【目次】
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歴史を知れば、大河ドラマの演出がもっと楽しくなる
史実と異なる演出にこそ、ドラマの面白さがあるのではないでしょうか
こんにちは のぶたです
今日は、38話「まぶしき闇」の、呪詛事件を詳しく解説していきます
伝説の陰陽師の誕生にも関わる大事件なので、ぜひご視聴ください
1,寛弘六年の呪詛事件
寛弘六年(1009年)正月30日、今までがんばってきた彰子ちゃんと、その赤ちゃんの敦成親王を呪詛する厭物が一条院内裏で見つかりました。ドラマでは紙切れでしたが、基本的にはドラマの伊周がピーしていたような木製の人形だと思います。
この後の取り調べによると、道長も呪詛されていたようです。
翌日2月1日、高階明順と源方理に嫌疑がかけられ、謹慎させられます。
方理は伊周の妻幾子の兄です。37話でちょこっと出てきていました。
明順はドラマに出ませんでしたが、伊周・定子・隆家兄弟の母貴子の兄弟、つまり伊周たちの叔父で、中宮亮としてずっと定子ちゃんの世話をしていた人です。
伊周・隆家が長徳の変で左遷されて定子ちゃんが火事で焼け出されたときは、定子は明順の家で世話されたりしていたような人です。
ドラマでもあったように、関係者に対する尋問が始まりす。「尋問」とは言っても、拷問ですね。この時代は。
4日、呪符を作成した法師陰陽師の円能が尋問されます。ドラマの円能を演じていたのは誰だったのでしょうか。
円能がゲロったところによると、昨年の12月に伊周の叔母高階光子・佐伯公行夫婦と、伊周の義兄源方理に呪符の作成を頼まれたといいます。円能によると、呪詛の対象は、彰子と敦成親王と、そして道長だったとのことです。
5日、光子の身柄を確保するために検非違使が光子邸に派遣されますが、すでに光子はトンズラしたあとでした。
早い、この逃げは早いですね。いい決断力しています。光子、、、恐ろしい子。。。
さて、ここまでの尋問で、他にも名が上がった人物がいました。
円能によると、道満という法師陰陽師が光子のもとに出入りしていたというのです。道満です。道満なのです。
どこかで聞き覚えがありませんか?
蘆屋道満を知っていますか?
蘆屋道満は、伝説の方の『安倍晴明物語』に登場する安倍晴明最大の敵なのです。
それでは、伝説上の安倍晴明と蘆屋道満の戦いをチェックしておきましょう。
2,伝説の陰陽師誕生秘話
播磨国出身の陰陽師蘆屋道満は、あるとき、晴明に死滅回游的な呪術バトルを挑んでボロ負けします。領域でも展開されたんでしょうか。
そこで、負けた蘆屋道満は、本心を偽って、安倍晴明に弟子入りします。
その後、安倍晴明は唐国への留学を命じられて、三年以上もの長きにわたって日本を留守にします。
晴明より留守を任された蘆屋道満は、この隙に清明の妻を寝取り、さらに、彼女を利用して晴明が隠していた奥義書までも手に入れしました。とんでもないヤロウです。
ここまで読んだ私は、蘆屋道満は奥義書に書かれていた伏魔御廚子的な大技をつかって清明を倒すのかと思いました。みなさんも、その空気を読んだかとおもいます。
しかし、違うんです。
日本に帰ってきたサンタマリア晴明は酒に酔って「おい、道満さぁ~。オマエ、陰陽道の奥義書とか読んだことねえだろ~。オレはあんだよな~」と、奥義書マウントを取り始めます。
サンタマリアはもっとアルハラしてやろうとして「オマエが万が一にも奥義書とか読んだことあんなら、オレ、オマエに首とか差し出しちゃうよ」とか言ってしまいます。
当然、蘆屋道満は「オレ、見たことあるっすよ。ほら」と返します。
サンタマリアは「マヂカ!?」となりますが、後の祭り。約束に従って死んでしまうんです。
サンタマリアぁ~~~~~!
