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史実で楽しむ 光る君へ2(解説・感想・考察)

更新日:8月26日

【目次】




国母 東三条院詮子:第18回「岐路」

今回は、エピソード19「岐路」を楽しむ解説、その1 うさー

ついに道長政権が成立したうさね

今回は、道長政権樹立の最大功績者とも言える詮子姉さんと「国母」について解説するうさ

なお、次回は、関白と内覧の違いについてと、ドラマの最期に再登場した藤原穆子(闇覚醒倫子ちゃんのママ)あたりを解説するうさ


【動画版はこちら】


新たに摂政関白を任命するときに大きな力を発揮した詮子姉さんうさけど

詮子姉さんのような天皇のママを「国母といううさ


まず、995年までの詮子姉さん(33歳・およその満年齢・以下同じ)について復習しておくうさ

詮子姉さんは、パパ右大臣兼家の策謀で円融天皇に入内したけど

円融天皇に愛されず、苦しんでいたうさ



このころの詮子姉さんは20歳そこそこだったので、そうとうキツかったと思ううさ

そして、懐仁親王(一条天皇)を生んだあとは東三条殿(兼家ファミリーのおうち)に里帰りして

東三条殿で懐仁親王を育てたうさ

つまり、夫の円融天皇とは別居状態だったうさ


その後、円融天皇がイヤイヤ花山天皇に譲位して、懐仁親王が東宮になったうさ

この時点で、詮子姉さんは天皇のママにリーチがかかったうさ


愛されすぎ女子忯子ちゃんラブな花山天皇は、道兼たちに騙されて2年も経たずに譲位したうさ

こうして、986年にわずか6歳の懐仁親王が践祚して、一条天皇となったうさ

これと同時に、一条天皇を生んだ詮子姉さんが、天皇ママたる国母となったという経緯だったうさ


摂関期の国母は、基本的に息子の天皇と同居して、天皇を日常的に後見する存在うさ

そんで、天皇や摂関とともに、そしてときには天皇や摂関以上に国政を動かしていたうさ

ロバート実資は、国母について「母后また朝事を専らにす」(『小右記』長徳三年七月五日条)と評価しているうさ


ドラマに戻ると、その後は、一条天皇と定子ちゃんのおねショタっぷりにキレまくって煙たがれたり

道隆によって内裏より遠ざけられたりと、詮子姉さんはドラマの裏でけっこう苦労をしてきたうさ

史実でも、詮子姉さんは内裏に住み続けず、内裏の外の職曹子に移るうさ

この職曹子は、今後おねショタ定子ちゃんに関連して再登場するのでチェックしておくうさ

ポイントは、職曹子は内裏の外にあるというところうさ




このころから詮子姉さん(と道長も、あと一条天皇も)は病気がちで

991年に病気になったことをきっかけに、出家したうさ

ドラマで詮子姉さんが薄い紫系の衣を身につけるようになったのは、出家しているからうさ

ちなみに、ドラマでは出家した女性の寧子、詮子、穆子はみんな違う格好しているからおもしろいうさ


そして出家した後、詮子姉さんはなんと、日本史上初の女院号を受けたうさ

その名も「東三条院」うさ

女院は太上天皇に準じるということなので

ぶっちゃけ、女院とは、女上皇という意味うさ


ちなみに、「東三条院」というのは父親の兼家が存命のときにファミリーで住んでいた邸宅で

女院になったころから、詮子姉さんは実は土御門殿

すなわち、弟道長が結婚してころがりこんだ源倫子ちゃん家に同居しているうさ

この点については、今回の後半で闇覚醒倫子ちゃんと、奇貨おくべし穆子母さんが

穆子「女院さまをこの屋敷で引き受けたのが大当たり」

倫子「私も一度は『ええ~』と思いましたけど、、、」と話しているシーンにも反映されているうさ



そう考えると、エピソード18「うつろい」で道兼が詮子・道長に呼びつけられた場所は

弟道長と倫子の愛の巣なうえ、道兼を嫌っている詮子姉さんまでが住んでいる

ちょーぜつアウェイな魔窟の土御門殿に呼びつけられたということうさ

このとき、詮子姉さんが、道兼を関白に推すことを宣言してたうさ

ちなみに、『栄花物語』も詮子姉さんが強く道兼を摂関に強く推したと言っているうさ


極楽浄土になんか行かせてもらえない罪を背負った道兼が、疫病であっという間に没したあと

ドラマでは、詮子姉さんが一条天皇の寝室に凸って

「じゃあ、母を捨てるのね! ヨメの定子を選ぶのね!」と

論理が飛躍しまくったメンヘラテンプレ姑トークを一条天皇(15歳)に叩きつけたうさ

この話を、夜中に叩き起こされた一条天皇は、冠や烏帽子もつけることなく聞かされたうさよ

今で言うなら、中学生がパンイチで寝てたら、夜中にママが凸ってきて

パンイチのまま正座させられて「彼女と別れろ」と説教⁉️喰らい始めたようなもんうさ

少しでも「彼女好きだし、、」とかボソッと言おうものなら

「じゃあ、ママにお家を出ていけって言うのね! 私はこんなにあなたのためを思って言ってるのに」的に泣かれるうさよ

泣きたいのは、夜中に叩き起こされてパンイチでメンヘラママトーク聞かされているこっちうさよ


なお、この凸話は、『大鏡』に「夜の御殿に入らせたまひて、泣く泣く申させたま」とあるうさ


この後も、詮子姉さんは国政に関わり続けるので

そのへんのエピソードは、ドラマでの時間が進んだときに、随時紹介していくうさ


「国母」のまとめ うさ

国母は天皇の生母うさ

摂関政治の時代に、国母は積極的に国政に関与していて、大きな政治的発言権を持っていたうさ

ロバート実資の『小右記』には「母后また朝事を専らにす」とあるうさ


さて、少し未来の話をするうさ

詮子姉さんのあと、ぼんやり娘彰子ちゃんもいずれは国母になるうさ

さらに、彰子ちゃんは史上二人目の女院にもなるうさ

その話は、ドラマで実際にぼんやり娘彰子ちゃんが成長して覚醒したときにお話したいうさ

楽しみうさね


次回は、関白と内覧の違いについてと、ドラマの最期に再登場した藤原穆子(闇覚醒倫子ちゃんのママ)あたりを解説するうさ

これからも大河ドラマ話や、日本史の話でもりあがっていくので

ぜひ高評価とチャンネル登録をお願いしますうさ

よろしくうさー



呪術デレ爆誕:第17回「うつろい」

うさようございまーす

今回は、エピソード18「うつろい」を楽しむ解説うさー

呪術デレ誕生の瞬間を刮目して見るうさ!


