世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの「青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。
(前回の記事「ユダヤ人の歴史(1)ユダヤ教の確立」はこちら)
中島:
歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。
青木:
お願いします。
中島:
ユダヤの人たちの歴史を今見ているところですね。
青木:
そうですね。いろんな民族的苦難の中から今から2500年ちょっと前にユダヤ教という一神教の宗教ができあがった。その元でユダヤの皆さんは結束してパレスチナの地で再び繁栄を謳歌する。ところが今から2200、2300年ぐらい前にあの地域にパレスチナにギリシャ人が侵略してくるんですね。一番有名なのはアレクサンドロス大王という人で、そのアレクサンドロスが死んだあとは別のギリシャ人があの地域を支配するわけです。ギリシャ人自身は多神教なんですね。どうも自分たちギリシャ人とユダヤ人の信仰は相容れないというので、ユダヤ教に対して内政干渉を始めちゃうんですよ。これにユダヤ人の人たちが耐えられなくて反乱を起こすわけ。BC、紀元前2世紀頃にマカベア戦争という世界史の一部の教科書に載っている戦争が起こるんですね。マカベアというのはユダヤ人の王、それが自分たちの信仰に立ち入ってくるギリシャ人をやっつけると。見事にやっつけて、再びユダヤ人たちは独立をまた復興させるんですね。
中島:
攻めてくるというのはなにか資源があったわけですか?そんな土地でもないでしょう。
青木:
パレスチナ自身は当時はそんなに豊かな地じゃないんだけど、やっぱり交易のルート上にあって、そういう利益はあったんですよね。
中島:
そういうところに自分たちの拠点を築きたいということですか?
青木:
それで止めておきゃ良いのに、心の中までギリシャ人が入ってこようとしたわけです。マカベアという王様が見事に打ち破って再びエルサレムに帰ってくる。これは旧約聖書の中でも結構有名な話で、それを題材に有名なクラシックの曲ができたんですよ。これは絶対にご存知です。「帰ってくるマカベア」という「ユダヤの王、よく帰ってきた」と。「見よ、勇者は帰る」という曲が生まれるんです。300年前にヘンデルという作曲者がいますよね、バロックの。あのかたが作った曲なんですけども、曲は皆さん全員ご存知です。こんな曲です。
中島:
この曲ですか。
青木:
表彰式なんかでね。
中島:
そうですね、必ずこの曲が流れますよね。
青木:
これはもともとはユダヤの王を称える歌だったんです。
そのギリシャ人を打ち破って再び独立を保つ。ところが今度はそこに、ギリシャ人をやっつけながらローマがやってくるんです。
中島:
ローマ帝国がどんどん力を増しているときということですよね。
青木:
結局今のパレスチナ、一部レバノンのあたりを含めて、ローマの支配下に入って、属州ユダヤという名前になるんですね。ユダヤ人がたくさん住んでいるので属州ユダヤという名前になるわけです。ところがローマもギリシャ人と同じようにユダヤ人の人たちの心の中まで干渉してこようとする。これに彼らは耐えられなくて、紀元後1世紀、イエス様が亡くなって数十年後ぐらいかな、ローマの支配に対して反乱を起こすんですね。反乱を起こした結果ローマの逆襲にあって、エルサレムにあった神殿、これがめちゃんこに破壊されてしまうわけ。その破壊されて焼け落ちた中、一部の城壁だけ残るんですね。これが嘆きの壁というやつ。
中島:
そうなんですね。
青木:
嘆きの壁の写真を持ってきたんですが、ちなみに写真の左のほうにドームが見えますよね。これは岩のドームというモスクなんです。
中島:
こっちはいわゆるイスラム教のということですね。
青木:
イスラム教の聖地のひとつですね。メッカとメディーナに並んでエルサレムのこの場所、イスラム教徒にとっては三大聖地のうちのひとつ。その目と鼻の先に。
中島:
だから本当に大変な、歴史的に、聖地と言われるところが、いろんな宗教の。そこはまた分かれていったというところだからですね。
青木:
そうですね。ちょっとあとの話になっちゃうけど、20世紀にそこを結果として支配することになったイギリスが、エルサレムについては特定の国、特定の民族が支配するのはまずいだろうというので、国際管理地域にすべきだ、この判断は僕は間違ってはいなかったんじゃないかなと思うんですけどね。とにかくそういうことでもエルサレムって非常に複雑な場所なんだということです。
こうしてユダヤの人たちは叩き潰されると。ところがそれから数十年経って、紀元2世紀の半ば頃にまたローマの支配に対して反乱を起こすんですね。「テルマエロマエ」という映画がありましたよね。あそこに市村正親さん演じるハドリアヌスという名前の皇帝が出てくるんですけど、映画の中ではなかなかものわかりの良い皇帝だったんですけども、あの人がユダヤのあたりを散策したときにいろんな文化があるよねと。ただ、やっぱり彼もちょっかいを出しちゃったんです。
