【歴史部日記】2025年11月2週まとめ
- 順大 古川
- 2025年11月11日
- 読了時間: 13分
更新日:2025年11月14日
【目次】
歴史部(2025/11/10)のサマリー
主なポイント
鎌倉時代の政治体制について議論し、特に執権政治と御成敗式目の重要性を確認した
北条氏の「得宗家」の名称の由来は義時の法名「徳崇」に関連していることが判明
年号が頻繁に変わる理由として、天皇の交代、災害発生、疫病の流行などが挙げられた
鎌倉幕府の裁判制度と時効の概念について議論された
議論されたトピック
鎌倉時代の執権政治
執権政治の仕組みについて教科書の98ページから順番に読み合わせを行った。
詳細
M: 北条氏が集団で幕府を運営する体制を整え、執権を設置し、1225年に評定衆を置いた
M: 成敗式目は当初幕府の裁判のみに適用されたが、次第に社会に広く流布された
O: 1247年に将軍派の有力御家人・三浦泰村を滅ぼし、後嵯峨天皇の宗尊親王を将軍とした
のぶた先生: 鎌倉幕府では四代にわたって実権を持たない後嵯峨将軍が続いた
結論
北条氏による執権政治は、将軍の若さや能力に関わらず政治を回せるシステムとして機能した
合議制による政治運営は安定性をもたらしたが、意思決定の速度が遅くなるデメリットもあった
「得宗家」の名称の由来
Oが北条氏嫡流の家を「得宗家」と呼ぶ理由について質問した。
詳細
O: なぜ北条氏嫡流の家を得宗家と呼ぶのか質問
I: 北条義時の法名に関係していると推測
うえまつ先生: 資料を確認
のぶた先生: 国史大辞典を参照し、義時の法名「徳崇」に由来することを確認
結論
得宗家の名称は北条義時の法名「徳崇」に由来すると考えられる
鎌倉時代の裁判制度
御成敗式目の内容と裁判制度について議論した。
詳細
I: 訴訟制度の仕組みについて質問し、三度の召喚令状について言及
のぶた先生: 御成敗式目第16条を例に挙げ、上級の乱に加わった者の処分について説明
I: 玉川学園のホームページに載っていた現代語訳を引用
結論
時効の概念が存在し、20年経過や為政者の交代により所有関係がリセットされる意識があった
御成敗式目は幕府の裁判だけでなく、次第に社会全体に影響を与えるようになった
年号が頻繁に変わる理由
Mが教科書に多くの元年が出てくることについて質問した。
詳細
M: 教科書に元年がいっぱい出てくる理由について質問
のぶた先生: 天皇の交代、災害発生、疫病の流行などが年号変更の主な理由と説明
のぶた先生: 「歴代天皇の年号辞典」を参照し、具体的な例として家禄、安貞、寛元、宝治などの年号変更理由を紹介
結論
年号変更の主な理由は天皇の交代(大始め)、天変地異、疫病の流行など
北条政子と義時の重要性
Mが北条政子と義時が特に重要視される理由について質問した。
詳細
M: なぜ北条政子と義時が特に重要なのか質問
のぶた先生: 頼朝時代の13人の重臣たちの多くが亡くなる中、この二人が最後まで生き残ったことを説明
のぶた先生: 第二世代が運営していくシステムを作る上で重要な役割を果たした
結論
頼朝の死後、多くの重臣が亡くなる中で北条政子と義時が生き残り、幕府運営の中心となった
個人の能力に依存しない組織運営システムの構築に貢献した
「御成敗」の意味
「御成敗」という言葉の意味について議論した。
詳細
のぶた先生: 「成敗」は処分、裁くこと、採決することを意味すると説明
のぶた先生: 日本国語大辞典によると「取り計らうこと」「処置すること」「裁くこと」「採決すること」という意味がある
結論
「ご成敗式目」は基本的に裁判や処分に関する規範を示したもの
現代ではあまり使われなくなった言葉だが、かつては時代劇などでよく使われていた
アクションアイテム
全員
次回の授業(百ページからの「鎌倉時代の武士の生活」)の準備をする
御成敗式目について資料を確認し、理解を深める
法律の適用範囲が異なる複数の法の併存という中世的特徴について意識する
のぶた先生
朝廷と幕府の関係についての最新の研究成果を確認する
歴史部(2025/11/11)のサマリー
主なポイント
