【歴史部日記】2025年10月2週まとめ
- 順大 古川
- 10月7日
- 読了時間: 13分
更新日:10月10日
【目次】
執権政治の始まり:歴史部(2025/10/06)のサマリー(ZoomAI)
立憲政友会の結成:歴史部(2025/10/07)のサマリー(ZoomAI)
歴史部(2025/10/06)のサマリー
主なポイント
執権政治の成立と北条氏の権力掌握について議論された
源実朝暗殺事件とその後の将軍継承問題について詳しく話し合われた
二階堂氏の系譜と歴史について質問があった
来週の授業は休講、再来週は世界史の授業が行われる
議題
執権政治の成立
教科書95-97ページの内容を読み、執権政治の成立について議論された。
詳細
のぶた先生: 北条時政から北条義時への権力移行と執権政治の確立について説明。
K: 源実朝が鶴岡八幡宮で暗殺された事件について質問。
のぶた先生: 実朝暗殺には様々な説があり、公暁の単独犯行説や、北条義時や三浦氏が黒幕という説などがある。
うえまつ先生: 公暁は吉村の配下によってすぐに殺されたため、真相が分からなくなった。
結論
実朝暗殺事件の真相は不明だが、様々な説がある
「鎌倉殿の13人」というドラマでは複数の解釈が可能な描き方をしている
歴史的には事件後に利益を得た人物(北条義時)が黒幕と疑われることが多い
将軍継承問題
源実朝死後の将軍継承問題について議論された。
詳細
I: なぜ他の源氏ではなく藤原頼経を将軍に選んだのか質問。
のぶた先生: 鎌倉殿として御家人をまとめる権威が必要だった。北条氏には家柄と権威が足りなかった。
うえまつ先生: 頼経は頼朝の姪の子で、頼朝との血縁関係があった。また頼経は維持の娘と結婚し、頼朝の子孫との繋がりを持っていた。
結論
将軍には御家人をまとめる権威が必要だった
北条氏自身は権威不足で将軍になれなかった
頼経は頼朝との血縁関係があり、権威の源泉として選ばれた
朝廷との交渉方法
北条政子が後鳥羽上皇と交渉した方法について議論された。
詳細
O: なぜ政子は直接上皇と交渉せず、女房を通したのか質問。
のぶた先生: 身分の差があり、上皇と直接交渉することは基本的にない。側近を通すのが通常の方法。
うえまつ先生: 現代の外交でも同様で、トップ同士が会談する前に下交渉が行われる。
結論
身分制社会では上皇と直接交渉することはほぼ不可能
側近を通した交渉は当時の標準的な方法
鎌倉幕府側の「駒不足」(適切な交渉役の不足)も影響していた
二階堂氏について
二階堂氏の系譜と歴史について質問があった。
詳細
I: 二階堂氏がどこまで続いているか質問。
のぶた先生: 二階堂氏の系譜を調査。
うえまつ先生: 霜月騒動に巻き込まれた二階堂行季の息子が薩摩に流れた。
I: 薩摩の二階堂氏について補足。
結論
二階堂氏は現代まで続いている
薩摩に流れた二階堂氏の子孫には政治家の二階堂進もいる
鹿児島県には二階堂家の住宅が重要文化財として残っている
その他の質問
その他、参加者からいくつかの質問があった。
詳細
M: 北条義時が実朝暗殺に関与していたのではないかという疑惑について質問。
のぶた先生: 工業は義時も殺そうとしていたが、義時が直前で場を離れたため難を逃れた。事件後に利益を得た人物は常に黒幕と疑われるが、実朝が生きていた方が義時にとって安定していたという反論もある。
A: 比企氏が滅ぼされた理由について質問。
のぶた先生: 頼家の後継者が一幡になると比企氏の勢力が強くなるため、北条氏との権力争いがあった。
T: 北条時政の死因について質問。
のぶた先生: 時政は失脚後、伊豆の生まれ故郷に帰り、そこで病死したと思われる。
K: 梶原景時について質問。
のぶた先生: 梶原景時は周囲に敵を多く作り、鎌倉での仕事がなくなった後、西に向かう途中で追われて殺された。
行動項目
全員
来週は休講のため注意する
再来週は世界史の授業(うえまつ先生担当)に参加する
世界史の教科書130ページ「第76回 インド、中東、アフリカの情勢」を準備する
