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執筆者の写真順大 古川

藤原通任 「光る君へ」人物事典093

更新日:2024年11月2日


【目次】

キャスト紹介:古舘佑太郎


藤原通任(ふじわらのみちとう):古舘佑太郎

まずは、NHK公式の紹介を引用して、大河ドラマ上での設定を確認しておきましょう。


藤原娍子の同母弟。道長が病の際に、これを喜ぶ公卿の一人と噂される。


藤原済時の息子です。娍子の弟ということで、三条天皇が即位したときに蔵人頭に抜擢されます。

通任は『栄華物語』にボチボチ出てくるんですが、その他ではあまり、、、って感じの人です(なので、以下の記事の出典は基本『栄花物語』)。姉にべったりついている人です。

あ、話題あったあった。ミチカネの娘と結婚します。


「道長が病の際に、これを喜ぶ公卿の一人」には、通任のほか、ドラマ的には意外な人も入っています。



キャスト紹介:古舘佑太郎(ふるたちゆうたろう)

1991年生まれ。東京都出身の俳優、ミュージシャンです。1994所属です。

あ、古舘伊知郎の息子なんですね。

大河ドラマは初出演です。



解説:実際の藤原通任

生年:974年~没年:1039年(約65歳)


藤原済時の息子で、三条天皇の最愛の妻娍子の弟です。のちのち、娍子の皇子皇女をがんばって後見します。

『栄花物語』によると「父大臣にも似たまはず、いとおいらかにぞ、人思ひきこえたる」という人だったようです。ぼーっとしていたんでしょうね。道長の『御堂関白記』でも何度か怒られています。


寛和二年

従五位下。


三条天皇が即位すると蔵人頭に任命されます。


娍子が立后される4月段階では、従三位参議兼修理大夫です。

娍子の立后にあたって、父の故済時に太政大臣が贈られるのですが、そのとき、通任は勅使に同行します。


長和二年(1013年)約40歳

従三位参議修理大夫兼備前守です。

『栄花物語』には、この年に尊子(ミチカネの娘)と結婚した話が出てくるんですが、ロバート実資の『小右記』によれば、尊子との結婚は長和四年のことみたいです。


長和三年(1014年)約41歳

花山院(元花山天皇)が持っていた小一条第の東にある花山院(東一条家/東家)を伝領します(『小右記』長和三年(1014年)十一月十七日条)。


長和四年(1015年)約42歳

ミチカネ(藤原道兼)の娘の尊子(約31歳)と結婚します。

なお、尊子は父道兼に目をかけられていなかったそうです。まあ、尊子の母(道兼の妻)の繁子は、道兼がまだ生きている992年(尊子は約8歳)には他のオトコと再婚してますからねえ。

約11歳のときに父の道兼が死んだ後、定子ちゃんが引責出家したときに約14歳で一条天皇に入内したことがありますが、ぜんぜん愛されませんでした。

さらに、『栄花物語』によると尊子の呼び名は「暗部屋の女御(くらべやのにょうご)」とあります。

なんか、尊子はすげーツラい人生を歩んでそうです。約38歳で亡くなるし。。。


長和五年(1016年)約43歳

三条天皇が退位して、後一条天皇が即位したときに、敦明親王が東宮となたっときに、通任は外叔父としてワンチャンあったのですが、、、敦明親王がああなります。


京都の三本木五丁目(左京二条三坊三保一三町東・大炊御門東洞院大路の南)の西側に住んでいたようです(「日本紀略」長和五年一二月一〇日条)。


寛仁元年(1017年)約44歳

11月22日、小一条院(元の敦明親王)が寛子(道長明子の末娘)と結婚するときの儀式には中宮大夫道綱や修理大夫通任をはじめ、殿上人18人が供奉します。


治安元年(1021年)約48歳

参議大蔵卿です。


万寿二年(1025年)約52歳

重態となった娍子が、当時大蔵卿だった通任の邸に移ってきます。

3月に姉の娍子が亡くなります。小一条院(元の敦明親王)や禎子内親王らとともに、通任も娍子を看取ったようです。

娍子の49日の法事の願主となります。


万寿四年(1027‐1028年)(約54歳)

道長の葬送に、斉信、隆家らとともに供奉します。


長暦三年(1039年)約65歳

亡くなります。



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