【動画版はこちら】


【道隆の最後と思い出の歌】

ついにヴィランと化してた道隆兄さんが薨じたうさね 数え年で43歳、満年齢だと42歳くらいだったうさ

道隆兄さんが命尽きるときにうたった歌は


忘れじの ゆく末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな


という歌で

かつて、道隆が貴子に通い始めたころに、貴子が道隆に送った歌うさ

歌の意味は


道隆様は「決して忘れまい」とおっしゃいますが、遠い将来までも忘れないことなどなかなか無いでしょうから、今日この日を最後とする私の命でありたい

うさ


百人一首に儀同三司母(高階貴子)の歌として収録されているうさ


【三の君が話題に登場】

伊周と隆家の会話で「前太政大臣の三の君」が出てきたうさね

前太政大臣とは、なんちゃって貴公子斉信と愛されすぎ女子忯子ちゃんのパパ、藤原為光うさ

三の君とはその三女のことで、史実では本名は不明だけど、

ドラマでは「為光」の娘だからか、「光子」という名前のよううさ

ドラマで藤原倫寧の娘が「寧子」という名前なのと同じパターンうさ


三の君は、ドラマでは顔は出てこないと思うけど、今後ある事件に関わってくるはずうさ


【安倍晴明の本音が見えた】

安倍晴明は、もう見切りをつけたからか、関白に「様」をつけなくなったうさ

ちなみに、晴明は道隆のことを「ご寿命か、、、」と言っているけど

晴明はまだまだ生きるうさ さすが「病の者の穢」を一瞬で祓っただけのことはあるうさ


【一条天皇と定子】

史実ベースだと、一条天皇が定子ちゃんに依存しているイメージがあったけど

ドラマでは、定子ちゃんが一条天皇に依存しているかんじうさね


【詮子と道兼と道長の密談】

詮子姉さんが、道兼を関白に推すことを宣言したうさ

うさぎ先生的には、即座にそれを受け入れた道兼に吹いたうさ

「そこ、受けるんかよ! オマエ、汚れ仕事の道を進む決意はどこいった? 関白は光があたる仕事だろ! うさ!」 と


ちなみに、史実でも詮子姉さんが強く道兼を摂関に強く推したうさ

『栄花物語』には「女院(詮子)の御心掟も、粟田殿(道兼)知らせたまふべき」


詮子姉さんは「内裏に行くのはイヤ」と言っていたけど

次回予告では一条天皇に泣きながら訴えていたうさ けっきょく内裏に行くのね、、、うさ


【一条天皇と疫病】

道隆は「疫病が内裏におよんだことはない」とドヤってたけど

史実では、2~3年くらい前に、一条天皇も天然痘にかかっていたうさ

てか、一条天皇は多少病弱で、何回か疫病に罹っているうさよ

てかてか、病弱キャラのくせに、あの天然痘から生還するとは、、、おそるべしうさ

ちょいネタバレだけど、公卿会議に並んでた真っ黒のおっさんたちは、この年に八人疫病で死ぬうさ


【呪術デレ明子ちゃん】

ここからは脇役の源俊賢について熱く語るうさ

視聴者のみなさんも、源俊賢についてムダに詳しくなるうさよー

源俊賢は安和の変で失脚した源高明の三男で、道長の妻・明子のお兄さんうさ

960年生まれなので、エピソード18の995年には35歳(およその満年齢・以下同じ)うさ

ちなみに、995年段階では道長は29歳なので、妹属性少なめの明子は30歳前後と思われるうさ

さーて、道長パパ右大臣兼家は、安和の変で俊賢パパ高明の追い落としに関係していたと言われているうさ

安和の変のとき、俊賢は9歳だったうさ

つまり、俊賢・明子兄妹にとって、もともと右大臣家は政敵だったうさ

だからこそ、妹属性を捨てて呪術属性に全振りしていた明子は、道長と婚姻しつつも兼家を呪詛していたうさ

「呪術師に悔いのない死などない」と言われていますが、明子はどうなるうさか

あ、いちおうですが、俊賢の母は藤原師輔の娘なんで、俊賢は道長兄弟のの従兄弟でもあるうさ

複雑うさね


ところが、ついに、エピソード18「うつろい」で、いよいよ兄俊賢も妹明子も道長派につく(反道隆・伊周)ことを決意したうさ

兄俊賢は、道隆と公卿会議の雰囲気をじっとりと見極めて、誰につくべきかを熟考していたうさ

「子は鎹」で、呪術属性だった明子もデレて道長の味方になったうさ

呪術属性からのデレ! これは、ツンデレ・ヤンデレに続く「呪術デレ」属性の誕生うさね!

これで、2020年代後半の萌シーンは、呪術デレが席巻するうさ!

……今思ったけど、呪術廻戦のキャラって誰もデレないうさ

……と思ったけど、ジジイとかおっさんだけデレやがるうさね そういえば

それはともかく、呪術デレ明子と、闇覚醒倫子からはこれからも目が離せないうさ


【寛弘の四納言・源俊賢】

俊賢は優秀な役人で、道長が行くところにはどこにでもついて行く腰巾着だったうさ

それで道長に信頼されていて、道長のぼんやり娘彰子が歳を取って出家するまで、一貫して彰子に仕える中宮職を勤め続けたうさ

道長の日記『御堂関白記』でも、俊賢は勤公が人に優れている、と高く評価されているうさ


あと、後世には、一条天皇の治世を支えた「寛弘の四納言」と称えられてもいるうさ

ちなみに、寛弘の四納言は、源俊賢と、藤原公任と、藤原斉信と、藤原行成うさ


それでは、俊賢の「道長パイセン! どこまでもついていきやす!!」エピソードを紹介していくうさ


俊賢は、ぼんやり娘彰子が入内したときに、足扇ほれほれ東宮最終形態花山法皇や、貴公子藤原公任や、なんちゃって貴公子藤原斉信たちといっしょに、彰子の和歌屏風に和歌を献じたうさ