のぶた先生
再々週の日本史は「承久の乱」とその後の状況について準備する
歴史部(2025/10/07)のサマリー
主なポイント
歴史部の授業で「列強の中国分割」から「立憲政友会」までの内容を読み進めた
文官任用令と文官分限懲戒令について詳しく議論し、公務員制度の身分保障の起源について学んだ
台湾総督府の所在地や役割について確認した
閔妃殺害事件後の朝鮮での反日感情の高まりについて説明があった
次回は「日英同盟と日露戦争」について学習する予定
議題
教科書の読み合わせ(73ページ~76ページ)
参加者が順番に教科書を音読し、列強の中国分割から立憲政友会の成立までの内容を確認した
詳細
のぶた先生: 73ページの「列強の中国分割」から読み進めることを指示
参加者全員: 順番に教科書を音読した
U: アメリカ合衆国のハワイ併合や中国への門戸開放政策について読んだ
K: 台湾統治について読んだ
M: 日露関係と朝鮮(大韓帝国)について読んだ
F: 文官任用令と文官分限懲戒令について読んだ
U: 第二次山形有朋内閣と立憲政友会の成立について読んだ
結論
教科書の73ページから76ページまでの内容を確認できた
文官任用令と文官分限懲戒令について
Fさんの質問から、文官分限懲戒令の内容と現代の公務員制度との関連性について議論した
詳細
F: 「文官分限例と懲戒例のところで、現役の大将中将はどのくらい偉いのか」と質問
のぶた先生: 軍隊の階級制度について説明し、大将が階級として上位であることを説明
うえまつ先生: 組織図の補足説明を行った
M: 文官分限懲戒令の身分保障について具体的に何をしたのか質問
のぶた先生: 公務員のイメージについて参加者に質問し、文官分限懲戒令が公務員の身分保障の起源であることを説明
うえまつ先生: 以前は本属長官が懲戒権を行使できたが、それを改めたことを補足
結論
文官分限懲戒令は官僚の身分保障を確立し、政党政治の影響から官僚機構を守るためのものだった
この制度が現代の公務員がクビになりにくい制度の起源となっている
台湾総督府について
Nの質問から、台湾総督府の所在地や役割について議論した
詳細
N: 台湾総督府の所在地について質問
のぶた先生: 台北に所在していたことを説明
うえまつ先生: 現在は中華民国総統府として使われていると補足
結論
台湾総督府は台北に置かれ、現在は中華民国総統府として使われている
建物はアメリカのホワイトハウスのような役割を持つ施設である
選挙制度について
Uの質問から、選挙制度における納税額の基準について議論した
詳細
U: 「有権者の資格、直接国税十円以上ってなんで十円なんですか?」と質問
のぶた先生: 選挙制度の変遷について説明したが、なぜ10円という金額が設定されたかの根拠は不明と回答
結論
選挙制度は15円から10円、3円、0円と変遷してきた
10円という金額の具体的根拠については宿題とすることになった
閔妃殺害事件後の朝鮮の反応
Mの質問から、閔妃殺害事件後の朝鮮民衆の反応について議論した
詳細
M: 閔妃殺害事件後の朝鮮民衆の反応について質問
のぶた先生: 反日感情が高まり、反日運動が活発化したことを説明
うえまつ先生: 1897年に大韓帝国になったことを補足
結論
閔妃殺害事件後、朝鮮では反日感情が一層高まった
当時の政府の改革政策(断髪令や陽暦採用など)への反発も強まった
儒者と農民が結びつき、反日・反開化・反近代化を旗印に義兵運動が起きた
列強による中国分割について
Tの質問から、列強による中国分割時の中国政府の状況について議論した
詳細
T: 中国が列強に占領されていた時、中国政府はどこに属していて何をしていたのか質問
のぶた先生: 変法運動について言及
うえまつ先生: 首都は北京であり、変法運動が失敗したことを説明
うえまつ先生: 教科書の地図に示された勢力範囲は必ずしも実効性があったわけではないが、中国の知識人に危機感を与えたと補足
結論
中国政府は北京を中心に存在していた
1898年に変法運動という改革運動があったが、クーデターにより失敗した