日露戦争について詳細な議論が行われた
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」の詩について解説があり、これは反戦ではなく非戦の詩であることが説明された
日露戦争の外債募集はイギリス、アメリカ、ドイツが主な資金源だった
日露戦争は有色人種が白人に勝った初めての近代戦争として世界的に大きな影響を与えた
議論されたトピック
日露戦争の経過と影響
教科書77ページから79ページにかけての日露戦争に関する内容を順番に読み合わせながら議論した
詳細
のぶた先生: 日露戦争の内容について説明し、質問に回答した
うえまつ先生: 日露戦争の世界史的な意義について補足説明を行った
N: なぜ日本が日露戦争で勝てたのか質問した
のぶた先生: 他のアジア人ができなかったことを日本だけができたからと説明
うえまつ先生: 1896年のアドワの戦いでエチオピアがイタリアに勝利した例を挙げつつ、日露戦争の特別な意義を説明した
結論
日露戦争は有色人種が白人に勝った初めての近代的な国家間戦争として、アジア・アフリカの民族運動や独立運動に大きな影響を与えた
日本の勝利は国際的に大きなインパクトを与え、日本人に自信をもたらした一方で優越感も生まれた
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」について
与謝野晶子の詩の背景と意義について議論された
詳細
T: この詩を発表して批判されなかったのか質問した
のぶた先生: 個人レベルでは批判されたが、法的に取り締まられることはなかったと説明
うえまつ先生: この詩は反戦ではなく「非戦」の詩であり、戦争そのものを批判したのではなく、弟の無事を願う内容だと説明した
結論
与謝野晶子の詩は戦争反対ではなく、弟の安全を願う「非戦」の詩として理解すべきである
当時は雑誌や新聞上で批判はあったが、法的な弾圧はなかった
日露戦争の財政と外債
戦争資金の調達方法について議論された
詳細
F: 外債はどこの国が買っていたのか質問した
のぶた先生: 基本的にイギリスとアメリカが主だったと説明
うえまつ先生: 5,000万ポンドのうち1,200万ポンドがフランス、残りの1,300万ポンドがイギリス、アメリカ、ドイツに割り当てられたと補足
結論
日露戦争の外債はイギリス、アメリカ、ドイツが主な資金源だった
高橋是清の功績により外債募集が成功した
明治時代の文学活動と同人誌
与謝野晶子が活動していた文学界について議論された
詳細
N: 与謝野晶子はどのように詩を発表していたのか質問した
のぶた先生: 「明星」という同人誌に発表していたと説明し、当時の文学活動は同人誌発行か新聞投稿が主な発表方法だったと説明した
うえまつ先生: 明星は新詩社という団体の機関誌だったと補足
結論
明治時代の文学者は同人誌や新聞投稿を通じて作品を発表していた
雑誌ごとに派閥が形成されていた
長春以南の鉄道権益について
日露戦争の講和条件に関する地理的な質問があった
詳細
F: 長春以南の鉄道権益について質問した
のぶた先生: 地図を示しながら、シベリア鉄道の分岐点としてのハルビンの重要性を説明し、日本は当初ハルビンまでの権益を求めていたが、交渉の結果長春以南になったと説明した
結論
日本は当初ハルビンまでの権益を求めていたが、交渉の結果長春以南の権益を獲得した
ハルビンは後に伊藤博文が暗殺される場所となる重要な地点だった
租借地について
租借地の概念について質問があった
詳細
T: 旅順・大連の租借権とは何か質問した
のぶた先生: 範囲と権限を決めて一定期間貸すという概念で、軍事的占領とは異なると説明した
うえまつ先生: 現代でも中国が海外投資の見返りに港の使用権を獲得するなど、類似の事例があると補足した
結論
租借権は一定期間、特定の地域の権利を借りる制度である
軍事占領とは異なる概念である
アクションアイテム
のぶた先生
日露戦争の外債の詳細な内訳について調査する
次回は80ページの「韓国併合」から授業を進める
うえまつ先生