このときロバート実資は、「そんな話はこれまで聞いたことがない

実資と同系の小野宮流の貴公子公任もライバル家の彰子に和歌を献上しやがった

最近の連中は権勢者に追従ばっかりしやがって。フザケンナ。こんなことはフザケンナ」とご立腹だったうさ

実際、ロバート実資は、このとき何度も和歌を献じるように要請されたけど、言い訳を駆使して最後まで拒否ったうさ

さすがの、「こんなことは間違っておる日記」のロバート実資うさ


ぼんやり娘彰子が次男の敦良親王を産んだとき、出産三日目の産養の儀で、

中宮権大夫俊賢は、四百両分の銀食器の御膳を用意して、敦良親王の御衣を玉で飾った二合の筥に据えたうさ

ちなみに、このとき中宮大夫斉信は、用意した州浜(お菓子の一種)に二尺(約60センチメートル)の銀の鶴二羽を立ててドヤったうさ

この下品なかんじが、さすがなんちゃって貴公子斉信といったところうさ


道長と三条天皇がバトっているとき、三条天皇はロバート実資に

「私が譲位して、敦良親王を東宮にしろという圧を、道長がかけてくる。

公任や俊賢もいっしょになってプレッシャーをかけてくる」と訴えているうさ

まさに、道長の威を借る俊賢うさね

ロバート実資は、俊賢のように道長の顔色ばかりうかがってる人を「恪勤の上達部」と皮肉ってるうさ

「身分が高い公卿なのに道長の家来のようなヤツ」という意味うさ


伊周と道兼:第16回の2「華の影」

うさようございまーす

今回は、エピソード17「華の影」を楽しむ解説、パートツーうさー

平安時代のあれこれを知って、ドラマの解像度を上げていくうさよー


【動画版はこちら】


【唐物と宋商人は要チェック】

最初のシーンで、はんにゃ斉信が定子ちゃんに越前国から取り寄せた鏡をプレゼントしていたうさ

その鏡の形はまんまるじゃなくて、縁がくねくねしていたうさ

こういう鏡は「八稜鏡」と呼ばれていて、国産品と舶来品(唐物)があったうさ


斉信はおなごへのプレゼント名人だし、定子は舶来品好きだし、越前国は宋の商人が来着するところだしなので

はんにゃ斉信のプレゼントミラーは、宋からの舶来品だったと考えられるうさ

なお、定子と舶来品については前回の動画で紹介しているうさ

なおなお、越前国と宋商人という組み合わせは覚えておいたほうがいいうさ


【香炉峰の雪】

でた!香炉峰の雪! 、、、なんだけど、ききょうと『枕草子』ネタは独立した動画で特集したいうさ

お楽しみにしてくださいうさ




【空気読まない隆家】

藤原隆家が登場したうさね

隆家は伊周の弟で、20歳の伊周の5歳年下の15歳うさ そりゃ、ナマイキ盛りなわけうさ

ていうか、厨二病に骨の髄まで侵食されているお年頃うさ

若いからしょうがない、、、と言いたいところだけど

昔、大学院の研究会で『小右記』の原文を読んでいたときに

「道隆ってほんと空気読まねえ。周りからぜんぜん浮いてる」って感じていたので

大人になっても厨二病道隆はこじらせくんうさ ドラマでどうなるかが楽しみうさね

道隆は有名人なので、今後もドラマにでたときに何回か紹介していくと思ううさ


【伊周と道兼バトル】

じゃあ、別系統のナマイキ伊周のほうだけど、ドラマで伊周は内大臣に任命されていたうさね

内大臣は、天皇と摂関を除けば政界のナンバースリーのポジションで

このナンバースリーポジションに伊周が20歳で任命されたというのは先例がなく ほんとにありえないことだったうさ

今でいうと、内閣副官房長官が20歳のおぼっちゃんということうさ


あ、そういえば、内大臣となった伊周が道兼と話していたシーンがあったけど

なんで、その二人が話をしてるんだ? と不思議に思わなかったうさか?

実は、伊周の前任の内大臣は道兼だったうさ 

なので、二人が話していたのは、伊周が内大臣に就任した挨拶の場だったと考えられるうさ

だからこそ、道兼は「そのような考えで内大臣が務まると思うのか」と、後任の伊周を叱っていたうさ

ここで、ドラマでは前に「道兼はあまり参内しなくなった」というナレーションがあったことを思い出すうさ

参内しなくなったということは、道兼が内大臣の仕事をよく休んでいたということだからこそ

前任の道兼の言葉に対して、後任の伊周は「叔父上は何か良きことをなさったのでしょうか」とやり返したということうさ


付け加えると、その場には三人いて、もう一人は左大臣の源重信だと思ううさ

源重信は、去年なくなった倫子パパ源雅信の弟で、72歳のおじいちゃんうさ


じゃあ、左大臣と内大臣といっしょに飲んでる道兼は何者かというと

内大臣のあとは、ほんとは右大臣になっているうさ 政界ナンバーツーポジションうさ



右大臣といえば、藤原兼家の役職うさよ!

そこまで重い任についているのなら、いくら汚れ仕事といっても、伝染病のど真ん中に突っ込んでいくのはどうかと思ううさ

だからこそ、ドラマが引き立つんだけどね、、、うさ


【あめつちの歌】

疫病で死ぬときに、たねが歌っていたのは「あめつちの歌」うさ

まひろがたねに教えていたのは「あめつちの歌」うさ

「あめつちの歌」はかな48字をすべて使って歌にしたもので

手習い用の教材として使われたと考えられているうさ

「あめつちの歌」の初見は10世紀の『源順集』で、大河ドラマのころに存在したのは確実うさ

なお、有名な「いろは歌」は11世紀後半が初見で、大河ドラマのころに存在したかどうかはビミョーうさ

なんかニコ動で初音ミクが「あめつちの歌」を歌っていたので うさぎ先生も張り合ってみるうさ

あめ(天)つち(地)ほし(星)そら(空)やま(山)かは(川)みね(峰)たに(谷)くも(雲)きり(霧)むろ(室)こけ(苔)ひと(人)いぬ(犬)うへ(上)すゑ(末)ゆわ(硫黄)さる(猿)おふせよ(生ふせよ)えのえを(榎の枝を)なれゐて(慣れ居て)

ドヤ! うさ


【その他、雑感】

「道長に似てぼんやり」している幼い彰子が、「バケるかも」というのは

今回、倫子が覚醒したように、父親似の彰子が母親似にバケるということうさかね



近衛中将の隆家が一条天皇の御前で舞っていたうさ

天皇の御前や朝廷の行事で見事に舞うというのは、近衛中将の重要な仕事だったので(繁田信一説)

隆家は断ろうとしている場合じゃないうさ


隆家たちが舞っている場に詮子姉さんが入ってきてキレ散らかしてたけど

詮子姉さんは出家しているので、髪はあの長さでいんだろうかと思ったうさ


道長が、この年の疫病を「この度はいつもと違う」と言っていたけど

実際に、このときの疫病の流行は、聖武天皇の頃以来のひどいものだったと考えられてるうさ

天然痘ウイルスが舞い散らかす悲田院に突入する政界ナンバースリーとセブン


なお、一条天皇を別格として

ナンバー1:関白・藤原道隆

ナンバー2:左大臣・源重信

ナンバー3:右大臣・藤原道兼(道隆の弟)

ナンバー4:内大臣・藤原伊周(道隆の息子)

ナンバー5:大納言・藤原朝光(道隆の従兄)

ナンバー6:大納言・藤原済時

ナンバー7:権大納言・藤原道長(道隆の弟)



ききょう兄弟の運命:第16回の1「華の影」

うさようございまーす

ていうか、「ききょうあれこれ その1 家族編」うさ

みんなが語らない、ききょうの兄弟の話なんかもしていくうさー


【動画版はこちら】


【ききょう(清少納言)の兄弟概観】

ききょうは、清原元輔が60近くになったときの子で

ドラマには出てこないけど、兄弟も何人かいるうさ

おそらくは、ききょうが末っ子うさ

史料で確認できるのは、為成・致信・法師戒秀・寧子の兄嫁、うさ



ききょうのお姉ちゃんが寧子の兄と結婚してるので ききょうはなにげに寧子の親戚うさね

そのせいか、『枕草子』では、寧子の和歌を紹介してほめているうさ

ききょう本人について詳しく知りたい方は、こちらの記事をどうぞうさ


【清原為成】

為成(ためなり/ためしげ)はききょうよりも20歳ほど年上のお兄ちゃんで

いつごろかは分からないけど、ロバート実資の家に仕えていたうさ

なんか、音楽が得意だったみたいうさよ


【清原致信】

致信(むねのぶ)は一番ショッキングな運命をたどったお兄ちゃんうさ

致信は藤原保昌に仕えていたうさ

藤原保昌は道長に仕えていた武人で 「道長四天王」の一人うさ



この道長の家来の家来をしてた致信は なんと

白昼に騎馬武者7~8騎と郎党10数人に囲まれて殺害されたうさ!