列強の勢力範囲は必ずしも実効的な支配ではなかったが、中国の知識人に危機感を与えた
次回の予定
のぶた先生
次回(再来週)は「日英同盟と日露戦争」について学習する
Uの質問「なぜ選挙資格が直接国税10円以上だったのか」について調査する
うえまつ先生
世界史の次回(再来週)は56ページ「フランス革命の始まり」について学習する
全員
来週は休講、再来週は世界史、その次の週は日本史の予定
歴史部(2025/10/08)のサマリー
主なポイント
江戸時代の朝廷と幕府の関係について議論(尊号事件を中心に)
藩政改革と専売制について詳細な説明
天皇の政治的役割と権限の限界についての解説
次回の授業は文化分析と対外的危機(9ページから)
議論されたトピック
朝廷の動きと尊号事件
朝廷と幕府の関係性について、特に尊号事件を中心に議論された。
詳細
のぶた先生:光格天皇が父親に太政天皇の尊号を送ろうとしたが、幕府(松平定信)がこれを拒絶した事件について説明
うえまつ先生: 幕府が尊号を拒絶した理由について質問
のぶた先生: 幕府の主張は「上皇の乱と応仁の乱という混乱期の事例であって、悪しき先例は先例足りえない」というものだった
T: 尊号事件後の朝廷と幕府の関係について質問
のぶた先生: 広角天皇は新嘗祭のボイコットを試みたが、最終的に折れた。天皇は処罰できないため、周りの公家が処分された
結論
尊号事件により朝廷と幕府の間に緊張関係が生まれた
民衆の間では朝廷側の立場を支持する本が流行した
この事件は後の尊王論につながる重要な転換点となった
藩政改革と名君
藩政改革の内容と「名君」と評された藩主たちの政策について議論された。
詳細
S:名君と言われた藩主たちが具体的に何をしたのか質問
のぶた先生: 基本的に倹約令、専売制、農村改革、藩校設立などが基本パターンと説明
うえまつ先生: 専売制による民衆の不満について質問
のぶた先生: 専売制に対する一揆は実際に起きており、長州藩では大きな一揆により専売制を中止せざるを得なくなった
結論
藩政改革の基本パターンは倹約令、専売制、藩校設立
上杉鷹山が特に有名な改革者として知られている
「名君」の評価は藩財政を黒字にしたことが主な基準であり、現代の視点とは異なる
天皇の政治的役割
江戸時代における天皇の政治的役割と権限について議論された。
詳細
O: 天皇は何ができたのか、政治はできたのかと質問
のぶた先生: 江戸時代の天皇は政治的支配はほとんど行わず、主に儀式や祭りを主催する役割だった
うえまつ先生:光格天皇が天皇号を久しぶりに復活させた天皇であり、ターニングポイントになった天皇だと補足
結論
江戸時代の天皇は実質的な政治権力はなく、儀式的な役割が中心だった
建前上は日本の支配者として尊重されていた
光格天皇の時代から天皇の存在が再び注目されるようになり、後の尊王論につながっていった
天明の飢饉と御所造営
天明の飢饉の際に御所の一部を造営したことについての議論。
詳細
M: 飢饉の時に御所の一部を造営することは問題なかったのかと質問
のぶた先生: 天皇にとっての民の救済は儀式や祈祷をしっかり行うことであり、御所造営は京都に仕事を創出する公共事業的な側面もあった
うえまつ先生: 天明の飢饉の時に御所参りがあったことを補足
結論
御所造営は京都の外からお金が流入する効果があり、必ずしも京都の人々にマイナスではなかった
天皇は民を救うために祈祷や儀式を重視していた
形成論と尊王論の取り締まり
経世論が取り締まられなかった理由と尊王論が取り締まられた理由についての議論。
詳細
O:経世論が取り締まられなかった理由について質問
のぶた先生: 尊王論が必ず取り締まられたわけではなく、状況によって異なる。経世論は武士の建前(金に関わるべきでない)と矛盾するが、処罰されるかは当時の権力者の主観による
結論
処罰の基準は明確ではなく、時代や状況によって異なる
山県大弐は江戸城攻めのシミュレーションを行い処罰された
竹内の式部は京都町奉行によって処罰された
