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【歴史部日記】2025年9月3週まとめ

【目次】

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歴史部(2025/09/15)のサマリー

主なポイント

北伐の開始から日本の軍事干渉までの流れを学習

蒋介石による国民革命軍の北伐と中国統一への動き

上海クーデターによる第一次国共合作の崩壊

張作霖爆殺事件(奉天事件)と日本の満州における権益拡大の意図

日本の三度の出兵と国際的な非難



議題


北伐の開始と国民革命軍の進展

94〜99ページの内容を順番に読み合わせ、北伐の開始から日本の軍事干渉までの流れを確認した。

詳細

うえまつ先生: 97ページの地図を参照して場所の確認をするよう指示

M: 北伐の開始部分を朗読

O: 五・三〇運動について朗読

T: 上海クーデターについて朗読

T: 第一次国共合作の崩壊について朗読

W: 北伐の再開と日本の軍事干渉について朗読

K: 関東軍による奉天事件について朗読

結論

蒋介石率いる国民革命軍が広州から上海、南京を目指して北伐を開始

1927年に上海クーデターが起き、共産党員や労働者数千人が虐殺された

第一次国共合作が崩壊し、蒋介石は南京に国民政府を樹立


南京国民政府と武漢国民政府の対立

国民党内部の分裂と二つの政府の並立について議論された。

詳細

K: 南京国民政府と武漢国民政府の並立状況について質問

うえまつ先生: 96ページの内容を引用し、蒋介石が武漢国民政府に圧力をかけた経緯を説明

うえまつ先生: 王精衛は共産党と手を切るよう迫られ、最終的に蒋介石の軍事的圧力に屈した

結論

武漢国民政府は蒋介石の軍事的圧力により南京国民政府に統合された

王精衛は後に日本の傀儡政権のトップに据えられることになる


張作霖爆殺事件(奉天事件)

関東軍による張作霖爆殺の経緯と目的について議論された。

詳細

W: なぜ関東軍は張作霖を爆殺という手段で暗殺したのか質問

のぶた先生: 中国人の仕業に見せかけるため、また列車に乗っている状態での暗殺が効果的だったため

うえまつ先生: 百科事典によると、中国人クーリー二名を殺して国民革命軍のミッションを持たせ、中国人の犯行に見せかけた

結論

関東軍は満州(東北地方)全土の掌握のために張作霖を排除する必要があった

爆殺という手段は中国人の犯行に見せかけるための工作だった

列車という移動手段は警備が厳重で、爆破以外の暗殺方法が難しかった


田中義一と渋沢外交

日本の政治状況と外交方針について質問があった。

詳細

O: 田中義一が渋沢外交を軟弱と非難した理由について質問

のぶた先生: 渋沢喜十郎は協調外交路線で中国の内政問題に介入すべきでないと考えていたが、田中義一は日本人居留民保護のため早めに手を打つべきだと主張した

のぶた先生: 1920年代は国際的に協調の流れがあり、渋沢はそれに乗る方針だった

結論

田中義一は陸軍出身だが立憲政友会の総裁でもあり、二つの顔を持っていた

国際協調の流れに反して、日本は中国への軍事介入を強めていった


蒋介石の台頭と国民革命軍の強さ

蒋介石が中国統一に向けて力を持った背景について議論された。

詳細

W: 蒋介石の国民党軍と他の軍閥との決定的な違いについて質問

うえまつ先生: 蒋介石は黄埔軍官学校の校長として近代的な軍隊を養成していた

うえまつ先生: 蒋介石には上海財閥のスポンサーがついており、英米の資本も流れていた

結論

蒋介石は経済的・軍事的に恵まれた環境で北伐を進めることができた

蒋介石の妻は上海財閥の有力者の娘で、財政的な裏付けがあった


王精衛について

王精衛の経歴と立場について質問があった。

詳細

のぶた先生: 王精衛はどのような人物だったのか質問

うえまつ先生: 王精衛は日本の法政大学に留学し、早い時期に孫文と行動を共にしていた

うえまつ先生: 孫文の遺言に忠実な陽気左派の路線を継承する立場だった

結論

王精衛は孫文の後継者の一人として有力な人物だった

蒋介石より早く孫文に接近していたが、軍事力で劣った


文民条項と軍人の首相就任

現代と戦前の首相就任資格の違いについて質問があった。

詳細

K: 陸軍出身の田中義一が首相になれた制度について質問

のぶた先生: 田中義一は現役の軍人ではなく、退役後に首相になった

うえまつ先生: 現行憲法第66条第2項では「内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならない」と規定されている

