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【日本史研究会日記】2025年12月まとめ

更新日:2025年12月18日

【目次・読んだ史料】

第1週:『鉄炮記』「徴兵告諭」

第2週:『信長公記』『直毘霊』

第3週:『続日本紀』

第4週:おやすみ


【第1週】

要約

鉄砲の伝来と歴史的影響

のぶた先生は154ページの「鉄砲の伝来」について説明し、1660年に種子島の串が鉄砲の伝来を記念して出店したことを紹介した。のぶた先生は、16世紀の世界情勢下、ポルトガル人が種子島に漂着し、火縄銃をもたらしたことで日本人の生活に大きな影響を与えたと述べた。Tは8月25日の秋について話し、西村の入り江に大きな船が来て、船の国籍は不明であることを説明した。のぶた先生は旧暦の季節の区分について説明し、10月が春、4月が夏、9月・10月が秋、12月が冬であることを述べた。


物の形状と寸法の議論

のぶた先生とT、Kが物の形状と寸法について議論した。のぶた先生は23尺の長さと0尺について説明し、外側が直線で中が空洞である特徴を強調した。Kは比類のない(比例するべきでない)という概念について質問し、のぶた先生は比類のないことを説明した。


鉛製銃弾の技術的特性

のぶた先生とTは、鉛が銃弾として使用される理由について議論した。のぶた先生は、鉛が加工しやすく、曲がる性質があり、鉄や銅よりも適していることを説明した。議論では、鉛の供給状況や戦場での補充方法についても触れられた。


鉄砲と鉛の歴史的伝播

のぶた先生は鉛の重量が鉄砲の命中率に重要であることを説明し、西日本では外国から鉛を輸入していたが、東日本では鉄や銅が主に使用されていたことを述べた。Kは鉄砲の使用方法について詳しく説明し、目標を絞って狙う重要性を強調した。のぶた先生は中国人王直がポルトガル人を乗せて五島列島に来て鉄砲を伝えたという歴史的な情報を共有し、現在の研究では北部九州経由での伝播も可能性があると述べた。


明治徴兵制度の歴史説明

のぶた先生は、明治時代の徴兵制度について説明し、富国強兵の政策下で国民開兵の concept が導入されたことを述べた。彼は、徴兵制の実施に伴い労働力の奪取による農民の不満、そして血税一揆の起きについて言及した。Kは、武士の制度について説明し、政府がそのような罪を問わないという状況を指摘した。


領土変動と市民権の議論

Tは近世以降の領土変動について説明し、版籍奉還と明治維新の違いについて議論した。のぶた先生は1871年が真備の年であることを確認し、藩から県への移行と中央集権化の変化について解説した。Kは市民の自由権の拡大と武士の給与削減について言及し、刀剣の携行制限の解除が市民の自由権を確保することになったと述べた。


日本古文書翻訳討議会

のぶた先生とT、Kが日本の古文書の翻訳と解釈について議論した。のぶた先生は「上下を平等にして人権を一つにする」という文言について、消化を平均することや統一することの意味を検討し、最終的に平等の概念で翻訳することを提案した。Kは「天地の環一時」という文言を読み上げ、のぶた先生はこれを「一字一物として杖をあららざるを得なし」と翻訳した。


古代ローマ税制学習セッション

のぶた先生がT、T、Kの生徒たちと古代ローマの税制についての学習セッションを実施した。生徒たちは「欠税」という概念の意味と、西洋人が血税と呼んでいたことについて議論し、ローマ帝国での使用例を確認した。のぶた先生は来週の学習内容をTが選ぶことを決定し、Tが担当することになった。


【第2週】

要約

国学の発達と教えの議論

のぶた先生が国学の発達について説明し、孔子や孟子の教えに反対して日本古来の精神に戻ることを説いた国学者について話した。参加者たちはTさんが読み上げた文書の内容を議論し、聖人や庶民が理解できるかどうかについて意見を交換した。のぶた先生は聖人の言葉を完全に信じることは愚かであると説明し、最終的に文書の読み方や語彙について詳細な議論が行われた。


教育方法と翻訳の議論

この会議では、Tとのぶた先生が教育方法について議論し、自然な方法を維持することの重要性を強調した。のぶた先生は、過度に複雑な教えを避け、簡潔な翻訳を心がけるべきだと助言した。Fは古い文化についての質問をし、のぶた先生は儒教の影響について説明し、適切な文脈での翻訳の重要性を強調した。


道の概念と進むことの重要性

Iとのぶた先生は、道という概念について議論し、満ち足ることなく進むことの重要性について話し合った。のぶた先生は、道という言葉が縮まって帯同(ちょうどう)と呼ばれるようになったことを説明し、字の意味ではなく道の意味を強調した。会議の最後に、参加者たちは議論の方向性について意見を述べることになったが、具体的な内容は記録されていない。