次週は世界史実況中継第三巻69ページ、フランス革命後の混乱について授業を行う
歴史部(2025/11/12)のサマリー
主なポイント
江戸時代後半の政治・社会・文化について議論
「御触書寛保集成」など法律集の存在を確認
家斉の55人に及ぶ子女の縁組費用について議論
関東取締出役の役割と権限について説明
二宮尊徳や大原幽学などの農村復興策について検討
議論されたトピック
法律集について
のぶた先生が前回の授業で言及された法律集について訂正
詳細
のぶた先生: 「御触書寛保集成」という有名な法律集があり、幕府が出した命令・お触れ書きを集めたものであると説明
のぶた先生: 以前「ない」と言ったが実際には存在していたことを謝罪
結論
江戸時代には法律集が存在し、「御触書寛保集成」は大学入試の資料問題にも出るほど有名
家斉の縁組費用について
家斉の55人に及ぶ支持の延組費用について議論
詳細
うえまつ先生: 家斉の55人に及ぶ支持の延組費用がどれくらいだったか質問
のぶた先生: 具体的な金額は資料に記載されていないが、相当な額だったと説明
のぶた先生: 例として、峰姫が水戸藩に嫁いだ際は毎年20,000両の化粧料が必要だったこと、宿姫が尾張徳川家に嫁いだ際は幕府から50,000両が与えられ、その後5年間にわたって7,000両が支給されたことを紹介
うえまつ先生: 10,000両がどれくらいの価値かを質問
のぶた先生: 藩の財政規模で数十万両規模であり、現代の地方都市の財政規模に相当すると説明
結論
一人につき万両単位の費用がかかり、55人分となると莫大な金額になった
縁組のために建物を建てたり位を上げたりする必要もあり、さらに費用がかさんだ
大御所について
大御所の定義と歴史について議論
詳細
S: 大御所とは何人かと質問
のぶた先生: もともとは普通名詞だが、江戸時代以降は元将軍を指すと説明
のぶた先生: 家康が1605年に将軍を秀忠に譲った後も1616年まで権力を握り続け、その時の家康が大御所と呼ばれたことが始まりと説明
うえまつ先生: 江戸時代以外では足利義政も大御所だったと補足
結論
大御所とは引退した元将軍のこと
江戸時代で目立った大御所は家康と家斉
江戸時代以外にも多くの大御所がいた
蝦夷地政策について
蝦夷地政策と当時の情勢について議論
詳細
L: 蝦夷地政策と当時の情勢との関係について質問
のぶた先生: 蝦夷地は元々松前藩に任せていたが、ロシアとの緊張関係から幕府が直轄化したと説明
のぶた先生: 1807年に松前藩から東蝦夷地、1813年には西蝦夷地の支配権を取り上げ、幕府の直轄にしたことを説明
のぶた先生: ロシアとの緊張が解けた後は松前藩に返還したと補足
結論
蝦夷地政策は対ロシア政策の一環として実施された
幕府は一時的に蝦夷地を直轄化し、後に松前藩に返還した
大原幽学について
大原幽学の出自と活動について議論
詳細
M: 大原幽学の罪状について質問
のぶた先生: 大原幽学は出自不明で、若くして漂泊の身になったと説明
のぶた先生: 罪状は(1)戸籍上の手続きをせずに長部村に長く居住したこと、(2)農民に不似合な改心楼の建築を指導したこと、(3)不十分な学力で独断的な教説を説いたこと、(4)百姓株・田畑など領主の管理に属することがらに関与し、また共同財産制を結成させたことの4点だったと説明
結論
大原幽学は出自不明の人物で、宗教的な教えを説き、村の復興に貢献した
共同財産制などの活動が当局に疑われ、最終的に自殺に追い込まれた
関東取締出役について
関東取締出役の役割と権限について議論
詳細
M: 関東取締出役が関東以外にもあったかどうか質問
のぶた先生: 関東取締出役は関東のみに存在したと説明
のぶた先生: 関東地方は旗本領や大名領が入り組んでいたため、領地をまたいで犯人を追跡できる権限を持つ機関が必要だったと説明
T: 五人組の村バージョンのような相互監視システムについて質問
のぶた先生: 村同士の相互監視や協力体制を作り、犯罪者の取り締まりを強化する目的があったと説明
結論
関東取締出役は関東地方のみに存在した
村同士の協力体制を作り、犯罪者の取り締まりを強化する役割を担っていた
