加藤友三郎内閣は、1922年6月12日に発足しました。
6月12日は、「恋人の日」らしいです。この恋人の日ですが、なんか全国額縁組合連合会が1988年につくったものらしいです。
いろいろな業界が、愚民どもにカネを使わせるために、ありとあらゆる記念日をでっち上げていくこと自体は、古今東西の世の常というものですが、、、額縁⁉
が、、、がくぶち??
あまりの意味の分からなさに、つい、その額縁ジャンキーどものホームページをのぞいてしまいました。
このホームページによると、この全国額縁組合連合会は「額縁物品税が全面的に撤廃された、昭和41年春、撤廃運動のため結集した力を、ここで解散させることなく、むしろこれを基盤に、全国の額縁業者が、さらに大同団結して、業界の繁栄に努めることを目的に掲げ」て設立したんだそうです。
なるほど。額縁業界の繁栄という崇高なる使命に燃えたぎった方々なんですね。
……で、恋人は???
もしかして、2次元でもなく、2.5次元でもなく、額縁が恋人ということでしょうか?? これは、もしかして人類は新たな領域に到達したんでしょうか。
よく分かりません。
……あ、今ひらめいた! いろんな額縁を擬人化して、かわいい女の子にするんです! 「額コレ」です!「額縁乱舞」です!
誰か、額コレを商品化するときは、私にアイディア料を払ってくださいね。
これだけでは、いかんともしがたいので、もう少しホームページを探してみました。
すると、、、ありました。ありましたよ。
どうやら、恋人の日というのは、ブラジルに「家族や友人、恋人同士との縁を深めるためにフォトフレームを送りあう習慣」があること(もちろん真偽不明)にちなんで、つくったそうです。なるほどブラジルにある年中行事(真偽不明)を引っ張ってきたんですね。浅草サンバカーニバルみたいなもんです。
Unhappily we are so weak that we find it easier to believe and speak evil of others, rather than good.
(悲しいことに、私たちはとても弱いため、あることを簡単に信じ込み、他の人を善く言わずに、悪口を言ってしまいがちです。(by トマス・ア・ケンピス(1379/80-1471)))
この、額縁サンバカーニバルが世に広まって、6月が近づいてきたら、街中で額縁イルミネーションが輝いて、たくさんのお店屋さんが額縁を山ほどディスプレイして、世の中のカップルどもが大金だして本命額縁を贈り、社会人や学生は義理額縁や友額縁を贈らなければいけないという同調圧力にさらされ、結婚するときは給料三ヶ月分の結婚額縁を贈らされるという、明るい未来を夢見る全国額縁組合連合会を、のぶたは応援しています。
なんのブログでしたっけ?
加藤友三郎は、1861年に生まれました。広島の下級藩士の子でした。
23歳のころに海軍兵学校を卒業して、その後は海軍でキャリアを重ねます。日清戦争の黄海海戦や、日露戦争の日本海海戦にも出陣して、大いに活躍したそうです。
1921年のワシントン会議には、日本主席全権として出席しました。加藤友三郎は非常に痩せていたため、その様相を列強の記者は「ロウソク」とよんでバカにしていたそうです。ナメた話ですね。
Just because you are strong, doesn't mean you can just shit on everyone else.
(強いというだけで皆を見下せるということではない。)
ところが、加藤友三郎は会議で積極的に軍備縮小に賛成したことから、今度は「危機の世界を明るく照らす偉大なロウソク」と褒められたそうです。
……オマエ、ぜったいバカにしてるだろ。
そして、ワシントン会議が終わって間もなく、高橋是清内閣が瓦解したため、加藤友三郎が内閣を発足させたのでした。
総理就任中、加藤はワシントン会議の決定に従って海軍の軍縮を推進しますが、翌年にガンでなくなります。加藤は初めて在任中に病死した首相ですが、どうやら首相に就任したときには、すでに肝臓がんを患っていたようです。海軍時代から、加藤友三郎は大酒飲みで有名でした。
こうして、加藤が亡くなった8日後、首相不在のまま、日本は関東大震災に襲われることになるのです。
最後に、がんばって探してみました。
コロンビアでは、12月7日を「ロウソクの日(Dia de las velitas)」といって、ロウソクを灯すのだそうです。
参考元:ボゴタ日記
いつの日か、全日本ローソク工業会がこの日に目をつけることを願っています。のぶたは全日本ローソク工業会も応援しています。
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