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執筆者の写真順大 古川

藤原教通(せ君) 「光る君へ」人物事典063

更新日:10月27日


【目次】


せ君(藤原教通):北尾いくと

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


藤原道長の五男。母は源倫子。のちの藤原教通。


大人になったら関白になれます。なれますが。。。


キャスト1:北尾いくと(きたおいくと)

モンドラナエンタテインメント所属の子役です。


キャスト2:吉田隼(よしだはやと)

2013年生の子役です。大河ドラマは初出演です。



キャスト3:姫子松柾(ひめこまつ まさき)

2003年生まれで、PINUPS所属です。

大河ドラマは初出演だと思います。



解説:実際の藤原教通

大二条殿とか大二条関白と呼ばれます。藤原道長と倫子の子です。『愚管抄』によると、父道長は教通を「ヨキ子」と思っていたそうです。


教通は兄の頼通と対立しながら、後朱雀・後冷泉両天皇の後宮に娘を入れていましたが、皇子が誕生しませんでした


約72歳にして、兄頼通を継いで冷泉天皇の関白となりますが、2日後に冷泉天皇は崩御します。次は後三条天皇が即位しました。後三条天皇は、三条天皇皇女禎子内親王を母としていました。これは、後三条天皇が宇多天皇以来179年ぶりの藤原氏を外戚に持たない天皇であることを意味しています

後三条天皇は東宮時代に関白頼通から嫌がらせを受けていたこともあり、藤原氏に対する反感が強く、関白教通を抑えて積極的に親政を行いました。こうして、教通は父道長や兄頼通とは違い、力を持たない関白となってしまいました。



晩年には、頼通との約束に従って、頼通の嫡子師実に関白を譲るように求められた。嫡子信長に摂関を譲りたい教通は、これを拒み続けました。ただ、結局は教通の死後に、頼通の子の師実が関白となりました。

なお、『二東記』という日記を残しています。



約4歳です。倫子が「かけくらべが好き」と言っていましたが、大人になった教通のどのエピソードとつながるのかは、まだ調べがついていません。



36話「待ち望まれた日」(1008年)ごろの教通

10月16日、一条天皇と彰子の間に敦成親王が生まれた関係で、従四位下となります。



年表

では、藤原教通の略年表を示します。年齢は数え年です。


996年:1歳。6月7日、誕生。

1006年:11歳。元服。

1010年:15歳。従三位。

1021年:26歳。内大臣。

1047年:52歳。右大臣。

1058年:63歳。従一位。

1060年:65歳。左大臣。

1064年:69歳。兄頼通より氏の長者を譲られる。

1068年:73歳。関白(後冷泉天皇)。(娘の後冷泉天皇女御歓子の立后が契機)

1069年:74歳。関白を辞す。

1070年:75歳。太政大臣。

1071年:76歳。太政大臣を辞す。

1072年:77歳。また関白(白河天皇)。

1075年:80歳。9月25日、没。贈正一位。



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