「戦後」っていう話してますけど、「戦後」って言葉は日本だけしか通じないよと。
青木:
そうです。第二次大戦が終わった後に、まあもうね、何十年も経ってますけども、戦闘行為によって他国の国民を殺してない。殺傷していない国って、多分世界で十個ないですね。アフリカはもう全部の国で内戦やってるし、対外戦争もやってる。
南北アメリカのなかでね、戦闘行為に参加してないのは多分ジャマイカだけです。ヨーロッパでは北欧の平和主義の国ね。スウェーデンとかあとスイスとかオーストリアとかね。
アジアではブータンと日本だけなんですよ。だから戦後という概念が通用する地域、国ってね、少数派なんですよ。圧倒的に。
中島:
だからやっぱりもう、そのまあ、先の大戦。日本にとってはまあ大東亜戦争なのか、太平洋戦争なのか、まあヨーロッパでは第二次世界大戦ということですけど、その後はもういくつもいくつも戦争が起こってるってことですよね。
青木:
そういう戦いが、まあ東アジアでも起こって、朝鮮半島も1948年に東西分割されるわけですね。
で、そういう状況が進行するのと並行して日本でもいわゆる「逆コース」、まあ、いわゆる日本をもう一度ですね、まあ、軍事国家として、まあアメリカの頼りになる同盟国、軍事的な同盟国として、ええ、変貌してもらおうと、そういうですね、動きが始まっていくわけですね。あの、日本人の科書の中にも「逆コース」という言葉が出てくるんですよ。これあの読売新聞がね1950年に日本の戦後はずいぶん変わったよねと。47年を境に。で、「逆コース」という言葉を使ったその特集記事を組んだんですね。で、これがそのまま定着して「逆コース」という言葉が残ったんです。米ソの対立をきっかけにしてアメリカが日本を仲間に引き入れる。それまでは、日本を東洋のスイスたれと。でこれを言ってたんだけども、アメリカがその前言を翻して、特にあの陸軍長官でロイヤルさんという人がいて、彼が反共の砦になってほしいと。
中島:
だから結局やっぱそういうところに巻き込まれていくっていうか。まあ、地球の中の一つの国だったら、やっぱりそういうところに巻き込まれざる得ないってことですよね。
青木:
でそういう文脈の中で、1950年。ええ、日本のまあ、いわゆる再軍備。それが始まっていくわけですね。これが警察予備隊という組織で。1950年の8月にですね、隊員の数約7万5千人で設立をされたわけです。大きなきっかけになったのは、やっぱり朝鮮戦争の勃発。朝鮮戦争はですね、警察予備隊ができる一ヶ月ちょっと前の6月25日に始まるわけですね。あっという間に韓国軍が敗走を続けて、このままいったら共産主義・社会主義の北朝鮮に全部占領されてしまうと。で、国連緊急安全保障理事会が召集されて、アメリカ軍を中心とする国連軍が派遣されることになるわけですね。で、北朝鮮と戦うと。その国連軍の90%以上がアメリカ軍で、そのアメリカ軍のほとんどが在日米軍だったんですね。
中島:
いや、その時、国連の安保理が開かれたわけでしょう?その国連の中にソ連もいたわけでしょう?
青木:
いたんだけど、その緊急安全保障理事会をソ連は欠席していました。
中島:
それは北朝鮮を応援しているからっていうこと?
青木:
いや、あのね、いろんな説があって。一つにはその当時、国連安保理である対立問題があってね。要するに中国の代表は誰なのかと。
中島:
蒋介石なのか毛沢東なのかと。
青木:
で、当時国連の代表権を持っていたのは蒋介石さんなんです。でも蒋介石さんさあ、台湾にしかいないじゃん。大陸のほとんどは毛沢東の共産党が支配してるだろう。じゃあ、共産党の毛沢東が中国を代表すべきだよねって。ところが、、、
中島:
ソ連は同じような考え方だからですね。
青木:
なんだけど、まあ、多勢に無勢ですよね。結局その意見っていうのは、少数意見にとどまるというんで、ソ連が抗議の意思を示すために、ニューヨークにある国連本部から代表団をモスクワに呼び戻していた。そのタイミングで朝鮮戦争がバーンと勃発をする。でアメリカとしては、ソ連いないよねと。じゃあ、今がチャンスだよねと。で、緊急の安全保障理事会を開いて、ソ連が欠席のまま国連軍の派遣を決めたわけです。ただ、この話ね、できすぎているんですよ。っていうのもね、朝鮮戦争って誰が始めたっていうか。金日成が始めたんです。ええ、金日成がソ連からたくさんの戦車の支援を受けてやったんです。で、そのいつ始めるかも含めてね、、、
中島:
ソ連には絶対言ってるはずだと。
青木:
言ってるし、実際にね、何遍かモスクワを訪問して、でスターリンからオッケーをもらっているんですよ。
中島:
なるほど。
青木:
スターリンがオッケーしないと朝鮮戦争は始められてないんで、たまたまそこの国連にソ連の代表がいなかったという説明は、、、はっきり言ってね、これはもうあまりにもおかしい。
中島:
ということは、もう戦争をやるつもりで代表団を引き上げさせていた。
青木:
そうですね。で、多分スターリンも、すぐ勝つだろうと。なぜかというと、ソ連と北朝鮮って地続きじゃないですか。だからどんどん支援ができるわけですよね。そういったこともあって、まあ朝鮮戦争が始まって、まあ金日成も自信持っていっていると。短期間で終わると。まあ戦争を始めるとき、みんなそうですけどね。でまあ、戦争をやらせて、朝鮮半島全体を共産化して、東アジアにおける東西のバランスを崩していこうと。
中島:
なるほどねえ。
青木:
万が一調子が悪くなったら、中国に参戦させると。
中島:
んん。まあ、中国にっていうか、毛沢東に。
青木:
毛沢東にですね。だからスターリンとしては、戦争はたぶん短期間で勝つという予想が90%。うまくいかなくなっても、自分、ソ連は手を出さなくてもね。毛沢東に支援させれば、まあなんとかなるよねと。ぐらいの気持ちなんで、戦争の勃発をスターリンも認めたと。でまあ、国連軍が派遣される。で、アメリカが中心だったので、そうなると日本の治安が危うくなるよねって。で、これをある種口実にして警察予備隊ね、要するに日本国内の治安を守るということを目的として、まあ、それを口実として軍事組織を作るわけですね。
で、隊員の数が7万5千人で、、、
中島:
ということは、アメリカが側面支援したということですか?
