【歴史部日記】2025年12月2週まとめ
- 順大 古川
- 3 日前
- 読了時間: 15分
更新日:2 日前
【目次】
歴史部(2025/12/08)のサマリー
主なポイント
鎌倉時代の社会経済史について議論(農業技術の発達、村落の形成、貿易など)
硫黄の用途と中国での火薬利用について詳細な議論
鎌倉時代後期の村落の結びつきと室町時代の惣村への発展について説明
次回は仏教会の新たな動きについて学習予定
冬休み期間(12月22日〜1月4日)の確認と1月5日からの再開予定
議論されたトピック
鎌倉時代の農業と村落の発展
農業技術の発達と村落形成について教科書の内容を確認した。
詳細
のぶた先生: 鎌倉時代後期になると村の規則を作るような強い団結を示す村が出現したと説明
K: 鎌倉時代の村落の団結と室町時代の惣村との関係について質問
うえまつ先生: 鎌倉後期以前と後期以降の村落の違いについて質問
結論
鎌倉時代後期から村落の横のつながりが強くなり始め、室町時代の惣村へと発展していった
以前は縦の結びつき(荘園領主と名主など)が中心だったが、次第に地域的な横のつながりが強化された
貿易と経済活動
鎌倉時代の貿易品や経済活動について議論した。
詳細
I: 硫黄の用途、特に火薬としての使用頻度について質問
うえまつ先生: 火薬は花火などに使われていたが、大規模な軍事利用はもう少し後の時代と説明
O: 教科書に出てくる「港」の字の違いについて質問
K: 建長寺船について質問
M: 寧波(貿易港)の場所について質問
結論
硫黄は火薬の原料として使われていたが、当時は大規模な軍事利用よりも花火などの用途が中心だった
建長寺船は建長寺の造営費用を得るために派遣された特別な貿易船だった
寧波は日本から見て最も近い中国の重要な貿易港で、遣唐使の時代から重要な役割を果たしていた
金融業者について
鎌倉時代の金融業者について簡単に説明があった。
詳細
M: 借上と土倉について教科書を読み上げ
のぶた先生: 貸上と土倉の違いについて説明
結論
貸上と土倉は同じ人たちを異なる側面から呼んだ名称
貸上は金を貸す側面、土倉は土蔵に物を保管する側面から名付けられた
農業技術の発達理由
農業技術が鎌倉時代に発達した理由について議論した。
詳細
K: 鎌倉時代に農業技術が発達した理由について質問
のぶた先生: 11世紀頃から開墾の時代に入り、地域社会の形成と共に技術も発展したと説明
結論
11〜12世紀の大開墾時代を経て、地域社会の基礎が築かれ、それに伴い農業技術も発展した
アクションアイテム
全員
次回(12月15日)の世界史の授業に向けて第4巻118ページ(アフリカの情勢)を予習
冬休み後(1月5日)の日本史の授業に向けて150ページの「仏教会の新たな動き」を予習
のぶた先生
日本鉄砲史学会の資料を確認し、硫黄の用途についてさらに調査
うえまつ先生
1月5日の授業準備(冬期講習と重なるため調整が必要)
歴史部(2025/12/09)のサマリー
主なポイント
日本史の授業で近代史(満州事変以降)について学習した
日米関係における日本人移民排斥運動について詳しく議論された
工場法の内容と罰則規定について説明があった
神社の統廃合政策について議論された
戊申詔書の内容と意図について説明があった
大正天皇の政治的役割について議論された
議論されたトピック
日本人移民のアメリカ西海岸への集中
西海岸に日本人移民が集中した理由について議論された
詳細
F: なぜ日本人移民がカリフォルニア州などの西海岸に集中したのか質問
のぶた先生: 主な理由は距離の近さ。船便一本で行ける西海岸と、鉄道などを使って行かなければならない東海岸では移動コストが大きく異なる。また西海岸はまだフロンティアの要素が残っており、発展途上だった
のぶた先生: 最初にハワイへ移民し、そこからアメリカ本土の西海岸へと移動した流れもあった
結論
地理的な近さが最大の理由
一度日本人街ができると、そこに人が集まる傾向があった
ハワイからアメリカ本土への移動という流れもあった
日本人学童排斥運動
1906年のサンフランシスコでの日本人学童排斥運動について議論された
詳細
F: 日本人学童への排斥運動について具体的な事件があったのか質問
うえまつ先生: サンフランシスコの教育委員会が日本人や韓国人の児童を「東洋人の学校」に通学させるという決議を可決した
うえまつ先生: 日本政府が正式に抗議し、セオドア・ローズベルト大統領がカリフォルニアの反日姿勢を批判して教育委員会の決議を撤回させた