アクションアイテム
全員
次回の日本史は文化分析と対外的危機(9ページから)を予習する
来週は休講のため、再来週は世界史、その次が日本史となる
L 「秘本玉くしげ」について調査する
うえまつ先生
次回の世界史は実況中継第一巻112ページ(午後16国時代と北朝五王朝)を準備する
歴史部(2025/10/09)のサマリー
主なポイント
弥生時代後半の日本の歴史について議論し、特に国の形成と墓の形態に焦点を当てた
邪馬台国の所在地について、九州説と近畿説の両方を検討した
古墳時代への移行期における文化的統一について議論した
次回は古墳時代から学習を進める予定
議論されたトピック
弥生時代の墓の地域性
弥生時代の墓の形態が地域によって異なることについて議論された。
詳細
F: 地方によって墓の形が様々であった理由について質問
のぶた先生: 当時は国が多数に分かれており、地域ごとに文化や流行が異なるのは自然なこと
うえまつ先生: 墓の形の違いは地域の資源や技術の違いによるものではないかと提案
のぶた先生: 特に亀甕棺は高度な技術が必要で、九州北部が技術的に先進地域だった
結論
弥生時代の墓の地域性は、後の古墳時代に全国が同じ文化圏に統一されていく前段階として重要
ガラス壁と装身具の歴史
弥生時代のガラス製品と日本における装身具の歴史について議論された。
詳細
T: ガラス壁について言及
のぶた先生: 日本でのガラス製造の歴史について考察
うえまつ先生: 日本人が装身具をつけなくなった歴史的現象について説明
のぶた先生: 平安時代以降、日本人が装身具をあまりつけなくなったことに言及
結論
日本では千年以上にわたって直接身につける装身具がほぼ欠如する時代が続き、これは世界的にも珍しい現象
邪馬台国の所在地
邪馬台国の所在地について、九州説と近畿説の両方から議論された。
詳細
M: 邪馬台国の中心部とされる候補地について質問
のぶた先生: 九州説では平原遺跡や平塚川添遺跡、近畿説では纒向遺跡が有力候補
のぶた先生: 纒向遺跡は規模が大きく、復元図も豪華
結論
邪馬台国の所在地については決定的な結論は出ていないが、大和を中心とする大和政権に邪馬台国連合が直接つながる可能性が高くなっている
卑弥呼と邪馬台国連合の政治体制
卑弥呼の死後の政治体制の変化について議論された。
詳細
T: 卑弥呼の死後に男王が立てられ、その後イオに変わった経緯について質問
のぶた先生: 記録に詳細は残っていないが、「共同で王を立てた」という記述から各国の代表が協議して決めた可能性
M: 邪馬台国の役人の選抜方法について質問
うえまつ先生: 一大率は中国の刺史(州の長官)のような役職で、伊都国が卑弥呼にとって重要な支配拠点だった
結論
邪馬台国は単一の国ではなく、複数の国の連合体(邪馬台国連合)であり、王の選出には各国の承認が必要だった
和国と狗奴国の争い
和国と狗奴国の争いについて議論された。
詳細
I: 和国と狗奴国の争いについて質問
のぶた先生: 国同士の争いは土地や水源、生産物の奪い合いが基本的な原因
のぶた先生: 争いがいつ終わったかは不明だが、古墳時代までには大和朝廷が統一していった
結論
邪馬台国の場所が特定できていないため、狗奴国の場所も特定できていない
楽浪郡と高句麗
楽浪郡と高句麗の関係について議論された。
詳細
T: 楽浪郡がその後高句麗になることと、魏の滅亡との関係について質問
うえまつ先生: 楽浪郡は313年に高句麗によって滅ぼされ、魏の滅亡(316年)とほぼ同時期
結論
中国国内の混乱により朝鮮半島への影響力が低下し、高句麗が南下する要因となった
アクションアイテム
T
和国対狗奴国の争いについて考古学的証拠があるか調査する
のぶた先生
次回の授業(再来週)は14ページの古墳時代から開始する
うえまつ先生
世界史の教科書「正解史第二巻の実況中継」120ページ「アジア諸地域の諸国土相応帳」を準備する




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