世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの「青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。
(前回の記事「【パレスチナ問題②】なぜ世界はユダヤ人の肩をもつ?」はこちら)
動画版:「【パレスチナ問題③】第3次中東戦争とテロ」
中島:
歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。
パレスチナ問題、見ておりますけれども、イスラエルの建国ということで、そこにもともと住んでいたイスラム系アラブ人のパレスチナ人の人たちがヨルダン川西岸、そしてガザ地区というところに押し込められた。というところでのイスラエル建国という話になりました。そのあと。
青木:
これが1948年で、その8年後、1956年に第二次中東戦争が起きる。これは舞台はエジプトで、エジプトにナセルという大統領、有名な大統領ですよね。彼がスエズ運河の国有化というのをやるんです。スエズ運河ってエジプトにあるけれども、運営会社の利権というのはイギリスとフランスが握っていたんです。スエズ運河を通る船の通行料の90%以上はエジプトに入らずにイギリスとフランスが持って行っちゃう。これにナセルさんが頭に来て「スエズ運河はエジプト国民の財産である」と。スエズ運河の国有化をやる。これにイギリスとフランスが激怒。イスラエルを引きずり込んで「お前もエジプトとは国境紛争なんか起きてるよね、ここらでエジプトのリーダー、ナセルに一発食らわせてやろうぜ」「良いですね」ということで、イギリス・フランス・イスラエルとエジプトが1956年にぶつかるんです。

軍事的にはエジプトのほうが劣勢だったんですけども、イギリス・フランス・イスラエルの行為、これは侵略ではないかと国際的な非難が高まった。ついでに言うとアメリカも事前に軍事侵攻作戦のことをあまり知らされていなかった。「勝手なことすんなよコラ」と。当時の大統領はアイゼンハワーなんですけど、アイゼンハワーが「お前ら、イギリスとフランス、お前らのために俺はノルマンディーに行ったわけじゃねえぞ」と言ったとか言わなかったとか。

だから第二次中東戦争ってイスラエル・イギリス・フランスとエジプトがぶつかっちゃうけども、政治的にはエジプトのほうが勝った形になる。ナセルはイギリスやフランスやイスラエルに対して一歩も引かなかった英雄として盛り上がっていくわけです。ナセルはアラブ世界の英雄になるわけ。
一方でイスラエルは「余計な戦争に首突っ込んじゃったな」と。
中島:
もともとは首突っ込まなくてもよかったのに焚き付けられたってことですよね。
青木:
そうそう。一方のアラブの側はナセルを中心に団結が高まっていった。これにイスラエルが恐怖感を持って。
中島:
アラブが団結することに。
青木:
うん、ナセルを中心にね。それにビビって、団結が固められる前に一泡吹かせてやると。こうして1967年に第三次中東戦争が起きるんです。
これはイスラエル大勝利です。不意をつかれたまわりのアラブの国々も完全に奇襲攻撃をされるんです。壊滅ですね。
中島:
そんなことが許されるんですね。恐怖を感じる、利権とかそういうことで。
青木:
ないですね。ちょっと単純化してしゃべってるんですけど。
中島:
なるほどなるほど。いろんなことがあるけれども。
青木:
なんだかんだはあったんですけどね。基本的にイスラエルが戦争に踏み切った最大の原因はそこですね。アラブの民族主義が結束する前に一泡吹かせてやる。
勝ったイスラエルがどうしたかというと、ガーンと領土を増やすわけですよ。まずエジプトからはシナイ半島を奪い取る。シリアからはゴラン高原ですね。そしてガザ地区とヨルダン川西岸地区、本来はパレスチナ人のものなんですがこれも占領してしまう。

中島:
え、そうなんですか。
青木:
全部占領しちゃうんです。
中島:
パレスチナの人たちはどうすれば良いんですか?
青木:
イスラエル軍の支配下に置かれてしまうんです。
中島:
なるほど。自分たちが自治をやっていたところがイスラエルという国になっちゃうということですか?
青木:
うん。もちろん国際社会はこれを認めなくて、国連安保理決議の第242号というのがありまして、「イスラエル軍よ、早く占領地から撤退しなさい。あなたたちの占領は不法占領である」と。
中島:
ヨルダン川西岸とガザ地区は不法占領だよと。
青木:
しかしそれをイスラエルはずっと無視し続けるんですね。ついでに言うとエルサレム。ちょうど場所的にはこのあたりになるんです。パレスチナ問題を語る回の最初に中島さんがおっしゃったように、エルサレムってユダヤ教、キリスト教、イスラム教、3つの宗教にとって聖地であると。よって、どこかの国の首都になることは認めないというのが国際社会のルールだったんです、国際連合の。

