top of page

【歴史部日記】2026年4月2週まとめ

更新日:4月10日

【目次】


歴史部(2026/04/06)のサマリー(ZoomAI)

主なポイント

Kが本日からレギュラー参加、Hは2回目の体験参加

世界史の授業として、実況中継第4巻142ページから146ページまで、1930年代の日中関係を学習

中国共産党の長征と第二次国共合作の成立過程について詳細に議論

次回は146ページから日中戦争の内容に進む予定



議論されたトピック


日本の中国大陸への勢力拡大(1933年~1935年)

授業の導入として、1930年代の日本による中国への勢力拡大について学習した。

詳細

T、Nが該当箇所を音読

1933年の熱河攻撃、1935年の冀東防共自治政府設立などを確認

塘沽停戦協定により、中国国民政府が満州国を事実上承認したことを学習

結論

日本は満州のみならず華北地域にも勢力を拡大していった

蒋介石率いる国民党政府は日本の侵略に対して消極的な対応を取っていた


中国共産党の長征(調整)

中国共産党軍が瑞金から延安まで移動した長征について詳しく議論された。

詳細

K、K、K、Iが関連箇所を音読

紅軍が10万人から3万人、最終的に8000人まで減少したことを確認

K:「70,000人も減ったのは戦闘で死んだのか、それとも逃げたのか」と質問

うえまつ先生:「圧倒的に逃げた数の方が多いはず。国民党軍が圧倒的に強かったため、特別な作戦ではなく追撃によって減少した」と説明

K:「なぜ延安が長征の目的地になったのか」と質問

うえまつ先生:「延安は黄土高原の中にあり、内陸の守りやすい地形だった。1935年9月の会議で最終的に決定され、当初から延安を目指していたわけではない」と回答

結論

長征は1935年10月20日に完遂され、延安が中国共産党の新たな根拠地となった

延安が目的地として決定されたのは到着の約1ヶ月前であった

兵力減少の主な理由は戦闘による死亡よりも逃亡が多かった


八一宣言と西安事件

中国共産党による抗日民族統一戦線の呼びかけと西安事件について学習した。

詳細

M、Yが該当箇所を音読

1935年8月1日に共産党が内戦停止と抗日を呼びかける八一宣言を発表

1936年12月12日の西安事件で張学良と楊虎城が蒋介石を監禁

周恩来が蒋介石を説得し、第二次国共合作成立の契機となった

結論

西安事件が第二次国共合作成立(1937年9月)の契機となった

共産党が八一宣言を出した背景には、国民党に対する軍事的劣勢があった


第二次国共合作の形態

第一次と第二次の国共合作の違いについて詳しく議論された。

詳細

M:「第一次の時はどういった点で不平等だったのか」と質問

うえまつ先生:第一次(1924年)は「党内合作」で、共産党員が個人資格で国民党に入党する形態だったと説明

当時の国民党は10万人の党員、共産党は4000人程度で規模に大きな差があった

第二次は「党外合作」で、国民党と共産党が対等に連携する形態となった

紅軍は国民革命軍の八路軍と新四軍に改組された

H:「8000人しかいなかったのになぜ八路軍と新四軍に分かれたのか」と質問

うえまつ先生:「8000人は毛沢東が率いる部隊の数で、共産党全軍ではない。新四軍は中国南部や中部に残っていた共産党軍が合流して編成され、当初12,000人ほどだった」と説明

結論

第一次は国民党による共産党の吸収合併に近い形態だった

第二次は両党が対等に連携する形態となったが、実際には国民党の方が圧倒的に強かった

共産党軍は八路軍(主力)と新四軍に分かれて編成された


治安維持法の適用範囲に関する質問

Iから日本の治安維持法が中国の傀儡政権に適用されたかについて質問があった。

詳細

I:1935年12月の資料に治安維持法に関する記述があり、植民地での適用について疑問を持った

のぶた先生:「冀東自治政府は日本ではないので、日本の法律が適用される理由はない」と指摘

資料を確認した結果、中国国民政府が「治安維持緊急弁法」という独自の法律を公布していたことが判明

うえまつ先生:「日本の治安維持法ではなく、中国国民政府が名前の似た法律を制定した。その影響関係を調べることは研究テーマになりうる」と説明

結論

日本の治安維持法が中国に直接適用されたわけではない

中国国民政府が独自に「治安維持緊急弁法」を制定していた

両者の関係性を調べることは学術的な研究価値がある


歴史部(2026/04/07)のサマリー(ZoomAI)

