【目次】
隆姫女王(たかひめじょおう):田中日奈子
まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。
藤原頼通の妻。62代・村上天皇の第七皇子である具平親王(ともひらしんのう)の長女。
史料によって「隆姫女王」とか「隆子女王」などと表記されているので、調べるのがメンドイ人です。
母は為平親王の娘(中姫君)なので、両親ともに皇族ですね。
頼通よりも3歳年下になります。当時、最初の妻が年下で皇族というのは、かなり珍しいパターンではないでしょうか。ほかに誰かいましたっけねえ。
そういえば、光る君への登場人物の中では一番の長生きかも(享年93歳)。藤原道長が死んだ59年後まで生きています。ちなみに、2024年の59年前って1965年で、2024年に満92歳の人は1932年生まれです。あらためて、数え93年の人生ってスゲえ。。。
キャスト:田中日奈子(たなかひなこ)
血液型A型のモデルです。第14回 ニコラモデルグランプリを獲得しました。オスカー所属でしょうか。
解説:実際の隆姫女王
具平親王の第1王女として、長徳元年(995年)に生まれました。
藤原頼通と結婚して、高倉北政所(きたのまんどころ)と称されました。夫婦仲はかなり良かったようです。
頼通から、高倉第を譲られます。
隆姫は子をもうけず、頼通が新しい妻をもらおうとしたときの、令和のコンプラなら100%アウトな道長のエピソードが有名です。
従一位まで昇ります。寛治元年(1087年)11月22日に死去します。享年93歳と長生きでした。
なお、隆姫女王の妹は敦康親王と結婚します。
その後の隆姫女王
寛弘六年(1009年)約14歳
頼通と結婚します。結婚の様子はとても華やかで当世風。薫香もすばらしかったと『栄花物語』は語ります。
この縁談が持ち上がったときの道長の感想は、「男子の価値は妻次第で決まる。高貴な家に婿取られるべきなのだ」というものでした。実際、道長は結婚当時は明らかに格上の源倫子や源明子と結婚しています。また、道長が「倫子ちゃんと結婚してよかった~」と思ってたこともわかります。まあ、出典は『栄花物語』ではあるのですが。。。
なお、『紫式部日記』からは、この縁談のときに道長が紫式部に相談をもちかけたようです。
寛弘七年(1010年)約15歳
5月14日、土御門殿に行き、法華三十講を聴聞します。
7月5日、父親の具平親王が没します。
寛弘八年(1011年)約16歳
8月11日、従四位上となることが決まります。
長和二年(1013年)約18歳
2月28日、園城寺から帰ってきます。
長和四年(1015年)約20歳
ただ、頼通が皇女と結婚すると隆姫は次妻待遇になるらしく、隆姫の母尼は悲しんで食べ物ものどを通らないありさまです。
頼通は隆姫を愛しているので、この縁談がいやで涙ぐみますが、道長は「男子は妻一人だけをもつということはないだろ。愚かしいぞ。今まで子に恵まれていないから、とにかく子を作ることだけ考えろ。禎子内親王はきっと子を生んでくださるさ。」と、令和のコンプラ100%アウトなことを言って、頼通をしかります。
頼通は悩みからか発熱して重体におちいります。道長と倫子が頼通を看病していると、伊周の霊か具平親王の霊が現れます。伊周しつこいなあ。
なんやかんやで縁談は破談となり、頼通はあっさりと回復します。
長和五年(1016年)約21歳
6月23日、園城寺に詣でて、この日から百日間、一日一体の観音像を供養して、女子が生まれるように祈ります。
寛仁元年(1017年)約22歳
10月7日、長谷寺に詣でます。
10月10日、長谷寺詣から帰ってきます。
10月23日、長谷寺詣から帰ってきます?
治安二年(1022年)約27歳
4月27日、体調を崩しています。
万寿元年(1025年)約30歳
9月19日、従三位となった?
万寿四年(1028年)約33歳
6月2日、東宮(敦良親王)の王子親仁に謁します。
長元五年(1032年)約37歳
12月19日、従二位となります。
長久元年(1040年)約45歳
10月20日、従二位の隆姫は園城寺常行堂を供養します。
永承五年(1050年)約55歳
3月、頼通の法成寺新堂落慶供養に、倫子、彰子たちとともに参列します。彰子ちゃん(約62歳)が生きているのはともかく、倫子ちゃん(約86歳)もまだ生きているのね。ちなみに、彰子は享年87歳、倫子は享年90歳です。
康平七年(1064年)約69歳
11月29日、従一位の隆姫は出家します。
延久六年(1074年)約79歳
頼通が没します。
応徳二年(1085年)約90歳
従一位の隆姫は園城寺常行堂を供養します。
寛治元年(1087年)約92歳
11月22日、薨じます。
12月7日、葬礼です。夜は雨が降りました。
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