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大日本帝国憲法の参照元(歴史部生徒質問)



質問「幕末に、日本は色々な国の政策をパクって実施してきましたが、憲法はどこの国を参考にしたのでしょうか。



おっ、これは大学受験に必ず出るやつですね。

では、高校教科書のスタンダードである、山川出版社『詳説 日本史』ではどのように書いているのかを見てみましょう。


政府は,明治十四年の政変の際に,天皇と政府に強い権限を与える憲法を制定する方針を決めていたが,翌1882(明治15)年には,伊藤博文らをヨーロッパに派遣して憲法調査に当たらせた。伊藤はベルリン大学のグナイスト,ウィーン大学のシュタインらから主とし

ドイツ流の憲法理論を学び,翌年に帰国して憲法制定・国会開設の準備を進めた。……(中略)……政府の憲法草案作成作業は,1886(明治19)年末頃から国民に対しては極秘

うちに進められ,ドイツ人顧問ロエスレルらの助言を得て,伊藤を中心に井上毅・伊東巳代治・金子堅太郎らが起草に当たった。

大日本帝国憲法(浄写三月案)(国立国会図書館デジタルコレクション)
大日本帝国憲法(浄写三月案)(国立国会図書館デジタルコレクション)

この草案は,天皇臨席のもとに枢密院で審議が重ねられ,1889(明治22)年2 月11日,大日本帝国憲法(明治憲法)が発布された。(山川出版社『詳説 日本史』)


というわけで、一言でいうとドイツの憲法を参考にしてつくったものです。


山川出版社『新日本史B』の脚注には、以下のように少し興味深いことも書いてあります。




伊藤はドイツでベルリン大学教授のグナイストらからも憲法を学び,また憲法制定過程においてドイツ人法律顧問のロエスレルらの助言も得たが,シュタインの影響が大きい。伊藤は憲法調査の最後には,イギリスでも2 カ月間調査したように,幅広い視野で憲法と日本の将来を考えていた。


というように、ドイツ以外の憲法の影響がないわけではないようです。



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