犯人は源頼親の家来たちだったうさ


【法師戒秀】

あ、ごめん 法師戒秀(かいしゅう)もショッキングな死を迎えたお兄ちゃんうさ

法師戒秀は、足扇ほれほれ東宮師貞親王が即位してなった花山天皇

花山天皇が忯子ちゃんの死を悲しんで兼家ファミリーに騙されて退位してなった花山院

その花山院のそばに仕えていた殿上法師うさ

というわけで、足扇ほれほれ東宮の最終形態花山院に仕えていた法師戒秀は なんと

自分のお家で鼻くそほじってたら 雷に打たれて死んだうさ

もちろん、鼻くその部分はウサギ先生が盛った捏造うさけど

落雷は本当うさ

当時の感覚だと、お兄ちゃんが二人もこんな死に方したら、ウチの家系は祟られているとか心配したはずうさね


【パパ清原元輔補足】

ききょうのパパは歌人・清原元輔で、ママについてはまったく分かっていないうさ

パパ元輔については、前に「二人の才女解説」で話したので、概要欄からそちらも見てもらうとして



まとめて補足すると

パパ元輔は歌人として高名な下級官人うさ

ききょうが生まれたときに58歳で六位の大蔵小丞だったので ほんとに下っ端の下っ端官人うさ

ききょうが9歳のころ、パパ元輔は67歳にしてようやく周防国の受領になれたうさ

周防国から帰ってきて、受領を努めた功績で従五位下となって貴族の仲間入りしたときに

ききょうとまひろが出会った、道隆の漢詩の会に親子で呼ばれたということだったうさ

そんで、79歳の老骨に鞭打って肥後守として長期出張しているとき

現地の肥後で亡くなってしまったうさ パパ元輔83歳のときで

ききょうとまひろが再会して、和歌の会に呼ばれた日の数ヶ月前のことだったうさ


【ききょうの夫】

ききょう家族関係でよく話題に出るのが夫の話しうさ

通説的には、ききょうは生涯で二度結婚しているうさ


大河ドラマで、ききょうに息子を押し付けられたうえで捨てられたのが 最初の夫・橘則光うさ

則光はききょうの1歳年上と考えられていて 則光17歳、ききょう16歳のころに結婚したうさ

そんで、ききょう17歳のころに、息子・則長が生まれたうさ

ききょうがおねショタ定子ちゃんに仕え始めたときは、息子は11歳だったけど

このころには、父子ともども捨てられていたうさ

あ、エピソード17の993年段階では、ききょうは推定27歳うさ


橘則光に話を戻すと 則光はイケメンマッチョで、夜中に三人の盗賊を斬り殺したことがあるという剛の者だけど

「和歌を送ってきたら絶交する!」とききょうに言ってたほどの文学嫌いなので

ききょうとは馬が合わないに決まってるうさ

則光はききょうがおねショタ定子ちゃんに仕え始めた993年には蔵人やってるうさ

というわけで、職場が近いシンママききょうと元ダンナ則光だったけで

なぜか、仲が良く「幼馴染のようだ」と宮中で評判だったうさ


ちなみに、元ダンナ則光は、よく調べてみると 氏の長者という一族のリーダーポジションを弟にとられてるし、官位も弟のほうが上だし、、、と、元ダンナ橘則光は、なんか問題ありの人物かもしれないうさね


このあと、ききょうはおねショタ定子ちゃんへの宮仕えを終えるころに 藤原棟世と結婚するうさ

そんで、宮仕えが終わったききょうはニューパートナー棟世と摂津国に下るうさ

ききょうニューパートナー棟世との間には、娘小馬命婦を授かったうさ



お前が始めた物語だろ:第15回「おごれる者たち」

【動画版はこちら】


【女性たちの住まい】

最初に、詮子姉さんが「内裏の外の職御曹司」に遠ざけられたうさ

職御曹司は内裏の東北にある区画で、大臣や納言がお仕事したり、お泊りしたりするところうさ

ドラマでは、その後993年に場面が飛ぶけど

その間に詮子姉さんは、兼家と結婚前の道長兄弟が住んでいた東三条殿に住むようになるうさ

そんで、「東三条院」という史上初の女院号を受けているうさ

なお、職御曹司は、この後おねショタ定子ちゃんが、ふんふふーんで、ふんふふーんの後、

内裏に入れなくなったときに住んだところでもあるうさ



『枕草子』にもおねショタ定子ちゃんが職御曹司に住んでいたころの話があるうさ

ちなみに、ドラマで中宮となったおねショタ定子ちゃんが「登華殿」を御所としたという説明があったうさ

おねショタ定子ちゃんは、登華殿を御所としつつも清涼殿の上御局で寝泊まりしたらしいうさ

清涼殿は天皇の寝室件仕事場で、上御局は寝室となりのキサキの控室なので

今でいうと、自社ビル最上階の社長室の隣の部屋に奥さんが住み着いているかんじうさ


【道長のお仕事】

道長がおねショタ姪っ子定子ちゃんの生活費予算関係の書類で頭を悩ましているとき

道長は「だいぶさま」と呼ばれていたうさ

これは、道長は定子が中宮になったときに、中宮職の長官に任命されたからうさ

その長官の名前が、中宮大夫うさ

中宮職とは、皇后(中宮)・皇太后・太皇太后に仕える官司うさ

だから、姪っ子定子ちゃんの部屋の飾り付けなんかに

道隆兄ちゃんが「愚民どもから集めた税金使おうぜ」って言ってきたので頭を抱えていたうさ

今でいうと、総理大臣の娘の部屋にファンシーなぬいぐるみを溢れさせるために消費税をぶっ込むようなものうさ



うざけんなゴルァ!!

なお、大河ドラマでは、道綱が道長に怒られていたけど

道綱は、このとき中宮権大夫だったうさ 道長の部下ということうさね

今でいうと、弟道長(約24歳)が課長で、兄道綱(約35歳)が課長補佐という関係うさ

それでも、道長のあの言いよう。。。どんだけ、、、うさ


【道兼の被害者仕草】

バカ兄弟道兼が「オレは父のために手を汚したのに、裏切られた~」的に被害者仕草を全開にしていたうさけど

最初、勝手にまひろママのちやはを殺したのオマエだろ!

それが兼家家失脚の可能性もあるひどいスキャンダルだったから、兼家が尻拭いしたことを

バカ兄弟道兼はもう忘れたうさか????

だからオマエは汚れ仕事専門になったうさよ

自分で始めた物語なのに全力被害者仕草するうさか!?




【ブラックロバート実資】

ロバート実資の束帯が黒になっていたうさ

束帯の色は決まっていて、六位が麹塵(緑系の色)で、五位が赤、四位以上が黒うさ

ロバート実資は四位にもかかわらず、これまでずっと麹塵の束帯を着続けていたうさ

その理由を前の動画「光る君へ第3回のみどころ」なんかでは

ロバート実資が色黒すぎるから、黒が似合わなかったからかもと言ったり

ロバート実資サイズの黒束帯がなかったんじゃね?とか考えていたけど

ハズレたうさか??

もしかして、黒服に黒顔で、ロバート実資の目の白さを際立たせるためうさか!?


