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執筆者の写真順大 古川

隆姫女王:「光る君へ」人物事典089

更新日:10月16日


【目次】


隆姫女王(たかひめじょおう)田中日奈子

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


藤原頼通の妻。62代・村上天皇の第七皇子である具平親王(ともひらしんのう)の長女。


史料によって「隆姫女王」とか「隆子女王」などと表記されているので、調べるのがメンドイ人です。

母は為平親王の娘(中姫君)なので、両親ともに皇族ですね。

頼通よりも3歳年下になります。当時、最初の妻が年下で皇族というのは、かなり珍しいパターンではないでしょうか。ほかに誰かいましたっけねえ。

そういえば、光る君への登場人物の中では一番の長生きかも(享年93歳)。藤原道長が死んだ59年後まで生きています。ちなみに、2024年の59年前って1965年で、2024年に満92歳の人は1932年生まれです。あらためて、数え93年の人生ってスゲえ。。。


キャスト:田中日奈子(たなかひなこ)

血液型A型のモデルです。第14回 ニコラモデルグランプリを獲得しました。オスカー所属でしょうか。




解説:実際の隆姫女王

具平親王の第1王女として、長徳元年(995年)に生まれました。

藤原頼通と結婚して、高倉北政所(きたのまんどころ)と称されました。夫婦仲はかなり良かったようです。

頼通から、高倉第を譲られます。

隆姫は子をもうけず、頼通が新しい妻をもらおうとしたときの、令和のコンプラなら100%アウトな道長のエピソードが有名です。

従一位まで昇ります。寛治元年(1087年)11月22日に死去します。享年93歳と長生きでした。

なお、隆姫女王の妹は敦康親王と結婚します。



その後の隆姫女王

寛弘六年(1009年)約14歳

頼通と結婚します。結婚の様子はとても華やかで当世風。薫香もすばらしかったと『栄花物語』は語ります。

この縁談が持ち上がったときの道長の感想は、「男子の価値は妻次第で決まる。高貴な家に婿取られるべきなのだ」というものでした。実際、道長は結婚当時は明らかに格上の源倫子源明子と結婚しています。また、道長が「倫子ちゃんと結婚してよかった~」と思ってたこともわかります。まあ、出典は『栄花物語』ではあるのですが。。。

なお、『紫式部日記』からは、この縁談のときに道長が紫式部に相談をもちかけたようです。


寛弘七年(1010年)約15歳

5月14日、土御門殿に行き、法華三十講を聴聞します。

7月5日、父親の具平親王が没します。


寛弘八年(1011年)約16歳

8月11日、従四位上となることが決まります。


長和二年(1013年)約18歳

2月28日、園城寺から帰ってきます。


長和四年(1015年)約20歳

10月15日、三条天皇が、娘の禎子内親王と頼通の縁談を道長にもちかけます。正妻の隆姫には子がいないので、当時としてはアリな縁談です(え~、まだ20歳やん。チャンスあるやん)。

ただ、頼通が皇女と結婚すると隆姫は次妻待遇になるらしく、隆姫の母尼は悲しんで食べ物ものどを通らないありさまです。

頼通は隆姫を愛しているので、この縁談がいやで涙ぐみますが、道長は「男子は妻一人だけをもつということはないだろ。愚かしいぞ。今まで子に恵まれていないから、とにかく子を作ることだけ考えろ。禎子内親王はきっと子を生んでくださるさ。」と、令和のコンプラ100%アウトなことを言って、頼通をしかります。

頼通は悩みからか発熱して重体におちいります。道長と倫子が頼通を看病していると、伊周の霊か具平親王の霊が現れます。伊周しつこいなあ。

なんやかんやで縁談は破談となり、頼通はあっさりと回復します。


長和五年(1016年)約21歳

6月23日、園城寺に詣でて、この日から百日間、一日一体の観音像を供養して、女子が生まれるように祈ります。



寛仁元年(1017年)約22歳

10月7日、長谷寺に詣でます。

10月10日、長谷寺詣から帰ってきます。

10月23日、長谷寺詣から帰ってきます?


治安二年(1022年)約27歳

4月27日、体調を崩しています。


万寿元年(1025年)約30歳

9月19日、従三位となった?


万寿四年(1028年)約33歳

6月2日、東宮(敦良親王)の王子親仁に謁します。



長元五年(1032年)約37歳

12月19日、従二位となります。


長久元年(1040年)約45歳

10月20日、従二位の隆姫は園城寺常行堂を供養します。


永承五年(1050年)約55歳

3月、頼通の法成寺新堂落慶供養に、倫子彰子たちとともに参列します。彰子ちゃん(約62歳)が生きているのはともかく、倫子ちゃん(約86歳)もまだ生きているのね。ちなみに、彰子は享年87歳、倫子は享年90歳です。


康平七年(1064年)約69歳

11月29日、従一位の隆姫は出家します。


延久六年(1074年)約79歳

頼通が没します。


応徳二年(1085年)約90歳

従一位の隆姫は園城寺常行堂を供養します。


寛治元年(1087年)約92歳

11月22日、薨じます。

12月7日、葬礼です。夜は雨が降りました。



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