主なポイント

ウィーン体制の特徴と、自由主義・ナショナリズムという二つの重要な思想について学習

民族主義、国民主義、国家主義というナショナリズムの三つの訳語とその違いを理解

神聖同盟と四国同盟(後に五国同盟)の成立背景と目的を確認

政治的・経済的自由主義の具体例としてフランス革命やイギリスの自由貿易政策を学習

語族による人類の分類方法と、民族名の「系」と「人」の使い分けについて理解



議論されたトピック


自由主義とナショナリズムの基本概念

実況中継第三巻170ページから、フランス革命が残した二つの重要な思想について学習を開始した。

詳細

N: 自由主義(リベラリズム)は啓蒙思想に基づき、人間の理性を信頼し、個人の才能の自由な発揮が社会の発展をもたらすという考え方であることを説明

N: 政治的自由主義は特権階級への権力集中を是正し、経済的自由主義は経済活動への不合理な介入に反対するものと読み上げ

M: ナショナリズムには民族主義、国民主義、国家主義という三つの訳語があることを紹介

結論

自由主義とナショナリズムは19世紀ヨーロッパの政治・社会運動の基盤となった

これらの思想は明治維新における日本の近代化の根源にもつながる


ナショナリズムの三つの側面

民族主義、国民主義、国家主義の違いについて詳しく学習した。

詳細

A: 民族主義の例として、アイルランドのケルト系民族がイギリスからの独立を目指す動きを読み上げ

S: ドイツにおける国家統一運動が国民主権よりも国家統一を優先し、国家主義につながったことを説明

うえまつ先生: フランス革命は国民主義の典型例であり、フランス国民が国民国家を形成した事例と解説

結論

民族主義は異民族支配からの解放と独立国家建設を目指す

国民主義は国民主権に基づく国民国家の形成を目指す

国家主義は国家が国民より優先される体制を指す


メッテルニヒと神聖同盟・四国同盟

ウィーン体制を維持するための国際的な枠組みについて学習した。

詳細

M: オーストリアのメッテルニヒが多民族国家の崩壊を恐れ、民族主義運動を弾圧するために神聖同盟と四国同盟を利用したことを読み上げ

M: 神聖同盟はロシア皇帝アレクサンドル一世が提唱し、キリスト教的友愛精神に基づいて平和を訴えたことを説明

F: 四国同盟はイギリス、オーストリア、プロイセン、ロシアが結成した軍事同盟であることを読み上げ

M: 1818年のアーヘン列国会議でフランスが加わり五国同盟となったことを説明

結論

メッテルニヒはウィーン体制の主導者として反体制運動の弾圧に尽力した

神聖同盟と四国同盟(五国同盟)はウィーン体制維持の重要な仕組みだった


不合理な理由での権力集中について

170ページの「不合理な理由で特定の階層や君主に政治権力が集中している状態」という表現について質問があった。

詳細

F: 「不合理な理由」の具体例について質問

うえまつ先生: フランス革命前のブルボン朝において、人口の2パーセントの特権階級が全土の約4割の土地を支配し、税金を免除されていた状況を説明

うえまつ先生: ベルサイユ宮殿建設などで国民に重税と労働を課し、軍事費増大で国家財政が悪化した例を挙げた

結論

特権階級による不公平な富と権力の独占が「不合理な理由」の具体例

こうした状況への不満がフランス革命の原因となった


政治的・経済的自由主義の運動

18世紀から19世紀にかけての自由主義運動の具体例について質問があった。

詳細

S: 「政治的、経済的な観点から自由主義の運動が進められた」という記述について質問

うえまつ先生: 18世紀の政治的自由主義の典型例はフランス革命であると説明

うえまつ先生: 19世紀の経済的自由主義の例として、イギリスが自由貿易を名目にアジアへ進出し、1840年のアヘン戦争を引き起こした経緯を解説