アクションアイテム
のぶた先生
Tに「御触書寛保集成」について謝罪する
次回は12ページの家庭文化から授業を進める
全員
文化文政時代の政治と社会について復習する
歴史部(2025/11/13)のサマリー
主なポイント
古墳時代の東アジア情勢と日本(和)の関係について議論
朝鮮半島との交流と渡来人の影響について検討
「埼玉古墳」と「江田船山古墳」の鉄剣に記されたワカタケルの大王についての解説
干支(十干十二支)による年代表記システムの説明
古代日本における「宮」と「都」の概念の違いについて説明
議論されたトピック
東アジアの情勢と朝鮮半島
教科書16-19ページの「東アジアの情勢」から「若武の大君」までの内容を読み合わせながら議論した。
詳細
のぶた先生: 朝鮮半島南部をめぐる外交・軍事的立場について説明
うえまつ先生: 中国と朝鮮半島の関係について補足説明
F: 和が朝鮮半島南部をめぐる外交・軍事上の立場を有利にするため、中国の南朝に使いを送った点を指摘
K: 若タケルの大君の支配領域が拡大したことについて言及
結論
5世紀には日本(和)が朝鮮半島南部の国々と同様に中国の南朝に使いを送り、外交関係を構築していた
朝鮮半島との交流が盛んになり、新しい文化や技術が日本に伝えられた
カヤ諸国が統一されなかった理由
朝鮮半島南部のカヤ諸国が統一国家にならなかった理由について議論。
詳細
K: カヤ諸国が統一されなかった理由について質問
のぶた先生: 地形的に山が多く分断されていたことを理由として推測
うえまつ先生: 中国の圧力との関連性について補足
結論
地形的要因(山が多い)が統一を妨げた可能性がある
中国からの距離が遠く、その影響力が弱かったことも要因の一つと考えられる
「カラ」と「カン」の呼称について
朝鮮半島の人々を指す「カラ」「カン」という呼称の起源について議論。
詳細
T: 日本人から見た朝鮮半島の人々の呼び方について質問
のぶた先生: 日本から見た呼称であることを説明
うえまつ先生: 中国の歴史書にすでに「漢(カン)」という表現が登場していることを指摘
結論
「カラ」「カン」は日本から見た朝鮮半島の人々の呼称
中国の歴史書にも同様の表現が存在していた
古代日本の「宮」と「都」の概念
古代日本における「宮」と「都」の違いについて議論。
詳細
M: 日本列島における「都」のメインストリートについて質問
のぶた先生: 古代日本では「都」の概念がなく、天皇(大君)が住む「宮」が代々変わっていたことを説明
うえまつ先生: 定住する中心地としての「都」が当たり前ではない歴史的背景を補足
結論
奈良時代以前は「都」の概念がなく、天皇(大君)は代々自分の「宮」を建てていた
平城京以降に天皇の住居と周囲の町が一体となった「都」の概念が確立した
「侵害新概念」と干支による年代表記
鉄剣に刻まれた「侵害新概念」の意味と干支による年代表記システムについて議論。
詳細
M: 「侵害新概念」について質問
のぶた先生: 干支(十干十二支)による年代表記システムを詳しく説明
うえまつ先生: 東洋史における干支の読み方について補足
結論
「侵害」は干支の一つで、60年周期で巡ってくる
471年の鉄剣の銘文は有力天皇(ワカタケル)の存在を示す重要な証拠
「天下」の概念
日本と中国における「天下」の概念の違いについて議論。
詳細
Y: 中国の工程中心の天下とは別に和の大王中心の天下が独自に作られていることについて質問
のぶた先生: 中国から見れば日本に「天下」があるとは考えられていなかったことを説明
うえまつ先生: 南越の例を挙げ、中国に対しては王を称しながら国内では皇帝を名乗る二面性があったことを説明
結論
中国中心の「天下」観と各国独自の「天下」観が並存していた
日本も独自の「天下」観を持っていた
アクションアイテム
参加者全員
次回の「古代国家の形成」について予習する
うえまつ先生の授業参加者
実況中継第二巻127ページの北総の時代について学習する




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