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【歴史部日記】2025年9月4週まとめ

更新日:9月26日

【目次】

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歴史部(2025/09/22)のサマリー

主なポイント

鎌倉時代の裁判制度と三問三答について議論された

東国と西国の区分と幕府の支配権について説明があった

関所の歴史的変遷と東西の境界線について詳細な解説があった

北条氏の執権の系譜と家系における「通字」の使用について議論された

次回は95ページから再開することが確認された



議論されたトピック


三問三答と鎌倉幕府の裁判制度

のぶた先生が三問三答について言及し、鎌倉幕府の裁判制度の研究状況について説明した

詳細

のぶた先生: 鎌倉幕府の裁判制度について研究が進んでいることを紹介

I: 三問三答について質問を提起した

結論

鎌倉時代の裁判から幕府の特質を見ることは中世史研究において重要である


東国と西国の区分

教科書94ページの「幕府と東国」について読み進め、東国と西国の区分について議論された

詳細

I: 東国の範囲について質問

のぶた先生: テキストの該当部分がいう東国・西国の境界は明確に定まっておらず、グラデーション状に変化していると説明

K: 幕府の西国での権限について質問

のぶた先生: 後部二元支配の図を用いて説明し、西国では朝廷の荘園が多く、東国では幕府の荘園が多いと解説

結論

東国と西国の境界は時代によって変化し、明確な線引きは難しい

東西の区分は権力の濃淡によるグラデーション状のものである


関所の歴史と東西の境界

関所の位置と歴史的変遷について詳細な説明があった

詳細

うえまつ先生: 関所について質問

のぶた先生: 不破関、鈴鹿関、愛発関の三関について説明し、これらが律令制で定められた関所であることを解説

のぶた先生: 日本の関所は外から入ってくる人を防ぐためではなく、機内から出ていく人を防ぐ目的だったと説明

のぶた先生: 逢坂の関についても言及し、関所の変遷を説明

結論

不破関(関ヶ原付近)から東が東国の始まりとされていた

関所の位置は時代とともに東に移動していった

関所は犯罪人が逃げ出さないようにする目的があった


朝廷の命令と幕府の権限

朝廷が東国に命令を出す際の幕府の関与について議論された

詳細

W: 朝廷が東国に命令を出す際の幕府の関与について質問

のぶた先生: 土地紛争の解決や犯罪人の逮捕など、西国では朝廷が直接命令を出すが、東国では幕府を通すことが多かったと説明

結論

東国と西国では朝廷の命令系統が異なっていた

この分野は研究が進んでいる新しい領域である


東国御家人と朝廷の官職

東国御家人が朝廷の官職に就く際の頼朝の推薦について議論された

詳細

のぶた先生: 東国御家人は頼朝の推薦がなければ朝廷の官職に就けなかったことを説明

I: 御家人がどの程度の官職に就いていたか質問

のぶた先生: 和田義盛や三浦義村などの例を挙げ、六位や五位相当が御家人のトップクラスだったと説明

うえまつ先生: 北条政子が十三位になったことは非常に高い位であることを指摘

結論

御家人のトップクラスでも六位・五位程度が一般的だった

五位以上が貴族とされていた


北条氏の執権の系譜

北条氏の執権の系譜について、特に時宗と正村の関係について詳しく議論された

詳細

W: 執権の系譜で親族間の順番について質問

のぶた先生: 時宗が若年だったため、他の親族が執権を務めたことを説明

うえまつ先生: 北条正村と安時の関係、北条政子の影響力について詳細に説明

I: 吉時の死後、北条氏の基盤が揺らがなかった理由について質問

うえまつ先生: 三浦義村との関係や北条政子の動向が重要だったと説明

結論

北条氏の執権継承は必ずしも直系ではなく、状況に応じて親族間で調整された

北条正村は時宗と安時の間を繋ぐ重要な人物だった

北条氏の基盤は完全に盤石ではなく、政治的駆け引きがあった


家系における「通字」の使用

日本の家系で同じ字を世代を超えて使う「通字」の慣習について議論された

詳細

菊原: 北条氏の「時」、徳川氏の「家」など、家系で特定の字が使われる理由について質問