結論

戦前は軍人出身者が首相になることは可能だった

現役の軍人が


歴史部(2025/09/16)のサマリー

主なポイント

アメリカ独立戦争と独立後のアメリカの政治体制について議論

パリ条約(1783年)によるアメリカ独立の承認とスペインによるフロリダとミノルカ島の奪還

アメリカ合衆国憲法の特徴と三権分立の仕組み

ワシントンD.C.(コロンビア特別区)の設置理由と経緯

初期のアメリカ大統領選挙制度の変遷



議論されたトピック


アメリカ独立戦争の総括とパリ条約

パリ条約によるアメリカ独立の承認と、スペインがイギリスから領土を奪還した経緯について議論された。

詳細

うえまつ先生: パリ条約がなぜフランスのパリで結ばれたのか質問

U: フランスが力を示したため

うえまつ先生: フランスがアメリカ独立戦争で大きく貢献したこと、また1763年のフレンチ・インディアン戦争のパリ条約でフランスが北米植民地を失った「リベンジ」という側面があることを説明

T: フロリダとミノルカ島について質問

うえまつ先生: フロリダはスペイン領だったが、フレンチ・インディアン戦争後の1763年パリ条約でイギリス領になり、アメリカ独立戦争後にスペインが奪還したと説明

のぶた先生: ジブラルタルについて質問

うえまつ先生: ジブラルタルもユトレヒト条約でイギリスに奪われたが、現在も返還されていないと説明

結論

パリ条約は単なる場所の問題ではなく、フランスの貢献と1763年のパリ条約へのリベンジという象徴的意味を持つ

スペインはアメリカ独立戦争に参戦することで、イギリスから奪われていた領土(フロリダとミノルカ島)を取り戻すことに成功した


合衆国憲法と政治体制

アメリカ独立後の政治体制、特に合衆国憲法の特徴と三権分立について議論された。

詳細

T 合衆国憲法の概要について読み上げ

M: 連合規約と合衆国憲法の違いについて説明、合衆国憲法はより集権的

K: 連邦政府の権限について説明

U: アメリカの三権分立は日本やイギリスの議院内閣制と異なり、より徹底していると説明

T: アメリカの議会と大統領制度について説明

うえまつ先生: 三権分立の例外として、副大統領が上院議長を務めることを指摘

のぶた先生: 上院議長の投票権について質問

うえまつ先生: 上院議長(副大統領)は通常投票権を持たないが、上院が50対50で同数の場合にのみ決定票を投じることができると説明

結論

アメリカの政治体制は三権分立を基本としているが、副大統領が上院議長を務めるなど例外もある

日本やイギリスの議院内閣制とは異なり、立法・行政・司法の兼務が基本的に認められていない


ワシントンD.C.の設置

首都ワシントンD.C.(コロンビア特別区)が設置された理由と経緯について議論された。

詳細

M: ワシントンD.C.について読み上げ

T: なぜ特定の州ではなく特別区に首都を置いたのか質問

うえまつ先生: アメリカは各州が強い権限を持つ連邦国家であり、特定の州に首都があると中立性が損なわれる恐れがあったため、どの州にも属さない特別区に首都を置くことになったと説明

