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執筆者の写真順大 古川

藤原為賢:「光る君へ」人物事典085

更新日:12月1日


【目次】


藤原為賢(ふじわらのためかた)神尾佑

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


藤原隆家と親交のある武者。隆家が大宰府に赴く際に従い、刀伊の入寇の際に軍功を立てる。為賢のもとで、双寿丸は武術の研鑽に打ち込んでいる。


九州の武者です。刀伊の入寇で活躍したヤムゴトナキ武者で、九州の兵士(鎮西平氏)の祖となります。ドラマで引き連れているという双寿丸のモデルはまだ誰か分かりません。


キャスト:神尾佑(かみおゆう)

1970年生まれの俳優です。福島県出身です。

大河ドラマでは『北条時宗』(北条教時)、『利家とまつ』(佐久間盛政)、『龍馬伝』(長崎奉行所役人)、『江』(斎藤利三)、『八重の桜』(近藤勇)に出演しています。




解説:実際の藤原為賢

刀伊の入寇で活躍した九州の武者です。為賢が刀伊の入寇でなにをしたのかについては、下の「刀伊の入寇のときの為賢」に、刀伊の入寇が近づいてきたころに記しますので、ネタバレがいやなかたは、ドラマで刀伊の入寇を取り扱ってから読んでみてください。


桓武平氏の祖高望王の子の、国香の子の、繁栄の子の、維幹の子です。

父親の維幹は常陸国に住んでいて、常陸平氏(常陸大掾)の祖となりますが、維幹の子である為賢は九州の鎮西平氏の祖となります。活動範囲が広いです。




そういえば、為賢の父維幹は1028年に乱を起こした平忠常のライバルで、平忠常の乱のときは3000人を率いて乱の鎮圧に参加しました。

常陸国は平維幹系、平忠常系のほか、伊周に仕えて道長を暗殺しようとした平致頼系とそのライバルで顕光に仕えた平維衡系が入り乱れて仁義なき暴力沙汰を起こしまくっている修羅の国ですね。



なお、父維幹が平忠常の乱の1028年に高齢の65歳で、為賢が維幹20歳のときの子とすれば、為賢は1028年に45歳、賢子がらみなのでもう少し後の1015年に登場するとすれば32歳での登場となります。刀伊の入寇の時点では36歳です。公式のキービジュアルでは、かなりの白髪親父ですね。

追記:1011年に登場しました。とても20代後半とは思えない白さです!



刀伊の入寇のときの為賢

散位です。隆家が九州に下向するときに同伴した可能性も高いといいます。

刀伊の入寇の史料には、矢戦に優れた武者として登場します。隆家が「ヤムゴトナキ武者」と褒め称える武者たちの筆頭だったと考えられます。


4月8日、刀伊軍が筑前国那珂郡能古島に上陸したときに、博多警固所に派遣されました。

4月9日、刀伊軍が再び九州に上陸して博多警固所を攻撃したときに、「帥首」(指揮官)として戦いました。

4月12日、酉刻(夕方6時ごろ)に上陸してきた刀伊軍と戦いました。敵勢を撃退したあと、さらに船30艘で追撃しました。


刀伊の入寇の後は、京都と地方を往復しながら肥前方面に基盤を固めていったようです。九州に土着した可能性もあります。

その末裔は、豊後や薩摩方面に勢力を広げていくことになります。


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