うえまつ先生: イギリスは自由貿易主義を掲げながら、実際には麻薬密輸の取り締まりを口実に戦争を仕掛けた

結論

政治的自由主義は王政打倒や特権階級からの解放を目指した

経済的自由主義は自由貿易の名の下に帝国主義的進出の正当化に利用された


民族名の「系」と「人」の使い分け

テキストに出てくる「スラブ系」「ケルト人」などの表現について質問があった。

詳細

A: 「まるまる人」と「まるまる系」の区別について質問

うえまつ先生: 厳密な区別はなく、なんとなく使い分けられていると回答

うえまつ先生: 「系」は語族という言語の分類に基づくグループ分けであると説明

うえまつ先生: スラブ語系にはロシア語、ウクライナ語、ポーランド語、チェコ語など多くの言語が含まれると例示

のぶた先生: 日本語は語族分類上、独立した位置づけで、以前はアルタイ語系とされていたが現在は異なると補足

結論

「系」は主に語族(言語の分類)に基づく表現

「人」と「系」の使い分けに厳密なルールはなく、両方の表現が混在している

日本語は語族分類上、独特な位置づけにある


イギリス国教会とカトリックの違い

アイルランドの宗教に関する記述について質問があった。

詳細

M: イギリス国教会がロシア正教のようなものかと質問

うえまつ先生: イギリスとアイルランドの歴史的関係を地図で説明

うえまつ先生: アイルランドのケルト人は伝統的にカトリックを信仰していたと解説

うえまつ先生: イギリス国教会は16世紀にヘンリー八世が離婚問題でローマ教皇と対立し、自ら創設した宗派であると説明

うえまつ先生: イギリス国教会はイギリス国王をトップとする点が最大の特徴で、教義的にはカトリックとほとんど違いがないと解説

結論

アイルランドのケルト人はカトリック教徒が多数

イギリス国教会は国王が宗教的指導者を兼ねる点が特徴

宗教的内容ではカトリックとイギリス国教会に大きな違いはない


五国同盟におけるイギリスの不満

五国同盟の図でイギリスのジェンキンソン首相が不機嫌そうな表情をしている理由について質問があった。

詳細

M: イラストでルイ18世をメッテルニヒが歓迎しているのに対し、他国が喜んでいないように見える理由を質問

うえまつ先生: イギリスにとってフランスとロシアという大陸の陸軍大国が手を結ぶことは面白くなかったと説明

うえまつ先生: 海軍大国イギリスは大陸国家同士が対立している方が都合が良かったと解説

うえまつ先生: この不満が後に五国同盟からイギリスが抜ける伏線になっていると指摘

結論

イギリスは海軍大国として大陸国家の連携を警戒していた

五国同盟には当初から構造的な問題が内包されていた

この後、イギリスと陸軍大国ロシアが世界の覇権を巡って争う構図が続く


自由主義と国家主義の現代的理解

授業終了後、のぶた先生から自由主義とナショナリズムの現代的な使われ方について補足があった。

詳細

のぶた先生: ナショナリズムをヒトラーと結びつけて批判する人がいるが、実際にはヒトラーはナショナリズムを否定して権力を握ったと指摘

うえまつ先生: ナショナリズムの悪口としてヒトラーを出す人は、ナショナリズムを理解していないと補足

のぶた先生: リベラリズムも時代や立場によって異なる意味で使われており、保守政党も経済的自由主義の意味でリベラルを名乗っていると説明

のぶた先生: 自由民主党の英訳がリベラルデモクラティックパーティーである例を挙げた

のぶた先生: 政治的文脈で使われる言葉の意味を常に確認する必要があると強調

結論

ナショナリズムや自由主義は現代でも多用されるが、文脈によって意味が異なる

歴史的な定義と現代の使われ方を比較して理解することが重要

辞書や教科書で何度も確認する習慣をつけるべき


歴史部(2026/04/08)のサマリー(ZoomAI)