うえまつ先生: 中国では忌み名を避けるため親の字を子が使うことはないが、日本では通字の使用が一般的であると説明

のぶた先生: 日本での通字の使用は平安時代の摂関期頃から広がったと推測

I: 通字は家の正統性を示す役割があるのではないかと提案

結論

通字は日本の家風を示す文化的特徴である

儒教文化の影響が少ない日本独自の慣習として発した

平安時代の国風文化の時期に広がった可能性がある


アクションアイテム

のぶた先生

朝廷が東国に命令を出す際の幕府の関与について調査する


歴史部(2025/09/23)のサマリー

主なポイント

歴史部の授業で明治時代の政党政治について議論した

元老制度と政党の対立構造について詳しく説明された

日清戦争後の経済状況と政治的変化について触れた

第一次大隈内閣と尾崎行雄の演説事件について学習した



議論されたトピック


明治時代の政党政治の構造

のぶた先生が明治時代の政党政治の基本構造について説明した。

詳細

のぶた先生: 政党と藩閥政府(薩長)の対立が基本構造。薩長は政党を素人と見なし、政党側は薩長が国民のための政治をしていないと批判していた。

のぶた先生: 政党内部では自由党(板垣系)と立憲改新党から進歩党(大隈系)という二大政党の対立があった。

うえまつ先生: 議会勢力としての吏党派はこの段階ではすでに影響力を失っていた。

結論

明治時代の政治は「政党 vs 薩長藩閥政府」と「自由党 vs 進歩党」という二段階の対立軸で理解するのが重要。


元老制度について

うえまつ先生からの質問をきっかけに元老制度について議論された。

詳細

うえまつ先生: 元老制度とは何か、元老の役割は何かについて質問。

のぶた先生: 元老とは薩長の有力政治家の中から元老会議に呼ばれた人々で、多くが元総理大臣。

うえまつ先生: 元老が一致して推薦した人物が首相になるという制度で、議会とは別のラインで動いていた。

のぶた先生: 議会の第一党がどこであれ、元老が推薦した人物が天皇に任命され首相になる。

結論

元老制度は日本特有の制度で、議会制民主主義とは異なる仕組みだった。

元老は「年功あるいは官位の高い人」「長老」という意味を持つ。


第一次大隈内閣と尾崎行雄の演説事件

教科書の内容を読み進めながら、第一次大隈内閣と尾崎行雄の演説事件について議論した。

詳細

U: 尾崎行雄の演説で「日本の政治の金権的体質」を批判し、「仮に日本に共和制が行われるとしたら」と発言したことが問題になった。

のぶた先生: 尾崎は天皇制を擁護する意図で発言したが、「共和制」という言葉だけが切り取られて批判された。

のぶた先生: 日本では「もし〜だったら」という仮定の話を「〜を望んでいる」と曲解する批判の論理が昔からある。

結論

尾崎行雄の演説は意図と異なる解釈をされ、政治的混乱を招いた。

この事件により、憲政党は憲政本党と憲政党に分裂した。


日清戦争後の経済状況

Mの質問をきっかけに日清戦争後の経済状況について議論された。

詳細

M: 日清戦争後の経済状況について質問。

のぶた先生: 日清戦争の賠償金があり、基本的に景気は良かった。1900年に不況が訪れるまでは生産量や輸出量が増加していた。

のぶた先生: グラフを共有し、日清戦争以降の生産量と輸出量の増加を示した。

結論

日清戦争後は賠償金や輸出増加により経済は好調だったが、1900年に資本主義恐慌が起きた。


中国における列強の勢力範囲

Uさんの質問から中国における列強の勢力範囲について議論された。

詳細

U: 地図上でアメリカやフランス、イギリスなど遠い国々が中国に勢力を持っていることについて質問。

のぶた先生: アメリカはフィリピンに勢力を持っていたが、中国には勢力を持っていなかった点が重要。

のぶた先生: ヨーロッパ諸国は数百年の世界史の流れの中で徐々に勢力を拡大してきた。

のぶた先生: 清国が豊かな国だったため、ヨーロッパ諸国は利益を得るために進出してきた。

結論

清国は「地球の裏側にある一番豊かな国」としてヨーロッパ諸国の貿易の目標地点だった。


アクションアイテム

全員

次回は「列強の中国分割」について学習する

政党政治の対立構造について復習する

うえまつ先生

次回の世界史は「フランス革命」について準備する(実況中継第三巻49ページ)