パレスチナ分割案を国際連合が出したときも、エルサレムについてはそういう由緒ある街だから国際管理地域とすると。これをイスラエルは無視して全域を占領しちゃったんですね。これまでテルアビブに首都機能があったんだけどもエルサレムに首都機能を移しますと。
これについては現在に至るも、、、アメリカは認めてますけども。
中島:
トランプさんが認めちゃったんですよ。
青木:
これは実は民主党の時代からそれについてはOKしようという声があったんです。アメリカ国内のユダヤ勢力を味方にしないと大統領選挙に勝てないというのは共和党も民主党も一緒なので。90年代にクリントン政権のときにテルアビブからエルサレムに都を移すことについてはOKしようという法律もできてるんですよ。
ただこの問題に関しては日本を含めて国際社会が認めていない。とにかく征服しちゃったわけですね。
するとどうなったかというと、このあとにイスラエル本国と言って良いのかな、イスラエル本国からヨルダン川西岸地区にユダヤ人の入植が始まっていく。ガザ地区はもともと人口がすごく多かったのでユダヤ人が入り込める隙があまりなかったんです。
中島:
単純な土地問題というわけですね。
青木:
これに対してヨルダン川西岸地区はそれほど人口が密じゃなかったので、そこにイスラエル本国から若くて貧しいユダヤ人たちが入植していくわけ。イスラエル政府もそれを推奨するんです。
こうして本来パレスチナ人が住む場所だったヨルダン川西岸地区にユダヤ人がどんどん増えていくんですね。
中島:
でもそうなったらその街で、危険な感じがしますよね。
青木:
危険な感じがしますよね。だからイスラエルってもともと戦争を通じてできた国だから、みんな軍事教練とかやってますからね、国民は。韓国と一緒ですよ。準戦時体制なので、あの国は、常に。
そういうことで第三次中東戦争はイスラエルの圧倒的勝利。敗北したアラブの国々、どうしたかというと、実はアラブといえば石油が出る国が多いじゃないですか。このときに実は石油戦略を発動しようとしたんです。パレスチナ人をいじめているイスラエルに対して石油戦略を発動してイスラエルおよびイスラエルと仲の良い国には石油を売らないとやろうとしたんですが、足並みが揃わなかった。
アジアアフリカ、それからラテンアメリカの産油国がOPECという組織、石油輸出国機構。1960年に結成したんですが、その中にサウジアラビアとかクウェートも入っていたんです、アラブの国々が。石油戦略の発動を提案したんだけども、ベネズエラとかがこれを拒否するんです。
中島:
これはまったく違うところにありますからね。
青木:
別にパレスチナ人の肩を持つ必要はないし、イスラエルやアメリカを敵に回したくないしというのがあって、ベネズエラなんかは反対していたわけ。というのでこの第三次中東戦争のあとにサウジアラビアなんかが動いてOAPECという組織を作るわけです。
中島:
OPECじゃなくてOAPEC。アラブの人たちの産油国の組織ということなんですね。
青木:
できるんですよ。一方アラブ勢力は負けるじゃないですか。パレスチナ人の武装勢力も敗北してどうなるかというと、ヨルダン川西岸地区やガザ地区に住んでいられなくなるわけですね。というので北側にあるレバノンとか、東側にあるヨルダンなんかにパレスチナ人の武装勢力が移っていくわけですね。するとこれがレバノン政府軍やヨルダンの政府軍との間に確執が出てくるわけ、武装勢力と。
武器を持った人たちが大量に入ってくることについてはレバノンもヨルダンもあんまり良い気持ちじゃなかったんですね。
中島:
それはそうでしょうね。
青木:
なにが起きたかというと、虐殺事件が起きるわけです。パレスチナ人からすれば敵はイスラエルと背後にいるアメリカだと思っていたのに、アラブの同胞の中にも我々を弾圧する連中がいると。彼らパレスチナ人の間に孤立感がずっと高まっていくんです。そういう中で彼らがどういうことをやったかというと、戦う方法、これはテロしかないと。このあたりからハイジャック事件が横行するようになるわけです。その一番凄惨な事件というのが1972年のミュンヘンオリンピック村襲撃事件ですね。

中島:
「ミュンヘン」という映画が撮られているんですけど、この全編ずっと暗いんですけど、オリンピックの選手村にワッと襲撃し、イスラエルの選手を襲うんですよね。
青木:
黒い九月という組織が4人で突入してイスラエルのレスリングの選手とコーチかな、人質に取るわけ。パレスチナゲリラを解放しろという要求をイスラエル政府に出す。イスラエル政府はこれを拒否する。なんだかんだで結局その人質の11人は全員射殺される。
高校1年生だったんですよ。ミュンヘンオリンピック、日本が確か金メダルを11個獲ったもんね。非常に印象深いオリンピックだったんですけども、その人質、殺された次の次の日ぐらいだったかな、当時のIOCのブランデージという会長、アメリカ人だったんですけど、追悼式で「オリンピックは平和の祭典である。よって数人のテロリストによって中止されるべきではない」と。「我々は涙を拭ってオリンピックを続けるべきだ」という演説をしています。スタジアムにベルリンフィルの人たちが来て、炎天下でベートーヴェンの第三交響曲の第二楽章を演奏したんです。炎天下で楽器を持って行ったらパーになるじゃないですか。それを見てびっくりしたんです。「こうやるんだ」と思ってね。そんな話も。

中島:
本当になんというか、血で血を洗う話に今から、しかもこれがここで留まらずにどんどんいろんなところに飛び火して、いろんなことを考える人たちが大変なことを起こしていくという話になります。
青木:
とりあえず第三次中東戦争までお話しました。
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