主なポイント

古代インドの宗教と哲学について、バラモン教、ウパニシャット哲学、仏教、ジャイナ教の成立と特徴を学習

カースト制度(バルナとジャーティー)の起源と現代への影響について議論

インドの身分階層が2000〜3000のジャーティーに細分化され、職業や出身地と結びついていたことを確認

イギリス植民地時代にカースト制度が温存された理由について考察

仏教とジャイナ教の苦行に対する考え方の違いを確認



議論されたトピック


都市国家の成立と身分階層

紀元前6世紀頃のガンジス川流域における都市国家の形成と、バイシャ(商工業者)とクシャトリア(武士階級)の台頭について学習。

詳細

W: 都市国家の成立部分を読み上げ、商工業の発展と戦争の多発によるクシャトリアの台頭を説明

うえまつ先生: 城壁で囲まれた都市国家が古代文明の特徴であり、日本との違いを指摘

k: 身分階層(バルナ)の復習として、バラモン、クシャトリア、バイシャ、シュードラの四つの基本身分と、その外にいる不可触民について説明

結論

古代インド社会では都市国家を中心に文明が発展

四つの基本的な身分階層(バルナ)が確立され、現在のカースト制度の原型となった


ウパニシャット哲学の成立と伝承

世界最古の哲学思想であるウパニシャット哲学について、その内容と現代への伝承方法を議論。

詳細

M: 哲学の芽生えについて読み上げ、梵我一如、輪廻、解脱、カルマの概念を説明

W: ウパニシャット哲学がどのような形で現代に残されているのか質問

うえまつ先生: ウパニシャットは「奥義書」を意味し、200種以上の書物として伝わっていること、サンスクリット語で記述され、口伝と文献の両方で伝承されたと説明

のぶた先生: 世界大百科事典から、ウパニシャットが師弟間で伝達される秘義を収録した文献であることを確認

結論

ウパニシャットは文字(サンスクリット語)と口伝の両方で伝承された

古ウパニシャッドとして14〜17編が重要な文献として現存

8世紀のシャンカラによる注釈書の存在から、少なくとも千年以上にわたって伝承されたことが確認できる


仏教とジャイナ教の成立

新宗教としての仏教とジャイナ教の誕生と、それぞれの特徴について学習。

詳細

O: 仏教の創始者ガウタマ・シッダールタ(釈迦、ブッダ)が極端な苦行を廃し、中庸の精神に基づく八正道を提唱したことを説明

T: ジャイナ教の創始者バルダマーナ(マハビーラ)が徹底した苦行と不殺生を訴え、特に商人層に受容されたことを説明

うえまつ先生: 紀元前の年代表記について、数字が大きい方が古い時代であることを補足説明

結論

両宗教ともバルナ(身分階層)を否定し、修養による解脱は誰にでも可能だとした

仏教は中庸の精神を重視し、ジャイナ教は徹底した苦行と不殺生を重視

農業や漁業が殺生に関わるため、ジャイナ教は商人層に特に受け入れられた


仏教とジャイナ教の関係

両宗教間の論争や対立の有無について議論。

詳細

S: 仏教とジャイナ教の苦行に対する考え方の違いから、論争や対立があったのか質問

うえまつ先生: 世界史の教科書には両宗教の対立に関する記述がないこと、ジャイナ教がその後勢力を失っていったこと、不殺生を説くジャイナ教の教義から他宗教との対立は考えにくいことを説明

うえまつ先生: 百科事典等を調べても両宗教間の大きな対立や宗教戦争の記録は見つからないと報告

結論

仏教とジャイナ教の間に大きな対立や宗教戦争は確認できない

ジャイナ教は1世紀頃に宗派が分裂し、勢力が衰退

現代インドにおけるジャイナ教徒の人口は1%未満


カースト制度と植民地支配

イギリス植民地時代におけるカースト制度の扱いについて議論。

詳細

S: ヨーロッパ諸国による植民地化の際、カースト制度がどのように形成されていたのか質問

うえまつ先生: カーストという呼称はポルトガル人が大航海時代にジャーティーをカスタと呼んだことに由来すること、もともと4つだったバルナが2000〜3000のジャーティーに細分化されたことを説明