【おねショタ定子ちゃんと唐物】

「わたしバカでいいや~」と思っていたおねショタ定子ちゃんは、姑の高階貴子から青磁の唐物(中国からの輸入品)をもらっていたうさ

これは袴腰香炉で、どうやら13世紀のものらしいうさ



まあ、そのへんのドラマ制作者のやむを得ない都合はおいといて

あの時代の貴族は、競って唐物を欲しがっていたうさ

ロバート実資は、北部九州の香椎宮の宮司や、高田牧司からたくさんの唐物の進物を受け取っていたことを日記に書いているし

2年後に、おねショタ定子ちゃんは、若狭に来航して越前に移された朱仁聡が持ってきた唐物を入手しているうさ

朱仁聡は大河ドラマが始まる前からキャスティングが発表されているし

おそらく、為時やまひろにとっても重要人物になると思うから

995年は(他にもいろいろあって)、大注目うさよ


【藤原頼宗】

今回、源明子のお腹の中にいた子は頼宗うさ

頼宗は乱暴者で手が付けられない大人に成長?しするうさ

1027年、賀茂祭のとき。字が上手な藤原行成は賀茂祭の運営を監督する役目を負っていたうさ

ところが、頼宗がみんなの行列に割り込んできたうさ

行成は役目上、頼宗を注意しに行ったけど、

頼宗は一切聞かないどころか、行成の従者の狩衣を破ったり、刀を抜いたりしたうさ

今でいうと、皇族出席のセレモニーを警備している警視庁長官に銃口を突きつけたようなものうさね

1012年、ロバート実資の随身は頼宗の従者からひどく侮辱され、襲いかかられそうになったうさ

ロバート実資は、頼宗を「頭が、、、じゃねえの!?」とか「暗闇を目の前にして何も見えない人みたい」とか、さんざんに罵っているうさ



兼家の最期:第14回「星落ちてなお」

今回は人物というよりも、エピソード14・15の年、990年あたりの状況を解説してみるうさ

この前予告していた、藤原為光は、、、どうしよう、、、うさ


【元号「永祚」】

西暦990年は、年号で言うと永祚二年うさ

エピソード15の最後、10月に定子が中宮となったけど、その翌月の11月7日に正暦と改元するので、

990年は正暦元年でもあるうさ

なので、今回までは永祚二年(990年)で、次回あたりから正暦元年(990年)に突入するうさ

ちなみに、前年の989年に永祚と改元してたわけだけど

永祚改元の理由は天変・地震で、要はハレー彗星が現れたからうさ


【公卿会議の面々】

エピソード15の政治的な話では

最後に公卿会議の総意をぶっちぎって、道隆定子を中宮としたことが

公卿全体や道長に衝撃をあたえていたのがおもしろかったうさ


あのときの、公卿たち(日本株式会社の経営陣)の布陣は

社長こと天皇、一条天皇、11歳(数え年、以下同じ)、15歳の定子に昼間っから乗っかかり、伯母の詮子をあきれさせてるうさ

今でいうなら、小5と中2のおねショタが、真っ昼間っからキャッキャウフフうさ


社長代理こと摂政、藤原道隆、38歳、酒飲みまくりでそろそろ糖尿病うさ

社長・一条天皇が成人式(元服)して大人になってたから、最初は関白に任命されたけど

小5社長の一条天皇は、おねショタキャッキャウフフ状態で

現実的には政治なんかできない年齢なので、特例的に社長代理の摂政に異動したうさ

道隆については、あとで、もっかい触れるうさ


専務こと左大臣、源雅信、71歳、婿でコネ入社した道長(25歳)が会議で空気読まない発言しまくりなんで、

脂汗ダラダラうさ


常務こと右大臣、藤原為光、49歳、花山天皇(今は花山院)のお気に入りだった愛されすぎ女子・忯子のパパうさ

愛されすぎ女子・忯子ちゃんが花山天皇に愛されていたときは、ワンチャン摂関ルートもあったんだけど

愛されすぎ女子・忯子ちゃんが愛されすぎて亡くなったときに為光の夢は破れたうさ

愛されすぎ女子・忯子ちゃんが死んで、花山天皇も退位したときに、兼家的に為光は安牌になったからか

エピソード12で、兼家が摂政になって人事をしたときに右大臣に出世したうさ

ドラマでは、そのときに為光がやたらとニヤついていたのが印象的だったうさ

愛されすぎ女子・忯子ちゃんに限らず、(まだ出てきてない)為光の娘たちも やたらとモテ力が高く

今後も為光ガールズからは目が話せないうさよ


次が部長こと内大臣、藤原道隆、38歳、、、

ん?????????

そう 道隆は専務・雅信や常務・為光の下の部長なのに社長代理を兼ねているうさ

公卿会議のナンバーワンじゃない人が社長代理になるという道は 兼家が開いた道うさ

そんで、兼家道隆も大臣の職の方は捨てて

公卿会議の序列とは別格の摂関というポジションをつくりあげるうさ

なお、道隆が部長こと内大臣を捨てて摂政オンリーとなるのは 翌991年のことうさ


最後の公卿会議のときの最年少は25歳の道長かな? と思って確かめたら

藤原道頼が20歳で公卿会議に出席できるる参議になっていたうさ

実は、道頼は摂政・道隆の長男で、兼家が生きているときに兼家の養子になっていたうさ

(たぶん 大河ドラマでは道頼はこのままオミットされるうさ)

それで、兼家がまだ生きていた5月に

道長の弟ということになる道頼を、兼家が公卿会議メンバーにねじ込んでいたというわけうさ


ということは、、、うさ

道長の兄にあたり 兼家寧子の子で36歳の道綱がまだ公卿会議に入れてもらえてないって、、、

どんだけ道綱のできが悪くて 寧子の家系が不遇なんだよ!  ってかんじうさ

そりゃ 寧子も死にかけてる兼家の耳元で「道綱道綱!」とシュプレヒコールもあげるうさ


【藤原宣孝が国司になった話】

まひろの親戚の宣孝が筑前守に任命されて喜んでいたうさ

ロバート実資の日記『小右記』によると、宣孝が筑前守に任命されたのは8月29日だったうさ


任命の経緯がすごいうさ

もともと、藤原知章という人が筑前守に任命されて九州に行ってたんだけど

なんと、知章の子どもや家人たちが30人以上も病死したうさ

それで、知章が辞退したので、急遽宣孝が筑前守に任命されたうさ

ロバート実資は、日記に

宣孝が国司になるのは、まだ早いんじゃね? なんで宣孝が筑前守に任命されてんだ!?」っていぶかしんでるうさ

宣孝が言っていたように、きっと「金峯山詣のご利益」に違いないうさ


そういえば、前回くらいで、まひろパパ為時が「宣孝の息子をまひろの婿に」と言ったとき

宣孝「ダメダメダメダメ、あれはダメ!」的な返事をしていたけど それはどうしてだったうさか?


宣孝の息子・隆光は、パパ宣孝と似たもの親子だったうさ

後に、ききょう(清少納言)は『枕草子』で宣孝

「あんな原色オレンジ(ドラマではイエロー)の下品なコーデで金峯山詣に行くか? フツー」ってディスっているけど

同時に息子・隆光も

「原色ブルーアンドレッドの下品コーデでオレンジパパといっしょに詣でたんだってよ。ないわ~」ってモア・ディスってるうさ


このように宣孝と隆光が似たもの親子だったってことは、、、

まひろの将来を大切に思っている宣孝は、

優等生キャラのまひろを、自分のようなチャラモテ下品な陽キャ浮気野郎なんかとはぜったいに結婚させたくないと思ってるってことうさね

ふふふ。。。


【ききょう(清少納言)】

あ、990年のききょうの状況は

ききょうが夫・橘則光と結婚したのがだいたい981年で、10年前

ききょうの子ども・則長が生まれたのが982年うさ

8歳くらいの則長、、、「いらないから、夫に押し付けよう」とか、、、あの言われよう。。。


【藤原兼家の最期】

今回、ついに兼家が死んで、そのときの演出が話題になってるけど

あの場所は東三条殿ではなくて、別邸の二条殿(法興院)うさ

兼家は出家した後に、別邸の二条殿を法興院というお寺にしてたうさ

道長は妻の源倫子の家、すなわち土御門殿に住んでいるので

パパ・兼家が心配で朝一で二条殿にやってきた道長が第一発見者になったという演出うさ

ちなみに、ふだん、道長源明子の家に通ってそこで寝ることもあるけど

兼家が死んだ夜は、明子は「そわか!」って呪いの黒ミサやってたんで

この夜に道長明子邸にいた可能性はないうさ



小動物系関白じじい:第6回「二人の才女」

これからもガンガン登場するききょう(清少納言)は、今後少しずつ紹介していくうさ

年齢的に、ドラマからの退場が早そうな人たちを優先していくうさ


【動画版はこちら】(前編)