いやいやいや、昔のストーリー、ノリが分からん。感覚が分からん。その展開でいいの?陰陽道の奥義とかは?
昔話って、今の感覚からしたら不思議ですよね~。
まあ、ところが、他の陰陽師の手によって晴明は生き返って、蘆屋道満を成敗するのです。
いいんだ?それでいいんだ?ドラゴンボールや少年ジャンプのような展開ですね。
というわけで、蘆屋道満とは安倍晴明を一度は殺したほどの、伝説の悪逆陰陽師なんです。
その蘆屋道満のモデルこそが、ここで円能がゲロった道満なのです。
呪詛事件の捜査が進んだ結果、今回の呪詛には道満は無関係だったことが分かります。
、、、え?どゆこと?
こういうことです、朝廷を揺るがした呪詛事件の話は後世に伝承され、その伝承の歴史のどこかで円能と道満が取り間違えられて、後世の書物では、寛弘六年の呪詛事件は道満の仕業だったことになったというわけです。
元来、悪の陰陽師として悪名を遺すのは円能だったはずなのに、道満が悪の陰陽師となってしまったのです。
道満にとっては、完全なとばっちりです。
こうして道満は悪役となり、江戸時代初期の『安倍晴明物語』に登場する悪逆非道の伝説の陰陽師、蘆屋道満が誕生したというわけです。
あ、ちなみに、江戸時代中期以降に人形浄瑠璃や歌舞伎の人気演目となった『蘆屋道満大内鑑』(あしやどうまんおおうちかがみ)では、当初は安倍晴明という英雄に敵対する悪役であった蘆屋道満も、最後は英雄の側の一員となって大団円を迎えます。連載が引き伸ばされて、ピッコロ大魔王とかベジータとかが味方になったような感じでしょうか。
3,呪詛事件の顛末
さあ、確信犯的に話を逸らしたので、もとの呪詛事件に戻りましょう。
2月20日、ここまでの関係者たち証言を受けて、光子や方理は除名されたり牢屋にぶち込まれたりします。
とうぜん、伊周も無関係と言うにはムリがあり、伊周は内裏出禁で、帯剣も止めらます。
ただし、隆家にはまったく罪が及んでいません。
このあたりの展開はドラマでもありましたね。金峰山で隆家があれだけ言ったのに、伊周にはなにも伝わっていなくて、伊周は変われなかったのです。公卿会議での隆家の悲しそうな顔が印象的でした。
ドラマと違って、原作(史実)の道長は呪詛にメンタルをやられる人なので、呪詛払いの仁王講をハデに行います。
なお、原作(史実)の道長は呪詛の報告を受けて数日は仕事にも出られなくなり、この2月はまったく日記もかけない有り様でした。
ついでに言うと、一条天皇もおそらく呪詛事件でメンタルをやられて2月下旬にぶっ倒れます。そして、ここから一条天皇は、これまで以上に病気がちになっていきます。
、、、効いてるよ、呪詛、効いてるよう。。。
その後、まもなく高階明順が亡くなります。『栄花物語』によると、道長に問い詰められて死んだそうです。なんじゃ、そりゃ。
ドラマではこの辺までが描かれていたので、その後の顛末まで紹介しておきます。
伊周は6月13日に許されました。
翌年12月29日、伊周がピー(ネタバレ)で敦康親王がピー(ネタバレ)となったためか、方理が元のように四位に復活します。円能も牢屋から出されます。
なんとも歯切れの悪い結末で、事件の真相も歴史の闇の中です。
結果だけ見れば、道長が一番得をしたとも言えます。。。
逆に、
一番損したのは道満だという(爆笑)
これからも大河ドラマ話や、日本史の話でもりあがっていくので
ぜひ高評価とチャンネル登録をお願いします
ありがとうございました
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