世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの「青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。
(前回の記事「ウクライナ⑤-ナチス゠ドイツの侵略」はこちら)
動画版:「ウクライナ⑥-戦後のウクライナ」
中島:
歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。
青木:
お願いします。
中島:
ロシアとかウクライナとかであんまり現代史が、どっちかというと自分たちに都合の良い教科書で学んでいるんじゃないかというところは、我々もこのチャンネルをやるにあたって、やっぱりダメだったものを学んでそうじゃないふうに未来をしていかなきゃねというところですからね。
青木:
それが歴史を勉強する一番大きな目標ですよ。
中島:
そうですよね。
青木:
ということで、今日は第二次世界大戦後のウクライナを中心とした地域の歴史なんですが、ナチスドイツを打ち破ったあとのウクライナは従来通りソビエト連邦のいち共和国として、ほとんど自治権なんかないんだけども。
中島:
いち共和国と言いながらも、ソ連という国の一部ですよね。
青木:
どうなったか。まず戦後直後、また飢饉が起こります。1946年から47年ですね。これはウクライナだけじゃなくて戦後の不作なんかもあって、ウクライナが、数えられるだけでも三度目の、20世紀3度目の飢饉に陥ってしまうと。
そのウクライナで結構、第二次世界大戦、ソビエト連邦自身も動揺したので、これをチャンスだと思って独立運動をやる人たちが出てくるんです。これはウクライナ蜂起軍といって、略称がUPAといって、1940年代後半にかなりソ連というか共産党政権を苦しめるんです。散発的な戦いまで含めると戦後10年間、1955年ぐらいまで続いていくんですよ。だから結構ウクライナというのは。
中島:
分離独立を求めてずっと。
青木:
強い意志がかなりあったと。一方、先ほど言ったようにソビエト連邦自身、第二次世界大戦で大きな被害を受けるというので、国際連合ができるときにスターリンがなんと言ったかというと、俺たちに3票くれと。ソ連全体と、特に被害を受けたベラルーシとウクライナには国連の代表権をくれと。これが通るんです。
だからソ連の一部だったけども、ウクライナとベラルーシというのは国連の代表国の権利があった。
中島:
本当にご都合主義ですね。自分の国の一部にしてたりとか、国際的には票が欲しいから1票ずつくれと言ったり。
青木:
そうですね。ちなみに戦後、戦争が終わったのが1945年なんだけども、53年にスターリンが亡くなるわけです。フルシチョフという人が実権を握るわけですよ。そのフルシチョフが1954年に、もともとソ連領だったクリミア半島をウクライナに併合してやるんです。もともとクリミアって黒海に突き出た半島でしょ。軍事的な軍港なんかもあるんです、セバストポリなんてね。
中島:
海にロシアが出られないというところで。
青木:
だからウクライナ共和国の中に入ってなかったんですよ。そこをウクライナ共和国のいち領土として併合して、合併させるんです。目的はなにかというと、クリミアってロシア系住民がめちゃくちゃ多いんです。ロシア系住民が多いクリミアをウクライナの一部にすることによって、ウクライナの
中島:
自由にさせないということですか。
青木:
そうそう。
中島:
ひどいなあ。
青木:
そういう政策。クリミア半島をプーチンが併合したじゃないですか、侵攻して、2014年かな。
中島:
あのときはあそこにいるロシア系の住民を助けるというところで勝手にいっちゃいましたからね。
青木:
ほとんどウクライナ軍の抵抗もなかったし、戦闘もほとんど行われてないんですよね。変な言い方になるけどスムーズにクリミア半島に関しては併合したわけですね。
背景としてはもともとソ連領でウクライナにくっつけた。ソ連の一部として工業化もある程度進められていくけども、一方ではやっぱり穀物を生産。1回目にやりましたようにひまわり油、こういったものの生産が続いてきたわけです。
が、1980年代に入ってソ連全体がおかしくなっていって、どうしてもやっぱり西側に敵わないと、経済も破綻していくという中で、1989年に冷戦の終結が宣言され、2年後の1991年にソビエト連邦自身も崩壊するわけです。解体消滅するわけですよ。
中島:
すごいことでしたね。
青木:
30年前ですけどね。
中島:
「あー、そうなんだ」って。僕はまだ20代前半、半ばぐらいだったので、大学卒業してこんなドイツの壁がとか、ソ連崩壊って。
青木:
僕も思ったですよ。歴史が動くときって専門家と言われる人間、僕は専門家じゃないけど、専門家と言われる人間の予測をはるかに超えたスピードで事態は動いていくというね。
中島:
だからたかだか30年ぐらいのものだったんですよね。
青木:
