top of page

歴史部通信:9月12日号

9月12日
読了時間: 3分


【(9月14日~9月17日)の予定:日本史】

月:「月曜日_05.武家社会の成長」室町時代の文化

火:「火曜日_10.2つの世界大戦とアジア」ワシントン会議

水:「水曜日_09.近代国家の発展」地租改正

木:「木曜日_02.律令国家の形成」弘仁・貞観文化



個別授業(探究コース・テスト対策コース)の予約方法が変わりました。

①探究コース:自由研究・レポート作成・史料読解など→ストアカ

②テスト対策コース:歴史能力検定対策・受験対策・大学受験論述対策など→ストアカ

※上記のリンクからアクセスしないと割引になりませんので、ご注意ください。



【質問調査結果】

Q:シベリア出兵の時の、チェコ軍の撤収時期は?

シベリア出兵の共同出兵の名目は、ロシア内のチェコ軍救出でした。

では、チェコ軍はどうなったかというと


チェコ国防省系の軍事史研究所(Vojenský historický ústav Praha)の資料では、戦闘部隊の本格的な撤収は1919年12月9日に始まりました。第1チェコスロヴァキア狙撃連隊の一部が日本船「Yonan Maru」でウラジオストクを出航しています。


その後、1920年2月7日に赤軍側との休戦が成立し、シベリア各地にいた軍団は東へ移動します。最後のチェコスロヴァキア軍の列車がイルクーツクを出たのは1920年3月1日で、5月末までには各部隊がウラジオストクへ集結しました。


撤収は順次行われ、最後の正規連隊である第12チェコスロヴァキア狙撃連隊が出航したのは1920年7月21日でした。ただし、これで撤収がすべて終了したわけではありません。残っていた兵員や関係者の輸送が続きます。

そして、1920年9月2日、アメリカ船「Heffron」が最後のチェコスロヴァキア輸送隊を乗せてウラジオストクを出航しました。


つまり、チェコスロヴァキア軍団は1919年末からウラジオストク経由で撤収を開始し、1920年9月2日、最後の輸送船がウラジオストクを出航して撤収を完了したのでした。

Q:シベリア出兵の「出兵費」と「戦費」は違うのか? 費用の内訳は?

「出兵費」というと、通常、軍隊をシベリアへ派遣し、駐留・作戦・撤収させるために直接必要だった経費を指すことが多いです。

これに対して「戦費」はもっと広く、軍事行動のため国家が負担した戦時支出全般を意味します。


防衛研究所の小野圭司の推計では、シベリア出兵の「出兵費」は7億円なので、よく見る10億円という数字は「戦費」を指すと考えるべきです。

なので、歴史部で使用したテキストは、✕「出兵費は10億…」→◯「戦費は10億…」と修正しておきました。すみません。


以下が内訳です。全体8.8億のうち、1.7億は第一次世界大戦のものですが、イメージはつかめると思います。

支出項目  金額  構成比

兵員関係  約2億8,715万円 32.6%

兵器調達・維持修理 約2億1,341万円 24.2%

輸送費・旅費  約1億6,882万円 19.1%

需品関係  約8,759万円  9.9%

建築関係  約4,730万円  5.4%

その他  約7,740万円  約8.8%

計 約8億8,166万円 100%

コメント


bottom of page