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禎子内親王 「光る君へ」に出るかもしれない人物事典

執筆者の写真: 順大 古川順大 古川

更新日:2024年10月6日

【目次】

解説:実際の禎子内親王・その後の禎子内親王


禎子内親王(ていしないしんのう/さだこないしんのう):

未定


キャスト紹介:

未定


解説:実際の禎子内親王・その後の禎子内親王

三条天皇の皇女で、母は道長の次女妍子です。長和2年(1013年)7月6日に、道長の土御門殿で生まれました。


禎子内親王の父親は藤原氏ではありません。この藤原氏摂関家を父にもたない禎子内親王の子・尊仁親王(後三条天皇)が践祚したとき、摂関期は終わりを告げることとなります。



長和二年(1013年)

7月6日、禎子内親王が生まれます。

10月22日、生後わずか4ヵ月で内親王宣下を受けます。この時、禎子の名を賜わりました。


長和四年(1015年)

4月7日、着袴です。

12月27日、准三宮となります。


寛仁元年(1017年)

5月9日、パパの三条院が崩御します。


治安二年(1022年)約28歳

7月、無量寿院が寺号を法成寺と改めて、新仏開眼供養をするので、彰子、妍子、威子、禎子内親王が参加します。


治安三年(1023年)

4月1日、裳着です。一品となります。ちなみに、妍子と禎子内親王は枇杷殿に住んでいて、この日は彰子の京極殿に行って、裳着をしています。『栄華物語』によれば、妍子は、彰子姉さんをはじめ、女房や下仕にまでハデにプレゼントをばらまいています。


万寿四年(1027年)

3月27日、禎子内親王が東宮敦良親王に参入(結婚)します。

9月14日、妍子ママが崩御します。

12月4日、道長じいさんが没します。


長元元年(1028年)

11月9日、枇杷殿が火事になったので、法成寺に遷ります。


長元五年(1032年)

9月13日、娟子を生みます。


長元七年(1034年)

7月18日、彰子の乳母の源行任宅で、尊仁親王(後三条天皇)を生みます。


長元九年(1036年)

4月17日、後朱雀天皇が践祚して、7月10日に即位します。


長元十年/長暦元年(1037年)

正月7日、頼通の養女の嫄子が入内してきます。

2月13日、中宮となります。

3月1日、皇后となります。嫄子が中宮となります。


長暦二年(1038年)

11月25日、尊仁親王が内裏に入って着袴します。


長暦三年(1039年)

6月27日、内裏が火事になります。

8月28日、中宮嫄子が崩御します。


長久元年(1040年)

10月21日、天皇が二条殿内裏に遷ります。たぶん禎子もいっしょです。

12月17日、尊仁親王の七歳対面儀が行われます。


長久二年(1041年)

12月19日、天皇が東宮と新造内裏に遷るので、たぶん禎子もいっしょです。


長久三年(1042年)

12月8日、内裏が火事になります。


長久四年(1043年)

3月23日、天皇が東宮と一条院内裏に遷るので、たぶん禎子もいっしょです。

12月1日、一条院内裏が火事になって、天皇は始め高陽院、次に東三条院に遷ります。いっしょだと思います。


寛徳二年(1045年)

正月16日、後朱雀天皇が譲位して、後冷泉天皇が践祚します。

正月18日、後朱雀院が崩御します。

7月、出家して、妙法覚と号した。妙法覚と号しました。


永承六年(1051年)

2月13日、皇太后となります。


天喜元年(1053年)

6月11日、倫子ばあちゃんが没します。


治暦四年(1068年)

4月17日、後三条天皇の即位に際し、太皇太后となります。


延久元年(1069年)

2月17日、院号宣下をうけ、陽明門院となります。


嘉保元年(1094年)約81歳

正月16日、鴨院で崩御します。鳥部野に葬られます。


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