のぶた先生

「言論」の語源について調査する(宿題)


歴史部(2025/09/24)のサマリー

主なポイント

江戸時代の学問吟味(試験制度)について議論され、その目的や褒美の内容について探究された

遠山景元(金さん)が学問吟味の成績優秀者となり出世した経緯が紹介された

北方からの危機に関する記述を読み、ロシアや大黒屋光太夫の漂流について議論された

オランダ人フリースの北方探検(1643年)について情報共有された



議論されたトピック


学問吟味の制度と目的

江戸時代の学問吟味という試験制度について、教科書のコラムを読み、その目的や意義について議論された。

詳細

うえまつ先生: 科挙のようなペーパーテストで人材を選抜する制度と、そうでない日本の従来のやり方があるが、学問吟味は官僚ポストを必ずしも用意しない曖昧な制度だと指摘

のぶた先生: 国史大辞典によると「旗本の武士層の惰弱化を防ぐために共通の学ぶもの、順序、年齢設定などの強制化を図ったもの」と説明

うえまつ先生: 日本大百科全書によれば「官吏登用試験を行うことによって、幕府に忠実な封建官僚群を育成しようとするもの」とある

結論

学問吟味の目的については資料によって解釈が分かれており、人材発掘のためか、武士の教養向上のためか、官僚育成のためかは明確でない

遠山景元や太田南畝のような優秀者が出世した例もあるが、試験と出世の関係は資料によって評価が分かれている


遠山景元(金さん)と学問吟味

遠山景元(金さん)が学問吟味で成績優秀者となり出世した経緯と、遠山家の系譜について議論された。

詳細

S: 遠山景元と戦国時代の遠山氏(お通夜の方の夫・遠山景任)との関係について質問

のぶた先生: 遠山家の家系は複雑で、父が長井家から遠山家に養子になったことを説明

うえまつ先生: ウィキペディア情報によると、岩村遠山氏の最後の当主が遠山景任で、遠山景元との関係は複雑だが全く関係ないわけではないかもしれない

結論

遠山景元は43歳の時(1794年)に第二回の学問吟味で成績最優秀者となり、これを糸口に勘定奉行にまで出世した

遠山家の系譜は複雑で、戦国時代の遠山氏との関連については明確な結論は出なかった


北方からの危機とロシアの接近

教科書の「北方からの危機」の部分を読み、ロシアの接近と日本の対応について議論された。

詳細

O: 松平定信(サダノブ)が相模湾を視察し、江戸の防備策を立てたことについて質問

のぶた先生: 当時はほとんど防備策がなく、長崎以外は防備されていなかった。防備策は主に警備見回りと武器の整備程度だった

うえまつ先生: 大黒屋光太夫の漂流ルートについて説明、伊勢から江戸に行く途中で台風に遭い、7ヶ月余り漂流した

結論

大黒屋光太夫はロシアに漂着し、エカチェリーナに謁見した後、日本に送り返された

幕府はロシアに対して「外国と新たに関係を持たないのが国是」と回答したが、紛争を恐れて長崎入港を許可する旨を与えた


オランダ人フリースの北方探検

オランダ人フリースの北方探検について、Oさんの質問から議論が展開された。

詳細

O: オランダが北方領土あたりに行っていたのに教科書に名前が出てこないのはなぜか質問

うえまつ先生: フリース(Maerten Gerritsz de Vries)というオランダ人探検家が1643年に択捉島に行っていたことを説明

のぶた先生: フリースは東インド会社の船長として日本東岸を北航し、サハリン東岸まで到達、択捉島とウルップ島を発見した

結論

フリースは1643年という早い時期に北方探検を行い、アイヌとも接触した

北海道の厚岸で船を修理した際に松前藩の役人の船体調べを受けている

奥羽北岸からサハリン南東岸にかけての実測地図を残した


学問吟味の褒美について

学問吟味で成績優秀者に与えられる褒美の内容について議論された。

詳細

L: 褒美の品とは何か質問

のぶた先生: 具体的な内容を調べるため、参加者に予想を求める

参加者: 刀、米、金などの予想が出された

結論

褒美の具体的内容については明確な結論は出なかったが、橋本昭彦「江戸幕府学問吟味受験者の学習歴」という論文に「金品と褒詞」という記述があることが分かった