ユダヤ教という一神教の元にユダヤ人は結束して、100年前に大きな反乱を起こした。ちょっと恐怖心を感じるんですね。
中島:
やっぱりそれですかね。恐怖というか、それを思っちゃうんですかね。
青木:
思っちゃうんでしょうね。ちょうど時代的にもローマ帝国が下り坂に向かうかなという時期だったので、そこはちょっと思ったと思うんですよ。結局例によって心の中にローマ帝国も干渉してる。ユダヤ人たちは2回目の反乱を起こすわけですね。第二次ユダヤ反乱とか言いますけども。この反乱を見てハドリアヌス帝はやっぱりユダヤ人怖いよねと。どうしたかというと、その反乱をまず叩き潰して、聖地だかなんだか知らないけど、エルサレムという場所にユダヤ人、お前たちはもう二度と入ってはならないと。さらにこの地域からユダヤ人、あるいはユダヤ教の香りというか、それを一掃しようと。
これまではこのあたりってユダヤ人がたくさん住んでいたので属州ユダヤと言ってたじゃないですか。ユダヤという地名もなくそうと。どういう地名にしたかというと、かつてユダヤ人が戦っていた相手、ペリシテ人。そのペリシテ人にちなんだ地名。
中島:
パレスチナですか。
青木:
で、パレスチナにしたんです。名前そのもの、ユダヤ人が住んでいるからユダヤという地名があったんだけども、それをローマ帝国がなくしてしまうんですね。ローマ帝国の植民地、属州と言いますけども、属州シリア・パレスチナ。さっき言ったパレスチナというのはペリシテ人が住んでいた場所、そういう地名にするわけです。これで結局パレスチナに住んでいたユダヤ人たちが世界中に散らばっていくんですね。
中島:
世界中に散り散りバラバラになっていくんですね。
青木:
これをカタカナ表現でディアスポラ(民族的離散)というんです。そのうちの多くは地中海の沿岸地域に移り住んでいくわけです。あるいは9世紀以降になるとアルプス山脈なんかを超えて、今日のフランスやドイツ、そこに移り住んでいくわけ。
ただヨーロッパというのはご存知のようにキリスト教世界で、キリスト教世界においてユダヤ人というのは異教徒、よそ者なんです。
中島:
さっきのところの話に戻っても良いですか?キリストが亡くなって100年ぐらい経ったときというふうな話をしていましたけども、キリスト教というのはどこらへんから確立されていくんですか?
青木:
これもなかなかデリケートな話なんですが、まずキリスト教というのがイエス様を中心にできた宗教だというのは間違いないんですよね。イエス様ってどういうお方かというと、パレスチナに住んでらっしゃった、当時は属州ユダヤだけども、属州ユダヤに住んでらっしゃったユダヤ人なんです。ユダヤ教徒なんです。イエス様自身もヤハウェを信仰してらっしゃったんです。ところがユダヤ人の世界にいわゆる聖職者と言われる人たちがいて、学者グループがいて、この人たちがユダヤ教を信仰している人たちにいろんなルールを押しつける。それがルールだけが先走ってるんじゃないかと。仲良く幸せに生きていくためにヤハウェの神はいろいろお教えくださったのに、間を取り持っている学者グループ、聖職者という言い方もありますが。
中島:
宗教でよく歴史的には起こりうることですけど、こういう体系化をしたあとに、それをどう守っていくかというルールばっかりが先行して、もともとのというところでまた別に生まれるんですよね。
青木:
一方支配者のローマとすれば、コミュニティのリーダーとして宗教的権威を持っている学者グループ、これは使い道があるわけですよ、中間支配者として。この連中を通じてユダヤ人のコミュニティをコントロールしておったんです。その学者グループに対してイエス様が「ちょっとあなたたちの教えっておかしくないですか?」と。僕は授業で言うんだけども、イエス様は自分の名前のついた新しい宗教を作ろうと思っていたんじゃないんじゃないか。
中島:
絶対そうでしょうね。
青木:
ヤハウェという神の教えというのは本当はお互いに慈しむこと。これをイエス様自身は隣人愛という言葉で表現されますけども、みんながお互いのことを思いやることが大事なのであって、ルールで持ってコミュニティをがんじがらめにするというのは本来の神の教えとは逸脱してるんじゃないですかと文句を言うわけですよ。それに学者グループが「あいつはなんだ」と。ローマ帝国に「コミュニティの治安を乱すやつがいますけど、放っておいて良いんですか?」みたいなことを言って、それがイエス様の刑死に、いわゆる十字架の刑死につながっていったという話なんです。
中島:
そのあとにそれを信仰する人たちが出てきたということですね。
青木:
そうですね。イエス様を神の子と信仰する人たち、こういった人たちのことをキリスト教と。
中島:
それでそれがまた急速に広がっていったんですか?
