第1次西園寺公望内閣は、1906年の1月7日に発足しました。西園寺は公家なので、薩長出身ではない総理大臣が誕生したということになります。
《英語訳してみよう》
好戦的な国民など存在しない。好戦的なリーダー達がいるだけだ。
最後の元老というのが、西園寺公望のキャッチフレーズです。元老というのは、平たく言えば、元総理大臣とかの影の権力者です。
元老となった西園寺公望は、90歳になるまで首相を指名し続けました。西園寺は1940年11月に死去するんですけど、生まれはなんと1849年です。1864年の禁門の変とかは、公望ボーイが15歳位のころ、そのおうちの前が戦場になっています。
90年以上の人生って長いですよね。西園寺公望は大政奉還のときはもう18歳くらいになっていて、なんとその目で日独伊三国同盟とか大政翼賛会まで見たってことです。ちなみに、今年2019年に90歳になる人が18歳のときといえば、1947年です。今年90歳の人達は、東京大空襲とか原爆とかのときには、もう16歳だったんですね。
西園寺公望は、ビジュアル的には、若いときも年を取ったときも、圧倒的な悪役感がただよってますね。
西園寺は、公家とか元老とか、ものすごい保守的なキーワードが並ぶ人なんですが、政治家の中でも海外経験の長さはトップクラスの国際派です。20代はほとんど海外留学していました。9年半も。そして、30代も海外駐在ばっかり。民権主義者の中江兆民とも仲が良くて、『東洋自由新聞』を創刊したりしました。
昭和に入ってから軍国主義が高まってくると、
軍国主義や国家主義を嫌い、軍人も嫌っていた西園寺は次のような言葉を残したと言われています。
「これで日本も滅びるのや、いまから覚悟を固めておくことどすな。」
・・・「どす」! さすが、京都生まれの公家ですね。
《英語訳》
There are no warlike people – just warlike leaders.
(by Ralph Bunche)
ラルフ・バンチは米国の政治学者で外交官。黒人としてはじめてのノーベル平和賞受賞者。
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