のぶた先生: コロンビア特別区の名前の由来について質問

うえまつ先生: コロンブスの名前に由来し、おそらくコロンビア川などの地名から取られた可能性を説明

結論

アメリカは州の権限が強い連邦国家であるため、どの州にも属さない中立的な場所に首都を置く必要があった

コロンビア特別区は1800年頃に設置され、現在のワシントンD.C.となった


初期のアメリカ大統領選挙

初期のアメリカ大統領選挙制度とその変遷について議論された。

詳細

M: 初代ワシントンと二代目アダムズが議員たちの選挙で選出されたのに対し、なぜ三代目ジェファソンから国民の直接選挙になったのか質問

うえまつ先生: 全国的な選挙を実施するのは当時は非常に困難だったため、初期は議員による選出だったが、1800年頃から全国的な選挙が可能になったと説明

うえまつ先生: 現在のアメリカ大統領選挙も完全な直接選挙ではなく、各州の選挙人を通じた間接選挙の形式を取っていると補足

結論

初期のアメリカでは全国的な選挙を実施する体制が整っていなかったため、最初の二人の大統領は議員による選出だった

建国から17年後の1800年頃に全国的な選挙が可能になり、選挙制度が変化した


アクションアイテム

うえまつ先生

ワシントンD.C.(コロンビア特別区)の名前の由来について調査し、フォーラムで報告する

参加者全員

次回は49ページからのフランス革命について学習する

日本史の授業では72ページからの列強の中国分割と日本の正当系について学習する


歴史部(2025/09/17)のサマリー

主なポイント

三国志時代(魏・蜀・呉)の政治制度と社会構造について議論

屯田制、九品中正制、門閥貴族の形成などの重要概念を解説

邪馬台国の卑弥呼が魏に使者を派遣した背景と歴史的意義

中国と日本における文人と武人の関係性の違いについて比較



議論されたトピック


魏の屯田制

魏の屯田制について教科書の180ページから読み上げと解説が行われた。

詳細

M: 華北は戦乱で荒れ果て、流浪する農民が多数いた。両者をドッキングさせたのが屯田制だった。

うえまつ先生: 屯田制には軍屯と民屯があり、軍屯は兵士に土地を与えて自給自足させる制度。民屯は一般農民に土地を与える制度で、曹操時代から始まった。

T: 兵士に土地を与えて食料を自給させる仕組みについて質問。

結論

屯田制は兵士や農民に土地を与えて自給自足させることで、政府の負担を減らす効果的な政策だった。

曹操の民屯政策が魏の経済的基盤となり、他勢力に対する優位性を確立した。


九品中正制

管理人法(九品中正制)について教科書の180-190ページから説明された。

詳細

O: 地方の評判を聞いて適切な人材を中央に推薦する制度。中正官たちは地方豪族に抱き込まれ、結果的に豪族の子弟が上位にランクされた。

うえまつ先生: 九品中正制では感触(官職)が全部で九つのクラスに分けられ、家柄によってランクが決まっていった。

結論

「上品に貧門なく、下品に富豪なし」ということわざが生まれるほど、家柄による選抜が固定化された。

この制度が門閥貴族形成の基盤となった。


門閥貴族の形成

門閥貴族の形成過程について190ページから説明された。

詳細

T: 皇帝の権威を傘に着ることによって彼らは自分に箔をつけた。その後、彼らは同士で婚姻を結び庶民とは隔絶した身分となった。

うえまつ先生: 上品(一品、二品、三品)のクラスを代々継ぐことができる家柄が門閥貴族と呼ばれる。

結論

門閥貴族は家柄を守るために同じ階級内で婚姻関係を結び、その地位を世襲していった。

豪族と貴族の厳密な定義は難しいが、基本的に晋代の支配階級が豪族、魏晋南北朝時代の支配階級が貴族と理解できる。


冊封体制と邪馬台国の卑弥呼

卑弥呼の遣使と冊封関係について110-123ページから説明された。

詳細

L: 「冊封」という字の由来について質問。

うえまつ先生: 冊封とは中国皇帝が周辺諸国の君主に官職や爵位を与えてその統治を承認すること。「冊」は命令書(冊書)から、「封」は封建制度から来ている。

S: 中国はいつから日本の存在を認識していたのかについて質問。

うえまつ先生: 文献上は漢書に初めて倭人が登場する。卑弥呼が魏に使者を派遣したのは239年で、その前年の238年に魏が遼東半島から朝鮮半島北部に勢力を伸ばしたタイミングと関係している。

結論

邪馬台国の卑弥呼は中国大陸の政治情勢を把握し、最も有力だった魏と外交関係を結んだ。

古代日本人は朝鮮半島を通じて中国大陸の情勢に通じていたことが、このタイミングからわかる。


中国と日本における文人と武人の関係

中国と日本における文人と武人の関係性の違いについて議論された。

詳細

O: 戦争の時代なのになぜ軍隊が権力を持たなかったのかについて質問。

うえまつ先生: 中国史では基本的に「文>武」の関係があり、軍人が権力を握っても非軍人化する傾向がある。広い国土と多くの人口を軍事力だけで統治するのは難しい。

のぶた先生: 日本では武人と文人が対立概念ではなく、例えば源頼朝は貴族でありながら武士だった。日本の場合、五位以上が貴族と定義され、その中にも武士がいれば武士でない者もいた。

