top of page

金融恐慌【大学受験生質問】

大学受験生の疑問に答えます→質問フォーム



質問「金融恐慌の際に若槻内閣は枢密院に緊急勅令を拒否されたのにどうして田中内閣の時はすんなり日銀の救済がうけりたんですか?」

第1次若槻内閣は憲政党で、幣原外相の協調外交路線やん。 そんで、枢密院は協調外交止めさせたかったから、外交とは別件の金融恐慌のときに嫌がらせをして、緊急勅令案を通させなかったよね。 ここまではオッケーだと思う。 田中は立憲政友会で若槻の憲政会のライバルでしょ。だから、総理になる前から協調外交には反対していて、野党時代(若槻の憲政会内閣のときは立憲政友会が野党)から、憲政会を「軟弱外交」って攻撃していた一派なんよ。だから、田中が組閣するときにはすでに枢密院と仲が良くて、枢密院をバックにしてたというか、枢密院の望みをかなえるための内閣的なポジションでもあった。 だから、枢密院はすんなり田中内閣の味方をしたの。 重要なポイントは、若槻内閣のときから、枢密院だって支払猶予令は必要だと思っていた。でも、協調外交の若槻内閣を倒すためだけに、緊急勅令案に反対したってわけ。国家の利益よりも自分の利益とか政局を優先したって言い方もできる。だから、強硬外交内閣ができれば、枢密院はまっさきに支払猶予令に賛成するんです。


閲覧数:1回0件のコメント
bottom of page