うえまつ先生: イギリスは分断されたインド社会を統治するのに都合が良いため、カースト制度を温存する「分割統治」政策を採用したと説明

うえまつ先生: 水島氏の著書から、イギリスがインド人の団結を避けるため、宗教やカーストによる分断を温存し、軍隊も宗教やカーストごとに編成したことを確認

結論

イギリスはカースト制度を廃止せず、むしろ分割統治のために温存した

ジャーティーは職業(洗濯屋、壺作りなど)や出身地ごとに2000〜3000に細分化されていた

ガンジーも富裕な商人カーストの出身であり、20世紀初頭まで制度は存続


カースト制度の現代への影響

なぜインドだけがカースト制度を現代まで維持しているのかについて議論。

詳細

O: 中国、日本、ローマ帝国などにはカースト制度のような厳格な身分制度が現代まで続いていないのに、なぜインドだけ続いているのか質問

うえまつ先生: インド憲法上はカースト差別を否定しているが、実態として社会に影響を与えていること、他国にも部落差別や黒人問題など類似の問題があることを指摘

うえまつ先生: インドは人口が多く、多様な人種、言語、宗教が混在するため、ジャーティーをゼロにして社会を再構築するのは困難であると説明

のぶた先生: 「人間みんな平等」という思想的背景(キリスト教的理論)がインドの宗教にはないことを指摘

のぶた先生: 日本の明治時代の自由民権運動がキリスト教の理論を取り入れたのと対照的であると指摘

結論

インドは憲法上カースト差別を否定しているが、実態として社会に影響が残っている

長い歴史の中でジャーティーがインド社会の隅々に浸透しており、急激な変革は困難

他国にも形を変えた身分的格差や差別は存在する

「人間平等」という思想的背景の有無が、制度の存続に影響している可能性がある


日本史との関連

仏教の基本概念が日本史学習の基礎となることについて確認。

詳細

のぶた先生: 輪廻、カルマ、解脱という仏教の基本概念を理解することが、日本史における最澄、空海、親鸞、日蓮などの仏教思想を理解する基礎になると説明

のぶた先生: 物部氏が仏教を受け入れられなかった理由や、仏教が日本流に変化していく過程を理解するためにも重要であると強調

結論

古代インドの仏教思想は日本史学習の重要な基礎知識である

日本の仏教各派は、この基本概念に対して何が新しかったのかという視点で理解できる


歴史部(2026/04/09)のサマリー(ZoomAI)