うえまつ先生: その後、日米間で協定を結び、アメリカ側は学童隔離の決議を撤回する代わりに、日本側は新規労働者の移民を実質的に制限することになった
結論
1906年のサンフランシスコでの排斥運動は教育委員会の決議として具体化された
ローズベルト大統領の介入により一時的に解決したが、カリフォルニア州内の反日感情は高まり続けた
最終的に1924年の排日移民法で日本人の移住は禁止された
工場法の内容と罰則
1911年に制定された工場法の内容と罰則規定について議論された
詳細
F: 工場法の罰則と施行後の遵守状況について質問
のぶた先生: 工場法は常時15人以上の職工を使用する工場にのみ適用され、12歳未満の就業禁止や女性・少年の労働時間制限などを規定
のぶた先生: 法律違反に対しては500円以下の罰金刑が規定されていた。
のぶた先生: 「常時15人以上」という条件により、多くの中小工場(特に製糸工場)が適用対象外となった
結論
工場法には罰則規定があったが、適用範囲が限定的だった
経営者は「常時15人以上」という条件を回避するために様々な手段を講じた
特に中小規模の製糸工場はほとんど適用されなかった
神社の統廃合
地方改良運動における神社の統廃合について議論された
詳細
M: 神社の統廃合についての記述があるが、お寺はその範囲に含まれなかったのか質問
のぶた先生: 神社は官幣社や国幣社として国や地方自治体から資金提供を受けていたが、お寺はそうではなかった
うえまつ先生: この時期は「一村一社」を目標として統廃合が進められた。島根県では8000社あった神社が約1000社に統廃合された
結論
神社は行政から資金を受けていたため統廃合の対象となったが、お寺は対象外だった
「一村一社」を目標に大規模な統廃合が行われた
統廃合に対する抵抗運動も強かった
戊申詔書の内容
1908年に発布された戊申詔書の具体的内容について議論された
詳細
T: 戊申詔書の具体的な内容について質問
のぶた先生: 戊申詔書は抽象的な内容で、国民に対して「心を一つにして忠実に業務に励み、倹約して財産を貯め、質素にし、心身を緩めないように互いに諌め合って自ら励ましていく」ことを求めるもの
のぶた先生: 日露戦争後の個人主義・自由主義の風潮が強くなった時代に対して、風紀が乱れているという認識から出されたもの
結論
戊申詔書は具体的な政策ではなく、国民の道徳心や団結を促す抽象的な内容だった
日露戦争後の社会変化に対する保守的な反応として発布された
大正天皇の政治的役割
大正天皇の政治的調停者としての役割について議論された
詳細
うえまつ先生: 教科書に「大正天皇は政治対立の調停をすることができなかった」という記述があるが、そもそも天皇が政治的対立を調停する役割を求められていたのか質問
のぶた先生: 立憲君主制の日本的解釈として、天皇に調停者としての役割が求められていた
うえまつ先生: イギリスの立憲君主制でも君主がある程度の影響力を及ぼすことは想定されているが、大正天皇にそれを求めるのは酷だった
結論
日本の立憲君主制では天皇に政治的調停者としての役割が期待されていた
大正天皇は若く、身体的にも厳しい状況にあり、その役割を果たすことが難しかった
大逆事件と幸徳秋水
大逆事件における幸徳秋水の無実性について議論された
詳細
M: 教科書に「無実の幸徳秋水」と書かれていることについて質問
のぶた先生: 幸徳秋水は明治天皇暗殺計画に直接関わっていなかったとされるが、「無実」と断言するのはテキストの筆者の意見である
うえまつ先生: 幸徳秋水は「連座した」という表現が一般的で、彼の思想や講演の影響を受けた人々が事件の中心メンバーだった
結論
幸徳秋水は明治天皇暗殺計画に直接関与していなかった可能性が高い
しかし「無実」と断言するのは歴史的評価として議論の余地がある
法的には罪状が確定して死刑になったはず
アクション項目
のぶた先生
神社の統廃合とお寺の関係について詳細を調査する
日本人学童排斥事件の具体的事例について調査する
全員
次回(1月6日)は84ページの「近代都市の形成」から学習を再開する
12月16日は植松先生による世界史の授業(フランス革命、ナポレオンの登場)に参加する
歴史部(2025/12/10)のサマリー
主なポイント
江戸時代の文化(化政期の文学)について議論
貸本屋の仕組みと当時の出版文化について説明
国学の地方への広がりについて質問があり、平田篤胤の影響が示唆された
武士出身の作家と町人出身の作家の違いについて議論