【1, 新キャラ 清原元輔】

ききょう(清少納言)のパパ・清原元輔は従五位上の下級貴族うさ

学者で下級貴族なので まひろパパ・為時と似た境遇うさ

あ、まひろパパ・為時はまだ六位なので 正確には「貴族」ではなかったうさけど


清原元輔は908年生まれなので 78歳うさ

元輔の清原真人氏は天武天皇の子孫うさ

かつて、元輔は村上天皇の951年から和歌で名声を得て 「梨壺の五人」と称されたうさ

百人一首には


契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波越さじとは


の歌が入っているうさ


元輔は政治色が薄いからなのか 政治的には下っ端の学者だからか

声が小さい関白頼忠系の小野宮流にも こわーい右大臣兼家系の九条流にも 円融天皇系の敵・源高明のところにも出入りしてきたうさ


注目されるのは元輔の年齢で 908年生まれの78歳は

これまでの登場人物最長老の藤原文範の909年生まれ77歳をこえて

輝く最長老記録を更新したうさ


驚くべきことは 本人の年齢以上に 娘のききょうとの年齢差うさ

清少納言(ききょう)は生没年不詳うさけど だいたい966年生まれという説があるうさ

この説をとると ききょうは道長と同い年の20歳で 16歳のまひろの4歳年上になるうさ

ここから計算すると ききょうはなんと元輔が58歳のときの子うさ!

これは、孫のような娘どころか ひ孫のような娘と言っていい年の差うさ


実際 これまで最長老だった藤原文範は まひろのひいおじいちゃんうさよ

藤原文範は元輔の1歳年下で 文範の孫ちゃんがちやはで ちやはの娘がまひろうさ

現代の感覚でいったら 元輔にとってききょうは70歳以上になってできた娘ちゃんうさ

しかも ききょうは超絶スーパーに頭が良いうさ

そりゃもう 学者で老齢の元輔は ききょうが可愛くて可愛くてしかたないうさね

元輔はききょうをものすごく可愛がって育ててきたと思ううさ

そりゃあ あの自己肯定感に満ち満ちて はっきりと物言う明るいききょうに育つはずうさ

パパ為時に「お前が男であったなら……」と言われ続けたまひろとの違いがおもしろかったうさ


なお、元輔は5年後の990年に83歳で死去するうさ



【2, 声が小さい関白・藤原頼忠マニアックス】

藤原頼忠は声が小さい関白で 飲むと声が大きくなるうさ 62歳うさ

子どもには円融天皇に愛された遵子と 漢詩が上手かった若きホープ公任がいるうさ

ドラマには出てこないけど 娘には前の動画で紹介した花山天皇の女御の諟子もいるので ぜひ概要欄からチェックしてほしいうさ


みんな忘れていそうだけど 頼忠は関白なので 今一番偉い人うさ

なんかひ弱そうな頼忠が どうして一番偉い関白なのかというと

頼忠の父親の世代に 頼忠のパパ・実頼と兼家のパパ師輔が争っていたうさ

このパパバトルは 実頼の娘が天皇の子を産めず

師輔の娘(兼家の妹でもある)安子が冷泉天皇と円融天皇を産んだことで決着がついたうさ

……かに思われた、しかし!


ライバル師輔は両天皇が即位する前に死去してしまったうさ

こうして 頼忠パパの実頼が冷泉天皇の関白となったことで 頼忠パパ実頼の勝利となったうさ

……かに思われた、しかし!


頼忠パパ実頼は冷泉天皇のおじいちゃんじゃなかったので力は弱く 死んだ師輔の息子たちが台頭してきたうさ

そんなとき 実頼は自分のことを「名ばかり関白」と自虐していたうさ

師輔の息子たちというのは 伊尹や兼通 そしてこわーい兼家うさ

あ、いちおう為光(花山天皇が愛した忯子ちゃんのパパ)も師輔の息子うさ

その後 冷泉天皇が譲位して円融天皇が即位しても 頼忠パパ実頼は摂政になったけど 

もう70歳とかだったので 間もなく死去したうさ

なので 頼忠パパの実頼は「名ばかり関白」とはいえ 最後までトップランナーでいられたうさ


しかし!

次の関白には師輔の息子 つまり円融天皇のおじさんズ長男の伊尹が任じられたうさ

師輔の系譜 これを九条流といううさけど ここからは九条流の時間うさ!


……かに思われた、しかし!

伊尹から兼通まではよかったうさけど 兼通と兼家が激しく権力を争ったうさ

さらに円融天皇が兼家と仲が悪かったこともあり 兼通の次の関白には 声が小さい頼忠が選ばれたうさ

このとき 声が小さい関白頼忠は54歳だったうさ


ただ 天皇との親戚関係が薄いと強い権力を持てないので このままでは頼忠は 「名ばかり関白」のパパ実頼と同じ運命をたどるうさ


だからこそ 頼忠は娘の遵子を円融天皇に入内させたうさ

ここで 「光る君へ」で円融天皇は兼家の娘の詮子ではなく 頼忠の娘の遵子を愛していたことを思い出してくださいうさ

あれは 個人的な好き嫌いだけでなく 反兼家(九条流)の円融天皇が なんとかして声が小さい関白頼忠(小野宮流)を引き上げたいという 円融天皇の政治的な行動でもあるうさ

円融天皇は そうとうに苦々しく兼家の孫の懐仁親王を東宮(天皇の後継者)にしていたでしょ うさ


兼家からみれば ライバル頼忠の娘・遵子が円融天皇の男子を生むかどうかに兼家系(九条流)の未来がかかっているうさから

安倍晴明に呪詛させてまで 遵子の出産を食い止めたうさ

そういえば 兼家は遵子呪詛の成功体験に調子に乗って 忯子の子も呪詛してまた成功したけど

これらの成功体験が のちのち我が身に跳ね返ってこないといいうさねえ 

「人を呪わば穴二つ」うさよ うささささ


話しを声が小さい関白頼忠に戻すうさ

今第5話を思い返せば 兼家・頼忠・雅信の3人がかりで為光の娘・忯子ちゃんのお腹の子を呪詛しようとしたときに

さすがに 頼忠は「オレの娘・遵子が円融天皇の子を産まなかったのも兼家が安倍晴明に呪詛させたからじゃね?」と察したと思ううさけど

そのあたりはどうなんでしょうねえ。。。


円融天皇が花山天皇にしたあとも 花山天皇の叔父の飲み会ヘタクソ義懐がまだ公卿にもなっていなかったので 第6話の段階でも 声が小さい頼忠が関白を続けているということうさ