青木:
そうですよ。例えば、当時の日本は武器を何も持ってませんから。だから警察予備隊の人たちが持っている武器っていうのはもう100%アメリカ製の武器です。アメリカ兵たちが使っていたガーランドライフルというね。やつと、アメリカ軍の戦車や装甲車ですね。ただ、戦車や装甲車を、特に戦車を持つ、戦う車を持つというのは憲法違反の可能性があるんで、名前を「特車」。特別な車と言い換えたんですね。これは以前ね、中島さんにも俺言ってたかもしれないけど、あの、ゴジラの第一回目。あの1954年に封切られたんですけども、あの時に東京に上陸したゴジラを自衛隊が、もうできたばっかの自衛隊が迎え撃つわけですよ。その時も憲法上の制約があったんで、「戦車隊」とは言ってないですね。「特車隊」と言っています。まあこの警察予備隊の設立が日本の再軍備の第一歩です。そして1952年にこの警察予備隊が保安隊に変わっていくわけです。じゃあ何が変わったかと言いますと、警察予備隊というのは7万5千人の皆さんがいたんだけども、基本的には陸上で活動する部隊なんですよ。でこれに対してね、実は今の海上保安庁。あの海上保安庁というのは、アメリカで言うなら沿岸警備隊なんです。で、これにあたる組織は、実は戦後すぐできているんです。1948年。だからこれをもってね。実は、その海上保安庁の設立をもって日本の再軍備の始まりだという人もいないわけじゃないんだけども、ただ、これはね、戦う組織というよりは、、、
中島:
守るっていうか、、、
青木:
具体的な目標が一つあって、それがなんかというと、大戦中にアメリカの侵入を防ぐために、日本軍が機雷を敷設しているんですよ。これが大体6万発。それからアメリカも日本の艦船を沈めるために日本近海に数千発の機雷を、いっぱい設置しているんですよ。
中島:
それを取り除いていくということですね。
青木:
これがね、海上保安庁ができた一番の目的なんです。で、実際に数年間経験を積んだ海上保安庁。で、実は朝鮮戦争が始まると、北朝鮮もソ連製の機雷を購入して、援助してもらって、それを韓国の沿岸にいっぱいばらまいたわけ。これにマッカーサーが目をつけて、日本の海上保安庁に、君たちは機雷除去を頑張ってきてくれたよねと。で、北朝鮮が機雷をばらまいて大変なんだと、行ってくれないかと。憲法上の問題はあるけども、そこは何とかしようと。
中島:
ええ~~!もう、ホントご都合主義。
青木:
実はご都合主義なんです。そう結局、60隻ぐらいの掃海艇。機雷を除去する。あのまあ、掃海艇といいまして、基本的に小さい船ばっかりなんです。しかも、金属だと機雷が反応して爆発する恐れがあるんで、大体木製の船が多いですね。だからちっちゃな船が多くて、それが60隻ぐらい海上保安庁の部隊として、実は朝鮮戦争に派遣されているんで。実際、機雷に触れて犠牲者も出ているんですよ。
ただ、よく頑張ってくれた。これはもう米軍も、めちゃくちゃ海上保安庁には感謝するわけ。で、そういうことを君たちはできるよね。だったら陸上部隊中心の警察予備隊と海上で活動する君たちは合体すべきだよねということで、これを日本政府が受け入れて1952年にいわゆる保安隊が出来て、警察予備隊の海上保安庁と掃海警備たちが合体する。そして二年後の1954年にこれがまあ、いわゆる現在の自衛隊になるわけですね。
現在のように陸上自衛隊と海上自衛隊。程なくして、航空自衛隊もできると。で、現在の日本の実力部隊。この雛形ができているわけですね。チャイム鳴りましたっけ?
中島:
なりました。
青木:
では、次は講和条約と賠償問題です。
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