アクションアイテム

のぶた先生

学問吟味の褒美の内容について橋本昭彦の論文を参照して調査

遠山家の系譜について、遠山記念館(埼玉県川島町)の資料などを調査

次回は「朝廷の動き」について授業を進める

うえまつ先生

世界史は「南北朝時代の続き」(第一巻110ページ、「精神の成立」)を準備


歴史部(2025/09/25)のサマリー

主なポイント

弥生時代の農耕社会と青銅器文化について議論

銅鐸の特徴と用途、その歴史的変遷について詳細な説明

弥生時代の住居形態(竪穴住居から高床住居への変化)

青銅器と鉄器の日本における使われ方の特徴

シャーマンの役割と鳥の装束について



議題


弥生時代の農耕と青銅器文化

教科書の9-10ページを読み、弥生時代の特徴について議論した。

詳細

のぶた先生: 弥生時代は技術の発展により、徐々に生産量が上がっていった

M: 米の生産量がそれほど多くなかった理由について質問

のぶた先生: 技術の未熟さ、灌漑設備の発展途上、鉄器の普及不足などが原因

結論

弥生時代は農耕技術、灌漑、鉄器などが徐々に発展していった時代

余剰生産物の発生により集団間の戦争が始まった


銅鐸について

銅鐸の特徴、用途、歴史的変遷について詳しく議論された。

詳細

のぶた先生: 銅鐸は元々中国から伝わった小さな鈴(ハンドベル)だったが、日本で大型化し祭祀用の道具となった

S: 銅鐸に描かれた鳥について質問

のぶた先生: 鳥は魂を運ぶ特別な生き物として描かれていた

K: 銅鐸の大きさの変化について質問

T: 銅鐸が古墳時代に消えた理由について質問

結論

日本の銅鐸は「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」へと変化した

銅鐸文化は古墳時代に完全に失われ、その理由は明確にはわかっていない

銅鐸は実用品ではなく祭祀用の道具として使われた


弥生時代の住居形態

高床住居の増加について議論された。

詳細

F: 高床住居が増えた理由について質問

のぶた先生: 高床住居は竪穴住居より快適だが、作るのにコストがかかる

結論

高床住居の増加は生活の豊かさを示す

人口増加と生産力の向上により、より手間のかかる住居を作れるようになった


武器と道具について

弥生時代の武器と道具について議論された。

詳細

Y: 青銅製の武器に殺傷能力があるか質問

うえまつ先生: 青銅製の剣には殺傷能力があるが、日本では実用としてあまり使われなかった

のぶた先生: 日本では青銅器は祭祀用、鉄器が実用道具として使われた

T: 「戈」について質問

のぶた先生: 戈は棒の先に垂直に刃物をつけた武器で、主に中国で使われた

結論

日本の青銅器は大型化して形式化し、祭祀用途に特化した

実用的な武器や道具としては鉄器が使われた


シャーマンと祭祀

弥生時代の宗教的側面について議論された。

詳細

M: シャーマンとは何か質問

のぶた先生: シャーマンは神や精霊と交流し、託宣や予言、治病などを行う宗教的職能者

のぶた先生: 銅鐸に描かれた図から、鳥の装束をしたシャーマンの姿が確認できる

結論

シャーマンは弥生時代の宗教的指導者として重要な役割を果たした

鳥の装束は特別な意味を持ち、神との交流を象徴していた


渡来人の影響

渡来人が弥生文化に与えた影響について議論された。

詳細

T: 渡来人が弥生文化に与えた影響について質問

のぶた先生: 渡来人は稲作文化や鉄器をもたらした

うえまつ先生: 九州から近畿への文化の移動について議論

結論

渡来人は物質文化(稲作、鉄器など)に大きな影響を与えた

埋葬方法や住居形態にも影響があった可能性がある


アクションアイテム

全員

次回は「倭の小国の成立」(11ページ)から学習を続ける

世界史は実況中継第二巻の190ページ「中世ヨーロッパ史の文化」の続き「大学教育」から




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