次回は15ページの芸能から開始、年末年始の休みについて案内
議論されたトピック
江戸時代の文学と文化
教科書14-15ページの「化政期の文学」から議論が始まった
詳細
のぶた先生: 前回は寺子屋について学習し、今回は火星紀の文学から始める
O: 俳句の結社が各地に生まれて句会を開き、結社間の交流があった
のぶた先生: 結社とは友達グループやサークルのようなもの
結論
火星紀の文化は受験までに具体的なイメージを持つことが重要
和歌と俳句の特徴
平明な表現と技巧的な表現の違いについて議論
詳細
O: 「平明で自由自在な独自の作風」とは何か質問
のぶた先生: 平安時代の和歌は技巧的で掛詞などの技法を多用するが、良寛のような素朴で見たままを表現する平明な作風もある
のぶた先生: 万葉調は素朴で、古今調は技巧的という対比がある
結論
平明な表現とは技巧を凝らさず素直に感情を表現する作風
浮世絵と版画
風景画と風刺画について議論
詳細
T: 風景版画と風刺版画はどちらが売れたのか質問
のぶた先生: 実際には美人画が最も売れていた可能性が高い
のぶた先生: 春画(エロティックな絵)も多く描かれ、売れていた
結論
庶民文化は必ずしも高尚なものではなく、後世に文化として評価される
出版と読書文化
ベストセラーと貸本屋について議論
詳細
S: 10,000部を超える出版物について質問
のぶた先生: 南総里見八犬伝は28年かけて全98巻160冊の大作で、当時の大ベストセラー
うえまつ先生: アメリカでは独立を正当化するパンフレットが3ヶ月で120,000部、最終的に500,000部売れた例もある
M: 貸本屋の権利料はいくらだったのか質問
のぶた先生: 一冊につき6〜13文程度で、現代の感覚では100〜300円程度
結論
和本は手作りで大量生産が難しく、10,000部は相当な数字
貸本屋は江戸時代の読書文化を支えた重要な存在
作家の身分と生活
武士出身の作家と町人出身の作家について議論
詳細
S: なぜ武士が作家になったのか質問
のぶた先生: 基本的に作家は趣味で書いており、本業があった
うえまつ先生: 原稿料で生活する作者は例外的なレアケース
のぶた先生: 武士が商売として文学を書くことは道徳的に問題視された
結論
当時の作家は趣味で執筆し、原稿料で生活できる人は極めて少数だった
国学の地方への広がり
国学が地方に広まった理由について議論
詳細
T: 国学が教養として地方に広まった主な理由は何か質問
のぶた先生: 国学の本は難解で庶民が読むようなものではなく、どのように広まったか不明
うえまつ先生: 平田篤胤の主張が地主や農村、神職らに支持され、門下から多くの活動家が出た
結論
平田篤胤の復古神道が国学を地方に広めた可能性がある
この質問は宿題として後日回答することになった
識字率について
江戸時代の識字率について議論
詳細
うえまつ先生: 識字率の向上とあるが、どのような根拠があるのか質問
のぶた先生: 60,000の村に対して30,000の寺子屋があったことや、文書行政が発達していたことから識字率が高かったと推測できる
うえまつ先生: 漢字の識字率と仮名の識字率を区別して考える必要がある
結論
識字率が高かったという説と高くなかったという説があり、それぞれの根拠について更なる調査が必要
アクションアイテム
のぶた先生
国学が地方に広まった理由について調査し、次回報告する
全員
次回は15ページの芸能から学習する
12月17日は世界史(うえまつ先生担当、第一巻134ページ「唐の成立、発展」)
12月24日と31日は休み
次回日本史は1月7日
歴史部(2025/12/11)のサマリー
主なポイント
歴史部の授業で古墳時代から推古天皇・聖徳太子の時代について学習した
蘇我氏の政治的影響力と三蔵(斎蔵、内蔵、大蔵)の管理について議論
遣隋使の派遣と「アメタラシヒコ」の称号について説明
天皇号の成立時期について天寿国繍帳の信憑性を検討
次回は飛鳥文化から学習を進める予定
議題
蘇我氏と朝廷の機構整備
朝廷の機構整備と蘇我氏の影響力について教科書の内容を読み進めながら議論した。
詳細
F: 中央では氏姓制度による合理性が確立し、朝廷の機構整備が進んでいたことを説明
のぶた先生: 蘇我氏が三蔵(斎蔵、内蔵、大蔵)を管理していたことを強調
F: 蘇我氏が東漢氏などの渡来人を掌握し、朝廷の財政を握っていたことを指摘
結論
イミクラは神物・神宝を収納する蔵
ウチツクラは天皇家の物品を管理する蔵
オオクラは国家財政に関わる蔵
蘇我氏がこれらを管理することで政治的影響力を強めていた