結論

中国では文人が武人より上位に位置づけられる傾向があり、これは現代の中国共産党と人民解放軍の関係にも通じる。

日本では奈良時代以降、五位以上を貴族と明確に定義し、文武の区別が中国ほど厳密ではなかった。


アクションアイテム

全員

次回は三国時代が終わってから、三国を統一した晋の時代について学習する

教科書の下巻6ページ「北方からの危機」を予習する

のぶた先生

次回の日本史の授業で江戸時代と寛政の改革について取り上げる


歴史部(2025/09/18)のサマリー

主なポイント

普遍論争は、神への信仰と人間の理性の関係をめぐる中世ヨーロッパの哲学的論争

実在論は普遍的概念(例:花)が個物(例:バラ、桜)に先行して存在すると主張

有名論は個物が先にあり、それらから普遍的概念が人間の理性によって作られると主張

トマス・アクィナスなどの思想家が理性と信仰の調和を図った

この論争は近代科学の発展につながる理性の学問の自立を促した



議論されたトピック


普遍論争の基本概念

普遍論争の基本的な考え方について、教科書の140〜150ページを中心に議論された。

詳細

うえまつ先生: 普遍論争は神への信仰と人間の理性の関係をどう考えるかという問題

うえまつ先生: 実在論では花という概念が先にあり、後からバラや桜という花が存在した。神の意志によって普遍的概念が作られ、それに従って個物ができたという考え

うえまつ先生: 有名論では普遍的概念が個物に先行して存在することを否定。バラや桜を見た人間の理性が花という概念を作ったという考え

結論

普遍論争は神は存在するのか否かという問題につながる危険性をはらんだテーマだった

実在論は神への信仰を重視し、有名論は人間の理性を重視する立場


普遍論争の主要な思想家

160〜180ページにかけて、普遍論争に関わった主要な思想家について議論された。

詳細

M: アベラールはフランス人でパリ大学の神学教授。有名論を主張し、一旦異端宣告を受けた

A: トマス・アクィナスは理性と信仰は矛盾しないとし、両者の調和を図った

F: ドゥンス・スコトゥスは実在論側の学者で、理性では神を捉えることはできないと主張

Y: ウィリアム・オッカムは有名論の立場を取り、理性の学問の自立を図った

I: ロジャー・ベーコンはアリストテレス流の実験と観察によって近代科学への道を開いた

結論

トマス・アクィナスによる両者の立場の調和が重要な転換点となった

理性の学問の自立が図られ、近代科学の誕生につながった


東洋における類似の思想

Tさんの質問をきっかけに、東洋における類似の思想について議論された。

詳細

A: 東洋ではこういう実在論や有名論のような議論があまりないのか質問

うえまつ先生: 中国の春秋戦国時代の「名家」という学派が「名」と「実」の関係を議論していた

うえまつ先生: 公孫竜が「白馬非馬」(白馬は馬にあらず)という主張をした例を紹介

結論

東洋にも個物と概念の関係を考える思想はあったが、キリスト教的な文脈での普遍論争はヨーロッパ特有


二重真理説について

180ページに記載されている二重真理説について質問があった。

詳細

I: 二重真理説とは何かと質問

うえまつ先生: ドゥンス・スコトゥスが提唱した考えで、人間の理性が対象とする哲学の真理と神の領域による神学の真理は別だという考え

のぶた先生: これは科学研究の安全弁になったのではないかと質問

うえまつ先生: トマス・アクィナスやドゥンス・スコトゥスは理性の世界と信仰の世界を分けることで、安全弁にしようとした

結論

二重真理説は理性と信仰の領域を分けることで、科学的探究と宗教的信仰の両立を可能にした


カンタベリー大司教について

地理的・歴史的背景に関する質問があった。

詳細

F: カンタベリー大司教とは何かと質問

うえまつ先生: カンタベリーはイギリスのロンドン東南部にある都市で、カンタベリー大聖堂がある

うえまつ先生: カンタベリー大司教はイギリスのキリスト教世界で非常に重要なポジション

結論

アンセルムスはカンタベリー大司教として実在論の立場を取り、神の存在を主張した


パリ大学教授の選出方法

教授の選出方法について質問があった。

詳細

A: パリ大学の教授にはどのように選ばれるのかと質問

うえまつ先生: トマス・アクィナスの場合、師匠のアルベルトゥス・マグヌスの推薦によってパリ大学神学教授の候補者としてパリに派遣された

結論

トマス・アクィナスは1252年にパリに派遣され、1256年に教授の資格を得た


アクションアイテム

全員

次回は「大学教育」について190ページから学習する

理解できなかった部分はフォーラムで質問する

日本史の学習者

次回は弥生時代(上巻9ページ、農耕社会と青銅器)を学習する



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