主なポイント

世界史実況中継第2巻162ページから168ページまで、明の成立と初代皇帝洪武帝(朱元璋)の政策について学習

大交流時代の概念について、ヨーロッパの大航海時代以前からアジアでは活発な交易活動が行われていたことを確認

明の初代皇帝朱元璋による皇帝独裁体制と親政体制の強化、行政機構改革について議論

一世一元の制の由来と日本での採用理由について深い議論を展開

次回は明の第3代皇帝永楽帝の時代を学習予定



議論されたトピック


大交流時代の概念

162ページから163ページにかけて、大交流時代の定義と歴史的背景について学習。

詳細

A:16世紀を中心とした海域世界の交易活発化について読み上げ

うえまつ先生:アジアでは紀元1世紀以降から活発な交易活動が行われており、16世紀にヨーロッパが参入してきたという歴史的事実を強調

うえまつ先生:山川出版社が高校の地歴教科書でシェアナンバーワンの会社であることを説明

結論

大交流時代はヨーロッパの大航海時代以前からアジアで存在していた

豊かなアジアに貧しかったヨーロッパが16世紀に参入した


明の成立と朱元璋の背景

163ページから165ページにかけて、明の成立過程と初代皇帝朱元璋の人物像について議論。

詳細

k:元が滅びた直接的原因は白蓮教徒の乱で、朱元璋がその指導者の一人として明を建国したことを説明

U:モンゴル勢力がその後北元として存続したが1388年に滅びたことを読み上げ

S:朱元璋のパンチのある顔立ちと、中国史上最も陰険で疑り深い皇帝だったという評価を紹介

結論

明は1368年に成立し、江南から起こって中国を統一した史上唯一の王朝

長江流域の農業や商工業の発展による強力な経済力に支えられていた


朱元璋の行政機構改革

164ページから165ページにかけて、皇帝独裁体制と親政体制の強化について学習。

詳細

F:中書省の廃止と宰相ポストの廃止、六部の皇帝直轄化について説明

うえまつ先生:これは日本で言えば天皇が首相をクビにして各大臣を兼務するようなものだと例示

結論

朱元璋は皇帝独裁体制を確立するため行政機構を大幅に改変

中央の管理機関として都察院を設置、軍隊統率機関として五軍都督府を設置


朱子学の採用とイデオロギー

165ページで朱子学が国家イデオロギーとして採用された背景について議論。

詳細

j:朱子学では華夷の別、すなわち漢民族の文化を理想とし周辺民族を低く見る発想を取ることを説明

うえまつ先生:朱子学の大義名分論が君主支配にとって都合が良かったと解説

結論

朱子学は中華帝国である明にとって都合の良いイデオロギーだった

君臣関係の絶対化などを説く朱子学は君主支配を正当化した


一世一元の制の導入

5ページで一世一元の制について議論が展開。

詳細

O:一世一元の制が朱元璋の時代に始まったことを読み上げ

うえまつ先生:明治以降の日本でも採用され、一人の天皇に対して一つの元号となったと説明

結論

一世一元の制は明の朱元璋の時代に始まった

日本では明治元年に導入された


農民支配制度:里甲制

166ページで里甲制について学習。

詳細

M:納税義務を有する家110戸を一里とし、そのうち10戸が裕福な農家で里長になれる資格を持つ里長戸、残り100戸が10戸ずつの甲に分けられることを説明

うえまつ先生:この制度が農村支配の基礎単位となったと補足

結論

里甲制は明の農民支配の基本制度

里と甲という単位で農民を組織化


魚鱗図冊と賦役黄冊

166ページから167ページにかけて、土地台帳と租税台帳について学習。

詳細

N:魚鱗図冊には土地所有者と佃戸の情報が記載され、賦役黄冊には家族の人数と氏名が記載されていたことを説明

N:六諭を作り農民に励行させ、里老人による村民の教化がなされたことを読み上げ

結論

魚鱗図冊と賦役黄冊により農民の土地所有と労働力を把握

これにより税収を正確に計算できるようになった


衛所制

167ページで軍事制度である衛所制について学習。

詳細

A:里甲戸とは別に軍戸として区別し、衛所では原則として自給自足で食糧などを調達していたことを説明

結論

衛所制は明の軍事制度

軍戸は里甲戸とは別に管理された


海禁政策

168ページで海禁政策について触れられた。

詳細

k:洪武帝が海外貿易や海外渡航に対して厳しい統制政策を実施したことを読み上げ

うえまつ先生:海禁政策は日本史の室町幕府の足利義満とも関わってくる話題だと補足

結論

詳細は178ページで後述予定

日本史との関連も重要


明という国号の由来に関する質問

165ページの記述について質問が出された。

詳細

j:朱元璋が陰険で疑り深い皇帝だったのに、なぜ国の名前を明にしたのかと質問

うえまつ先生:学問的には明という国号の由来はよくわからないと回答

うえまつ先生:元の国号は易経の「大いなるかな乾元」から取られたことは明らかだが、明と清の国号の由来は歴史の謎とされていると説明

結論

明という国号の由来は資料が残っておらず不明

青木先生の説明は受験生向けの噛み砕いた表現


日本における一世一元の制採用理由に関する質問

一世一元の制がなぜ日本で採用されたかについて議論。

詳細

I:日本でなぜ一世一元の制が採用されたのかと質問

のぶた先生:1868年明治元年9月8日に詔が出されたが、採用理由の詳細な資料は見つからないと回答

うえまつ先生:制度として一世一元の制の方が楽だからという合理的理由が考えられると説明

うえまつ先生:幕末は頻繁に改元が行われており、それを嫌がったという説もあると補足

のぶた先生:岩倉具視の主張に基づいて導入されたという記録があると情報提供

結論

明確な採用理由を示す資料は限られている

制度の簡便性と幕末の頻繁な改元への反発が背景にあった可能性


漢民族の文化の具体例に関する質問

165ページの朱子学の記述について質問が出された。

詳細

j:朱子学が漢民族の文化を理想としたとあるが、その具体例は何かと質問

うえまつ先生:華夷の別の概念を説明し、中国が世界の中心という発想の背景を解説

うえまつ先生:漢民族の文化の具体例として儒教と漢字を挙げ、これらが中国文化の土台を支えていると説明

うえまつ先生:漢訳仏教なども漢民族の文化に組み込まれていったと補足

結論

漢民族の文化の中心は儒教と漢字

これらを身につけている中国人が世界の中心という発想が華夷の別


里甲制と衛所制の関係に関する質問

167ページの衛所制について質問が出された。

詳細

のぶた先生:衛所制があるということは、里甲制の民戸からは普段兵は取られないのかと質問

うえまつ先生:基本的にはそうで、治安維持などで部隊を編成することはあるが、正規部隊を構成する要員は軍戸から供出させると回答

結論

里甲制の民戸と衛所制の軍戸は基本的に分離

正規軍は軍戸から編成




コメント


bottom of page