【目次】
大河ドラマ「光る君へ」における禎子内親王
禎子内親王(ていしないしんのう/さだこないしんのう):
未定
キャスト紹介:
未定
解説:実際の禎子内親王・その後の禎子内親王
三条天皇の皇女で、母は道長の次女妍子です。長和2年(1013年)7月6日に、道長の土御門殿で生まれました。
禎子内親王の父親は藤原氏ではありません。この藤原氏摂関家を父にもたない禎子内親王の子・尊仁親王(後三条天皇)が践祚したとき、摂関期は終わりを告げることとなります。
長和二年(1013年)
7月6日、禎子内親王が生まれます。
10月22日、生後わずか4ヵ月で内親王宣下を受けます。この時、禎子の名を賜わりました。
長和四年(1015年)
4月7日、着袴です。
12月27日、准三宮となります。
寛仁元年(1017年)
5月9日、パパの三条院が崩御します。
治安二年(1022年)約28歳
7月、無量寿院が寺号を法成寺と改めて、新仏開眼供養をするので、彰子、妍子、威子、禎子内親王が参加します。
治安三年(1023年)
4月1日、裳着です。一品となります。ちなみに、妍子と禎子内親王は枇杷殿に住んでいて、この日は彰子の京極殿に行って、裳着をしています。『栄華物語』によれば、妍子は、彰子姉さんをはじめ、女房や下仕にまでハデにプレゼントをばらまいています。
万寿四年(1027年)
3月27日、禎子内親王が東宮敦良親王に参入(結婚)します。
9月14日、妍子ママが崩御します。
12月4日、道長じいさんが没します。
長元元年(1028年)
11月9日、枇杷殿が火事になったので、法成寺に遷ります。
長元五年(1032年)
9月13日、娟子を生みます。
長元七年(1034年)
7月18日、彰子の乳母の源行任宅で、尊仁親王(後三条天皇)を生みます。
長元九年(1036年)
4月17日、後朱雀天皇が践祚して、7月10日に即位します。
長元十年/長暦元年(1037年)
正月7日、頼通の養女の嫄子が入内してきます。
2月13日、中宮となります。
3月1日、皇后となります。嫄子が中宮となります。
長暦二年(1038年)
11月25日、尊仁親王が内裏に入って着袴します。
長暦三年(1039年)
6月27日、内裏が火事になります。
8月28日、中宮嫄子が崩御します。
長久元年(1040年)
10月21日、天皇が二条殿内裏に遷ります。たぶん禎子もいっしょです。
12月17日、尊仁親王の七歳対面儀が行われます。
長久二年(1041年)
12月19日、天皇が東宮と新造内裏に遷るので、たぶん禎子もいっしょです。
長久三年(1042年)
12月8日、内裏が火事になります。
長久四年(1043年)
3月23日、天皇が東宮と一条院内裏に遷るので、たぶん禎子もいっしょです。
12月1日、一条院内裏が火事になって、天皇は始め高陽院、次に東三条院に遷ります。いっしょだと思います。
寛徳二年(1045年)
正月16日、後朱雀天皇が譲位して、後冷泉天皇が践祚します。
正月18日、後朱雀院が崩御します。
7月、出家して、妙法覚と号した。妙法覚と号しました。
永承六年(1051年)
2月13日、皇太后となります。
天喜元年(1053年)
6月11日、倫子ばあちゃんが没します。
治暦四年(1068年)
4月17日、後三条天皇の即位に際し、太皇太后となります。
延久元年(1069年)
2月17日、院号宣下をうけ、陽明門院となります。
嘉保元年(1094年)約81歳
正月16日、鴨院で崩御します。鳥部野に葬られます。
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