ただ 政治の表場面では頼忠は身を引き始めたようで 花山天皇の即位後は政務を欠席することが増えたうさ


動画「第4回「五節の舞姫」 お目にとまらない系女子」でも五節舞のときに頼忠が早退した話しをしたうさよ 概要欄から見てくださいうさ



なお裏では まだ声が小さい関白頼忠の戦いは続いているうさ

頼忠は花山天皇にも娘の諟子を入内させているうさ

こちらのほうは 花山天皇が忯子ちゃん好きすぎて見向きもされていないうさ



ホントは勝者⁉️:第5回「告白」

【動画版はこちら】(前編)


【1,  新キャラ 藤原寧子】

出、出た…… 本朝三美人にノミネートされて

匂わせ、当てつけ大好きの、扱いにくい人うさ

藤原寧子は、いわゆる「藤原道綱母」という通称で知られる、『蜻蛉日記』の作者うさ

本名は分かっていないけど

「藤原道綱母」の父親の名前が「倫寧」(ともやす)なので

大河ドラマでは、「寧子」という名前にしたと思ううさ

『蜻蛉日記』というのは、

「天延二年(九七四)頃の成立。天暦八年(九五四)に兼家と結婚してのち、不安定な結婚生活に苦悩や嫉妬や絶望を重ねながら、やがて一子道綱への愛や芸術の世界に平安を見いだしていく、二一年間の心の遍歴を自伝風につづる」(日本国語大辞典)ものうさ


不安定な結婚!

どん

苦悩!!

どん

嫉妬!!!

どん

絶望!!!!