推古天皇と聖徳太子の政治
推古天皇の即位と聖徳太子の摂政就任について議論した。
詳細
T: 推古天皇が即位し、聖徳太子が摂政となって政治を行ったことを説明
のぶた先生: 「妃」の読み方について説明し、当時の女性の位について補足
K: 聖徳太子が大臣蘇我馬子と協力して政治を行ったことを確認
結論
推古天皇と聖徳太子は蘇我馬子と協力して統一的な政治の実現を目指した
女性天皇である推古天皇の下で聖徳太子が実質的な政治を担当した
遣隋使の派遣
小野妹子の遣隋使派遣とその外交的意義について議論した。
詳細
F: 607年に小野妹子が遣隋使となり、「日出ずる所の天子」で始まる国書を提出したことを説明
のぶた先生: 「アメタりシヒコ」いう称号について解説
うえまつ先生: 随書の史料的価値について補足説明
結論
日本は隋に対して対等の立場を主張しようとした
留学生や学問僧が帰国後、大化の改新に始まる国政改革に大きな役割を果たした
「アメタラシヒコ」は女性天皇である推古天皇の時代に使われた男性的称号だった
冠位十二階と蘇我馬子の立場
冠位十二階の制定と蘇我馬子の特別な立場について議論した。
詳細
I: 冠位十二階が限られた地域や階層を対象としていたことを説明
のぶた先生: 「冠」の読み方について「カン」と「カンムリ」の違いを説明
A: 蘇我馬子が冠を与える側にいたことについて質問
結論
冠位十二階は中央の豪族が対象だった
蘇我馬子は皇族ではないにもかかわらず冠を与える側にいた特別な存在だった
憲法十七条と歴史書の編纂
聖徳太子による憲法十七条の制定と歴史書編纂の意義について議論した。
詳細
A: 640年に憲法十七条が制定され、役人としての心構えや仏教の思想を説いたことを説明
のぶた先生: 天皇記などの歴史書編纂の意義について補足
うえまつ先生: 神武天皇即位の紀元前660年説について説明
結論
憲法十七条は官僚制度の整備と天皇への服従を説いたもの
歴史書の編纂により年月の経過を記録することが始まった
神武天皇即位の紀元前660年説は7世紀初め頃に生まれた思想
天皇号の成立時期
天皇号がいつ成立したかについて議論した。
詳細
K: 天皇号が中国から輸入して作り出されたという説を説明
Y: スメラミコトという和語の君主号について質問
のぶた先生: 天寿国繍帳に「天皇」の文字があることを示し、その信憑性について説明
結論
天皇号の成立時期は天寿国繍帳の信憑性によって左右される
スメラミコトは「澄み切った」「統治する」という意味を持つ和語の君主号
三蔵の意味
斎蔵、内蔵、大蔵という三つの蔵の違いについて質問があった。
詳細
K: イミクラとは何かについて質問
のぶた先生: 三つの蔵の違いについて説明
うえまつ先生: 中国史の観点から内蔵と大蔵の違いについて補足
結論
イミクラは神様関係のものを入れておく蔵
ウチツクラは天皇家のものを管理する蔵
オオクラは国家財政に関わる蔵
日本独自の制度としてイミクラが存在することが特徴的
任那について
ミマナという地域について質問があった。
詳細
I: ミマナとはどのような国かについて質問
のぶた先生: 朝鮮半島の地図を参照しながら説明
結論
ミマナは朝鮮半島南部の小国家が集まった地域を指す
高句麗、百済、新羅といった国家とは異なる小規模な政治単位
日本側からの呼称であり、韓国側の呼称ではない
東漢氏について
ヤマトの危うじという集団について質問があった。
詳細
I: ヤマトの危うじとはどういう人たちかについて質問
のぶた先生: 渡来人の系統について説明
うえまつ先生: 「危うじ」の漢という字から後漢の霊帝の子孫であることを補足
結論
ヤマトの危うじは朝鮮半島から渡来した人々の子孫
文章を司る役割を担っていた
西文氏と同様に渡来系の氏族だが、居住地域が異なる
蘇我氏と物部氏の対立
蘇我氏と物部氏の対立について質問があった。
詳細
F: 蘇我氏に反対する物部氏や中臣氏について質問
のぶた先生: 中臣連鎌子について日本書紀の記述を確認
結論
中臣氏は日本の神様を祀る役割を担っていた
物部氏と中臣氏は外国の仏教を取り入れることに反対していた
中臣氏は物部氏よりも政治的影響力が劣っていた
次回の予定
全員
次回(1月8日)は飛鳥文化から学習を進める
来週(12月18日)は植松先生による世界史の授業(第二巻136ページ、隋代の社会経済)
12月25日と1月1日は休講




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