ゴルバチョフがペレストロイカを始めてソ連を改革するんだと言ったときに、まさか6年後にソ連自身がなくなるなんて誰が思ったかということですよ。
結局ソ連は崩壊する。ソ連が崩壊したというのは言い換えると、共産党が支配していた体制が崩壊するということです。ソ連の崩壊はイコール共産党の支配体制の崩壊だったんです。じゃあソビエト連邦を構成していた国々はどうなるのか。
中島:
ベラルーシとかウクライナとかバルト三国とかっていうことですよね。
青木:
バルト三国は1940年にソ連に無理やり軍事的に併合されたところなので、民族的にもスラヴ系の人たちはあまり住んでいないので、我々はもう旧ソ連の連中とは一切関係は持ちたくないといって離れていっちゃう。残った12の共和国は、これまでそこそこ連携があってやってきたので、完全にバラバラになるとマイナスのほうが大きいんじゃないかということがあって、12の旧ソ連領の12の共和国は独立国家共同体という緩い国家連合組織を作るわけ。
もともとは独立国家共同体じゃなくて、民主国家共同体という名前にしようとしたらしいんです。それを初代のウクライナも、ソ連崩壊後の最初の大統領になるウクライナの大統領が「いや、独立国家共同体してくれ」と。「ロシアからは俺たちは完全に独立したんだ」ということを国民にも知らしめたいし、ロシアの皆さんにもわかってほしいというので独立という名前にこだわるんです。ということがゴルゴ13に書いてあった。
中島:
さいとうたかを先生は亡くなりましたけれども、それはそれはいろんな情報を集めて作品にしてらっしゃいましたからね。
青木:
ひとつエクスキューズしておくと、裏が取れなかったんだけども、ゴルゴ13のアナライズウクライナという、第470何話かに出てきますので。やっぱりさいとうたかを先生はすごいです。
中島:
すごいですね。じゃあそういうふうな独立ということでのソ連崩壊だったわけですね。
青木:
そうですね。ウクライナとしては、これまでロシアの言いなり、共産党の言いなりにさせられてきたので、しかもめちゃくちゃ苦しめられたので、できれば西側のほうに近づいていきたいと。これは1991年当初からだったんです。ロシアとは距離を置こうとするとロシアが意地悪するんですね。じゃあ石油はこれまで通りみたいな値段じゃ売ってやらないと。天然ガスもこれまでみたいに安い値段で売ってやらないと。
中島:
ここでやっぱり現代社会は資源がものを言うというところがあるんですよね、穀物を作るにもそのエネルギーがないとやっぱりダメだということなんですよね。
青木:
はい。ぶっちゃけソビエト連邦がなんだかんだで生き延びることができたのも、東ヨーロッパのいわゆる衛星国と言われる国々にエネルギーを供給していたと。安い値段で石油を供給していたというのはあるんですね。これがないと東ヨーロッパの国々も、あるいはソ連邦を構成していた国々も成り立たないと。そこをソ連崩壊後のロシアが継いでくるわけです。あっという間にウクライナは経済混乱に陥っていく。ウクライナ自身がどうなるかというと、やっぱりロシアとはこれまで通りある程度仲良くやっていくべきだよねという連中と、そんなロシアはまっぴらだというふうに国論がだんだん二分されていくわけです。
中島:
これがねえ。
青木:
90年代前半の段階で今のウクライナの状況というか、その雛形が現れてきているという感じですね。
中島:
それからそれこそロシアにとってはそういう衛星国という、庭先のいろんな国が、いわゆる西とか東とかいう言い方が良いのかどうかわかりませんけれども、西側になっていくと、本当に俺たち大丈夫なのかという恐怖心を覚えていくわけですよね。
青木:
そうですよね。それはわからないではないです。
一方ウクライナの経済なんですけども、ロシアとよく似た事態が進行していくんです。なにかというと、今さかんにテレビなんかでも言ってるけど、オリガルヒと言われる新興財閥が台頭していくんです。
ロシアでもウクライナでももともと共産党が政治経済を全部支配していたじゃないですか。工場なんかも工場長は共産党員で、その共産党員が中央からの指令でもって生産したり。その共産党がなくなるとどうなるかというと、もともとの共産党の幹部だった連中が自分が管理運営していた工場なんかの利権をパクっちゃうんですよ。略奪です、はっきり言うと。ロシアでもこれが起こるし、実際に経営権なんかを手にした連中の中で成功した連中が今のロシア経済を動かしているオリガルヒになる。ウクライナも似たようなものなんです。うまく波に乗った連中が、本当は国民全体の資産であった工場なんかを自分のものにしていく。経済の実権を握って政治も動かしていく。で、推移していくわけですね。
2000年代に入って、今のウクライナの状況に直結するような政治的な変動が頻発するようになるわけです。
中島:
2000年代に入ってからを次の回で行きましょうか、よろしくお願いします。
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