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執筆者の写真順大 古川

藤原顕信(苔君) 「光る君へ」人物事典065

更新日:10月27日


【目次】




苔君(藤原顕信):佐藤遙灯

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


藤原道長の三男。母は源明子。のちの藤原顕信。


藤原道長と明子の息子です。兄の頼宗や、弟の能信と違い、約18歳のときに、両親をなげかせます。

最後も父親をなげかせる人です。41話が顕信のクライマックスになると思います。


キャスト1:佐藤遙灯(さとうはると)

スペースクラフト所属の子役です。2015年生まれです。


キャスト2:百瀬朔(ももせさく)

1994年生まれ。兵庫県出身の俳優です。ABPinc.所属です。特技はバイオリン、剣道(初段)、ダンス。趣味は野球観戦、バイオリンとのことです。

大河ドラマは初出演です。



解説:実際の藤原顕信

生年:994年‐没年:1027年


藤原道長明子の息子です。

約18歳のときに、従四位下右馬頭の地位を捨てて、皮堂の行円のもとに赴いて出家します。そういえば、行円は比叡山の横川あたりで、いつも鹿の皮衣をまとったりと奇行が多かった僧侶で、「横川皮仙(よかわのかわひじり)」(出家らしからぬ出家)と呼ばれました。引責出家したはずの定子ちゃんが子を出産したときに、ロバート実資は日記『小右記』で、定子を「横川皮仙」となじりました。顕信は、当時最も悪名高い僧侶のとこに駆け込んだということです。

顕信はそのまま比叡山無動寺に入って、両親をなげかせました。



出家後は、大原で修行を続けますが、万寿四年(1027年)、根本中堂で参籠中に若くして享年34歳で没しました。親の道長よりも先に死んでしまったのです。

親泣かせの人生でしたね。死ぬのは本人のせいではないですが。


約6歳です。今後の活躍に期待です。



41話「揺らぎ」ごろの顕信

約18歳のときに、従四位下右馬頭の地位を捨てて、皮堂の行円のもとに赴いて出家します。そういえば、行円は比叡山の横川あたりで、いつも鹿の皮衣をまとったりと奇行が多かった僧侶で、「横川皮仙(よかわのかわひじり)」(出家らしからぬ出家)と呼ばれました。引責出家したはずの定子ちゃんが子を出産したときに、ロバート実資は日記『小右記』で、定子を「横川皮仙」となじりました。顕信は、当時最も悪名高い僧侶のとこに駆け込んだということです。

顕信はそのまま比叡山無動寺に入って、両親をなげかせました。


その後の顕信

出家後は、大原で修行を続けますが、万寿四年(1027年)、根本中堂で参籠中に若くして享年34歳で没しました。親の道長よりも先に死んでしまったのです。

親泣かせの人生でしたね。死ぬのは本人のせいではないですが。


年表

では、藤原顕信の略年表を示します。年齢は数え年です。


994年:1歳。誕生。

1004年:11歳。叙爵。

1005年:12歳。侍従。

1006年:13歳。左兵衛佐。

1012年:19歳。道長に黙って、突如出家。

1027年:34歳。没。



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