日本仏教史と神話討議

Iは日本の仏教史についての資料について議論し、平安時代から鎌倉時代にかけての中国の施設が日本に来て日本の仏教伝統が続いていることを言及した。のぶた先生は雨土の断りについて説明し、神の仕業である真理は「道」という言葉では表せないと述べた。のぶた先生は日本神話の雨土の概念について、神話が始まる前に神々が分かれていたことを指摘し、神話の最初の部分についての疑問を提起した。


アニミズムとマナイズムの議論

のぶた先生はIの議論についてアニミズムの概念を明確にし、アニミズムが自然の各物体に人格的な霊魂が宿るという考え方であると説明した。のぶた先生はさらに、アニミズムと対比されるマナイズムについても説明し、非人格的なエネルギーに焦点を当てることを強調した。のぶた先生は学生たちに、理解できていない理屈で国を建てようとするのではなく、自然に従う大らかな方法論を推奨した。最後に、のぶた先生は学生たちに資料をじっくり読むことを勧め、次の議論ではFの資料を選ぶことを決定した。


織田信長と延暦寺の焼き討ち

のぶた先生は延暦寺の焼き討ちについて説明し、信長が伝統的な権威を否定し、新しい経済や社会を積極的に作ろうとしたことが織田信長が他の戦国大名を圧倒した理由の一つだったと述べた。のぶた先生は現在の研究では信長が伝統的権威を大胆に否定したと考えられていたが、最近の研究では信長が仏教と共存しようとしていたと変更されていることを説明した。のぶた先生は延暦寺の根本中堂と山王の21社について議論し、次回の研究会で詳細を詰めることになった。


【第3週】

古事記と遣唐使の歴史

のぶた先生が古事記日本書紀について説明し、奈良時代の歴史を記録した重要な資料であることを紹介した。のぶた先生は遣唐使の目的と影響についても説明し、717年と733年の遣唐使が日本の律令国家の繁栄に重要な役割を果たしたことを述べた。のぶた先生は最後にFさんに話の続きを依頼した。


古文書翻訳討論会議

この会議では、Fとのぶた先生が古文書の翻訳について議論し、特に「タジヒロマヒトヒロナリ」という人物について話し合った。のぶた先生は大学ゼミでの質問例を参考にし、文書の順番を保つ重要性を強調した。Tが参加し、ヒロナの船で115人が漂着したという情報を共有し、インドシナ半島の国から日本までの移住について話し合った。


文言翻訳の議論会議

のぶた先生とFは、文言の翻訳について議論し、"皇室せられる"という表現の意味や、原文の構造について検討した。のぶた先生は、受け身の表現の使い方や、"来り囲む"と"囲まれる"の違いについて疑問を提起し、原文の正確な意味を調べる必要があると述べた。武内は、店員や人々が殺されるか逃げるかの状況について言及した。


古代読み方と牢屋の状況

のぶた先生は猿での受け身について話し、殺された人と逃げた人の両方がいたことを説明した。Fは九九四人のデータについて報告し、月で死亡する人数と热やうつ病による死亡について言及した。Tは四人が死をまぬがれ、腫瘍も免れ、機会を得たことを述べた。のぶた先生は訓読みと音読みの使い分けについて説明し、古代から中世にかけての読み方の変化について話した。最後に、古代の牢屋の状況について言及し、約一メートル四方の小さな空間でトイレがなく、垂れ流しでご飯のみが提供されていたことを説明した。


東北研修と文化的背景議論

のぶた先生は、東北研修の七人について話し、九州から来た人々の文化的背景と彼らの行動について議論した。のぶた先生は「熟蝦夷」という用語について説明し、中国文化に慣れた人々を指すという意味を説明した。最後に、のぶた先生はFに話を移し、次の話題に進むことを伝えた。


中国入庁と帰国計画議論

のぶた先生とTは、中国の朝廷への入庁について議論し、日本の学生阿部の仲間が中国皇帝に申し上げることの意味を検討した。のぶた先生は、阿部の仲間が中国の朝廷に入り、皇帝に対して次のことを願うという段階的なプロセスを説明した。Tは、日本に帰りたいと申請したことを述べ、のぶた先生は地図で現在の位置と経由での帰路について質問した。


海出航と国境関係議論

のぶた先生が海からの出航について議論をリードし、Tが東州から海に出たことを報告した。Fは5月に国境にいたことを共有し、他国との友好関係を求める意味について議論した。のぶた先生は文書の翻訳について指導し、死者を使わせて他国を訪問するという意味を説明した。


古代日本の海上輸送教材

のぶた先生は、古代の日本の船出と海上輸送について教え、特に北海からの船が冬の季節風を利用して日本に来ることを説明した。Fは古代の文書で40人という数字がよく出てくることを確認し、のぶた先生はこの数字は10、20、30、40という単位システムに基づいていると説明した。次回の教材として遣隋使に関する資料が選ばれ、1月7日の年明けに次の授業が予定されていることが決まった。


【第4週】




 
 
 

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