どーーん


もう私には息子道綱しかいない……じゃあ、その道綱は……

それは、この動画の中盤のお楽しみうさ

ドラマの第5話は984年なので、寧子兼家と結婚してから30年たってるうさ

呪いの『蜻蛉日記』を書き終わったころからも10年経っていて

もういろいろと一周回った年齢の女性となっているうさね

一般的に、寧子のイメージは愛に右往左往している20代の女性なので

大河ドラマで約50歳と熟年、当時の感覚だと老年になって落ち着いた寧子の姿が見れるのは新鮮うさ

あ、寧子は936年ごろの生まれと推定されているから

20歳弱で兼家と結婚して、20歳ごろに道綱を生んで

20代はずっと右往左往して、匂わせたり、当てつけたりしていたうさ


でわーーーーーーー

寧子のメンドクサイエピソードランキングー わーパチパチパチ わーうさうさうさ


第3位

兼家がルーキー泥棒ネコにぞっこんラブラブ(昭和)なことにムカついて、兼家に私のとこに来いやと念をかけるも

実際に兼家が自分のとこに来たら、門を開けずに入れてあげないうさ

メ・ン・ド・ク・セ・―! うさ

ちなみに、寧子が門を開けてくれないので、兼家はさっさと帰ったうさ

寧子の完敗うさね


第2位

自分自身もベテラン泥棒ネコなくせに

ルーキー泥棒ネコに関する文句を書いた手紙を

兼家の本妻の時姫に送るうさ

メ・ン・ド・ク・セ・―!! うさ

時姫からしたら、もう、「オマエが言う?」

「おまいう?」「手紙送る相手違くね?」

「オマエが言うなやー!!」案件うさよね

そんで、ルーキー泥棒ネコと兼家の赤子が死んだり

ルーキー泥棒ネコから兼家の足が遠のいたり

新ルーキー泥棒ネコの家が火事になったりしたときは

「ざまぁ」という本音がまろび出ている日記を書いているうさ

そういえば、第5話に寧子が登場したときには、もう時姫は死んでいるので

この時点では、長生き争いに勝利した寧子が、ほぼ愛の一人勝ちになっているということうさね

普段は家族の前でもずっと政治家の顔をしている兼家が、

寧子道綱の邸宅に通っているときだけ、おっちゃんの顔になっていたのが印象的だったうさ

寧子のお家は、兼家が唯一安らげる場所なのかもしれないうさ


第1位

出家匂わせ事件―

昔の若い女性が「いいの? 出家するわよ 私が出家してもいいの⁉」って迫るのは

今でいうなら、どうせ死なない程度にリスカしながら

「いいの? 死ぬわよ 私が死んでもいいの⁉ あなたのせいよ」

ってやってるようなものうさ

あ、別件だけど、ヤンデレ出家と熟女地雷系毒親尼さん阿仏尼について、ブログに書いているから

動画の概要欄から、ぜひブログのほうも読んでみてほしいうさ


話を戻すと、

寧子は、このリスカムーブを、こともあろうに

兼家の前じゃなくて、息子道綱(10歳ぐらい)の前でやってるうさ

相手が違うだろー! うさ

大好きママのリスカムーブを見せられた、おっとり系道綱はえんえんと泣いて

「ボクも出家するー」とか泣きギレして 飼っている大事な鷹を逃がすうさ

今でいうなら、親から買ってもらったスマホとかニンテンドースイッチとかを

二回の窓から投げ捨ててぶっ壊す系の泣きギレ息子うさね

そんな母子を見ていた使用人とかがいたら、

「このファミリー収集つかねー やってらんねー」とか言って

再就職先を探すことうけあいうさ

ちなみに、「出家するわよ!」のリスカムーブは、「光る君へ」でも出てくるはずなので 楽しみにしているうさ


【2, 新キャラ 藤原道綱】

藤原寧子兼家の子で、この時代ナンバーワンのおバカキャラうさ

ドラマではおっとり癒やしキャラになれるかどうかが勝負うさ

“あの件”がどういうふうに描かれるかで大河道綱の方向性が確定すると思ううさ

第5話(984年)の段階では30歳(数え年)で、同じパパ兼家の子の道長よりも11歳年上うさ

宣孝(33歳)や道隆(32歳)や赤染衛門(30前後)と同世代といったところうさ

この時点での官位は従五位上・左近衛少将なので

従四位上・左近衛中将の藤原公任(19歳)の部下だったうさ


息子道綱大好きママ寧子の、呪いのブログ『蜻蛉日記』では

道綱はぼやっとしてるから心配だわ」と言われ

ロバート実資は、自分探しブログ『小右記』で

道長パワーでロバート実資の官位を抜いた道綱にバチギレして

「あいつ、自分の名前以外なんも書けねえぜ」とか書いたり

道綱道長に「ボクを大臣にしてー」と頼み込んでいるというウワサを聞いて

「あんな何もできないヤツが大臣になるとか、ネット民が許さんよ」

とか書きなぐってるうさ

ちな、実資道綱より2歳年下うさ


ついでにいうと、道綱の娘は豊子で、『紫式部日記』に「宰相の君」として登場しているうさ

それを考えると、豊子はまひろの同僚なので、「光る君へ」の後半は、道綱よりも娘の豊子のほうがドラマに出てくるようになるかもしれないうさ


【3, 花山天皇の政治】

花山天皇の政策としては、ドラマでもあった荘園停止令が有名うさ

研究者のなかには、貴族の利権である荘園を停止しようとしたことを前向きに評価するものもあるうさけど

ドラマでは、自分の政権を支える人たちの利権を取り上げようとすることがどれだけの反発を招くのかという

政治のものすごく難しい問題がクローズアップされていたうさ

なにせ、声が小さい関白頼忠の声が大きくなるくらいだから うさ

次に、花山天皇は荘園停止令と同時に「破銭法」というものも出しているうさ

破銭法とは、破損した銭を受け取らなかったり、破損した銭を受け取るときは値段をぼったくることを禁止する法律うさ

室町時代の言葉でいうと、撰銭令うさね 受験生にはおなじみのやつうさ

ちなみに、荘園停止令と破銭法が出されたのは984年の11月28日なので、

まひろが道長と兼家の関係を知った五節舞の6日後のことうさ


さて、ドラマではたぶん省略される花山天皇の女性関係を紹介するうさ

あ、花山天皇が譲位して上皇となった後の女性関係は、また後日にするうさ

花山天皇は、”足扇ほれほれ東宮師貞“だったときには、キサキを取ってないうさ

いろいろと女遊びはしていたというキャラうさけど

そんで、即位して間もなくして、藤原為光の娘の“縛られプレイ忯子ちゃん”がキサキとなったうさ


花山天皇は、天皇である期間に、最終的に合計4人のキサキをとるうさ

たぶん、他の3人はドラマに出てこないので

今回は、忯子ちゃん以外の3人のうち、忯子ちゃんと同じ984年に入内した藤原諟子(ただこ)をチェックしておくうさ

諟子はなんと、声が小さい関白頼忠の娘うさ


声が小さい関白頼忠の娘といえば、もう「光る君へ」に登場しているけど みんな覚えているうさか?

それは、円融天皇(今は上皇)のお気に入りの遵子ちゃんうさ

ドラマでは安倍晴明が関わっていたうさけど

結果論的には、円融天皇のキサキとしては兼家の娘詮子姉さんが懐仁親王を生んだのに

遵子には子どもができなかったので 声が小さい関白頼忠は敗北したということうさ




そして、花山天皇のキサキとしては為光の娘“縛られプレイ忯子ちゃん”が愛されていて

諟子はほぼ見向きもされないので、声が小さい関白頼忠はまたも敗色濃厚という状況うさ




為光・忯子チームと、頼忠・諟子チームのどっちが勝利するのかは

ドラマの(たぶん)第6話を楽しみにしておくうさ


こうした天皇のキサキと子どもを巡るバトルは、天皇が替わるごとに繰り返されるうさ

有名な話なので ドラマの中盤の話をしておくと

一条天皇のときに、お兄ちゃん張相……じゃなかったお兄ちゃん道隆の娘・定子と、

“どうする道長”の娘・彰子のバトルが勃発するわけで

それが楽しみで ワクワクがとまらないうさ


勘のいいガキ……じゃなかった、視聴者さんは疑問に思ったかもしれないけど

花山天皇のときに兼家はどうしていたのか? ということがあるうさ

兼家は(ドラマではオミットされている)長女の超子を花山天皇のパパ冷泉天皇に嫁がせて

花山天皇の弟の居貞親王が生まれているうさ

なので、冷泉・花山の系統にはすでに兼家の孫はいるから大丈夫うさ


【4, その他の雑感】

なんか、今回はまひろと道長が盛り上がっていたのに、恋バナの一つもできない動画だったうさね

左大臣家に関白藤原頼忠と左大臣源雅信と右大臣藤原兼家が集まって 飲み会やっていたうさけど

左大臣家に集まるってことは、源雅信が招待したってことうさよね

あの三人だと、兼家以外の2人が主体的に集めるようには見えないので 意外な感じうさ

まあ、兼家が倫子の存在を知るというフラグを立てるための都合かもしれないうさけど



道綱と道長の隠された関係:第11回「まどう心」

うさしぶりでーす

ようやく環境を再構築したので、動画復活うさ

おまたせしましたうさ

今回からナンバリングをエピソードナンバーに準拠させたうさ

では、エピソード12「まどう心」を楽しむ解説うさー


【動画版はこちら】


【藤原道綱補足】

Xのタイムラインなんかでも、道綱の癒やしキャラが盛り上がってるうさ

道綱は道長の母違いの兄弟うさ



史実でも道長の母違いの兄弟は何人かいるけど、他の兄弟とくらべて、道長は明らかに道綱と仲が良かったうさ

たとえば、よく同じ牛車に一緒に乗って「まったり まったり まったりな~♪」と出かけていたうさ


大河ドラマでは、二人が仲が良い理由を

「親兄弟も信じられない」と言っていた道長にとって

ぼんやりとして出世に興味がない道綱といるときだけが心休まるときになる

とするシナリオに感じるうさ 今のところ

道長も道綱にくるくるお菓子をもらって はむはむするかもうさ


さあ、ここからうさよ

実は! 道長と道綱にはドラマでは隠された関係がある(できる)うさ

それは、相婿(あいむこ)」という関係うさ


相婿とは、姉妹と結婚した二人という関係うさ

道長はこの後、左大臣源雅信の娘 倫子と結婚するけど

実は、道綱も左大臣源雅信の娘と結婚しているうさ

こうして、道長と道綱は相婿の関係になるうさ



ちなみに、倫子と道綱の北の方のどちらが年上なのかは、史料がないので分からないうさ

(2024/05/19追記:栄花物語によると倫子が姉でした)

また、道長と道綱どちらが先に結婚したのかも分かっていないうさ

いちおう、道綱のほうが道長より11歳年上だし 道長と倫子は当時としては晩婚なので

道綱のほうが先に結婚していたのかなあ、、、と推察してみるうさ

(2024/05/19追記:栄花物語によると道綱が後でした


そうなると、今週のドラマで道綱がくるくるお菓子をはむはむしていたときは

もう左大臣家の娘と結婚していたということうさ(2024/05/19追記:栄花物語によると道綱が後でした


おい!道綱 パパの肩揉もうとしてママに怒られてる暇があったら 奥さんのとこ行って道長みたいにラブラブちゅっちゅしてこんかい!


さて、大河ドラマでは、道長が左大臣家の源倫子と結婚することによって、右大臣家(兼家の家系)が源氏と繋がるというシナリオのようなので

道綱がすでに源雅信の娘と結婚していたという話はオミットされると思ううさ


史実では、道長にとって相婿の関係にあるのは道綱だけうさ

道綱から見たら、道隆や道兼は相婿ではなく、道長だけうさ

こうして、二人は他の兄弟とは少し違う近しい関係にあったと考えられているうさ

たとえば、後々道綱息子の一人、兼経は、道長の養子になっているうさ


ちなみに、翌年の987年4月17日に、道綱と道長は、藤原為光との間にある事件を起こす(起こされる)うさ

藤原為光は、今週の除目のときに、ニヤっとしていた人うさ

『源氏物語』の元ネタになった可能性もある出来事なので、ドラマでも描かれるかもしれないうさ

楽しみにしているうさけど、、、「光る君へ」は好き好きちゅっちゅ以外のエピソードは削りまくっているので、どうかなあとは思っているうさ


余力があったら、今度は藤原為光の解説を今週中に上げたいうさ


最後に、道綱奥さんズを何人か紹介しておくうさ

まず、今回紹介した左大臣家源雅信の娘は、道綱が40歳と少しのころに亡くなるうさ

他には、源頼光の娘も妻にしているうさ

源頼光は武士として大江山の酒呑童子を退治したという伝説をもつ頼光うさ

あと、源近広の娘も道綱の子を産んでいるうさ その子は後に歌人道命阿闍梨として有名になるうさ


「光る君へ」を楽しむ参考文献リスト

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