青木:
広がっていくんです。ローマ帝国領内のどういった人たちに広がっていったかというと、貧しい人たち。あるいはローマから一番過酷に支配されていたところに一番信仰されていったんです。
中島:
やっぱり大変な状況というのは信仰を求めるんですよね。
中島:
しかもそれに対してローマ帝国が弾圧するんですよ。でも弾圧しても弾圧しても一向にキリスト教徒の数が減っていかない。なぜかというと、ローマ帝国においては途中からローマの皇帝自身も神様になるんです。だから臣民に向かって、国民に向かって「俺も神様と同格だから俺に対してもひざまずけ」と言うんですよ。ところがキリスト教徒の人たちは「いや、あなたは人間ですからひざまずけません」と。これにローマの皇帝たちが頭に来て迫害をするわけです。
ただその迫害をされたキリスト教徒の皆さんが、たとえば火炙りになったり、十字架にかけられたり、ライオンに食い殺されたり、それはだいたい見世物として公開処刑されるんです。
ところが見ている連中がびっくりするわけ。「おい、あの人焼かれてるけど笑みを讃えているぜ」って。僕らから見れば死ぬということなんだけども、当時のキリスト教徒の人たちから見ると、これで主の御許に行けると。みんな、ちょっとこれも言い方があれだけど、殺され方があまりにも高々しかったんですね、たぶん。
それを見に来ていた見物人たちが打たれちゃうわけ、心を。あの心の穏やかさってなんなの?ってなるわけですよね。
宗教が立ち上がるときって必ずそういった人たちがいますもんね。
中島:
それで急速に広がっていってということですね。
青木:
結局しばらくするとローマ帝国もこれはもう弾圧しきれんと。しかもキリスト教を信仰してる人たち、みんな真面目じゃんって。じゃあ味方に引き入れんといかんよねというので、キリスト教については公認するわけですよ。公認されたことによって、ローマ皇帝自身もキリスト教に改宗したりしますからね。
私は君たちが信仰している神様の権威をうしろに控えながら支配をしますからねと。そういう学説も生まれてくるんです。皇帝の権威権力は神から与えられたもの、イエス様から与えられたものであると。だから皇帝陛下の背後には神様がいらっしゃるよと。
中島:
こう考えたらすごい話だなと思うんですけど、宗教ってやっぱり大変なときによりどころにするというところがあるんですけど、そういう人をまとめるときとか、システムにも使われたりするというところがちょっとなんか。
青木:
そうですね。悪意を持った政治家たちによって利用されてきた歴史も実際ありますからね。
中島:
実際ありますよね。
青木:
一方で本当に心が折れそうな人たちを支えてきたというのもあるんです。前にこのチャンネルで言ったかもしれんけど、カトリック教会がなんで世界でこれだけ尊敬、特にローマ教皇さんがこれだけ尊敬されているか。もちろん今頑張ってらっしゃるローマ教皇様たちも偉いんだけど、ちょうどヨーロッパが大変な時期、4、5世紀から数百年間、大変な状況だったんです。飯は食えないわ、異民族がいっぱい来襲してくるわ、イスラム教徒とも喧嘩になるわ。そういう中でヨーロッパって本当に貧しかったので、戦っても負けるし、飯は食えないし、みんな心がポッキリ折れそうだったんです。そのときにカトリックの教会関係者の皆さんが、心の中に神の国があればこの状況を克服できますよと。要するに現実的にはいろいろ大変だけども、それにちゃんと向き合って生きていきましょうと、心の中に神の国という真理があれば生きていけますよと。
これ実は中国も一緒なんですよ。中国が、いわゆる漢が滅亡して三国時代になるじゃないですか。あのあと大混乱になるんですね。そのときにすでに伝わってきていたはずの仏教が急速に人々の間に広まっていく。
だから混乱した時期ほど、仏教は一神教とは言えませんけども、混乱したときほど宗教の力というのは大きいんですね。本当に今こそ日本なんかも混乱してるので、今こそ仏教の登場じゃないかなとちょっと思っちゃったりするんですけど。
中島:
ちょっと話が横道に逸れましたけれども、次回また立て直してお届けすることにします。
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