【歴史部日記】2025年8月2週まとめ
- 順大 古川
- 8月21日
- 読了時間: 13分
更新日:8月22日
【目次】
治承・寿永の内乱2:歴史部(2025/08/18)のサマリー(ZoomAI)
不平等条約の改正:歴史部(2025/08/19)のサマリー(ZoomAI)
宝暦・天明期の文化:歴史部(2025/08/20)のサマリー(ZoomAI)
歴史部(2025/08/18)のサマリー
主なポイント
治承・寿永の内乱と鎌倉幕府の成立について詳細な議論が行われた
平家の敗北の原因として、養和の大飢饉や源氏側の戦略的優位性が挙げられた
京都の防衛線としての宇治川や瀬田の重要性について地図を用いて説明された
北条時政が頼朝側につく決断をした背景について議論された
富士川の戦いにおける「水鳥の羽音」のエピソードの史実性について検討された
議論されたトピック
治承・寿永の内乱と平家の敗北
のぶた先生が教科書の内容を読み上げ、内乱の経緯と鎌倉幕府成立までの流れを説明した。
詳細
W: 以仁王の令旨がどのように各地に伝えられたのか質問
のぶた先生: 様々な手段で密かに伝えられたと説明。物語では怪しい坊さんが身をやつして伝えるなど、命を懸けて届けられたと解説
I:富士川の戦いについて、実際に戦闘があったのか疑問を呈した
のぶた先生: 平家物語と吾妻鑑には水鳥の羽音で平家軍が逃げたとあり、玉葉にも戦わずして逃げたと記録されていると説明
W: 平家が一ノ谷、屋島、壇ノ浦で敗北した原因について質問
のぶた先生: 養和の大飢饉が西国中心に起きたこと、東国の豪族の支持を得られたこと、義経の三連勝などを挙げた
I: 水軍勢力(河内水軍など)が源氏側についたことも敗因の一つではないかと提案
結論
平家の敗北は単に「惰弱で貴族化した」からではなく、複合的な要因があった
養和の大飢饉による西国の経済的打撃が大きな要因の一つ
重盛の早死に・後白河法皇との関係悪化も影響した
北条時政と頼朝の関係
頼朝と北条政子の結婚と、北条時政が頼朝側につく決断について議論された。
詳細
W: 北条時政が平家側から頼朝側に寝返った理由について質問
のぶた先生: 時政は平家に仕え、頼朝を監視する役目だったが、出張中に娘の政子が頼朝と結婚。時政は最初は反対したが、最終的に頼朝側につく決断をした
結論
時政の決断は非常に大きな賭けであり、その真の理由は本人の日記がないため不明
結果的に頼朝が勝利したため、時政の判断は歴史的に正しかったと評価される
京都の防衛戦略
京都の防衛線としての地理的特徴について地図を用いて説明された。
詳細
M: 京都での戦いがどこで行われたのか質問
のぶた先生: 京都を守る側は京都の外側で防衛する必要があり、東からの攻撃に対しては宇治川や瀬田が防衛線になると地図で説明
I: 山科あたりでの防衛は選択肢にならなかったのか質問
のぶた先生: 琵琶湖水運の問題があり、瀬田での防衛が重要だったと説明
結論
京都の防衛線は主に宇治川と瀬田に置かれていた
瀬田を超えられると琵琶湖水運による北陸からの補給路が断たれるため致命的
奥州藤原氏と平泉
奥州藤原氏が平泉を本拠地とした理由について議論された。
詳細
K: 藤原氏が平泉を本拠にした理由について質問
のぶた先生: 地図を用いて、北上川の中流に位置し、北と南の交易の結節点であることを説明。鎮守府の拠点としても適していたと解説
結論
平泉は地理的に北と南を見渡せる位置にあり、東北地方の中心地として適していた
北上川の水運も利用でき、交通の要衝だった
頼朝の本人証明と兵糧米
頼朝が東国の豪族に自分の身分を証明した方法と、後白河法皇から与えられた平家没官領について議論された。
詳細
I: 頼朝が石橋山の戦いで敗れた後、どのように自分の身分を証明したのか質問
のぶた先生: 三浦氏の紹介や御曹司しか持ち得ないアイテム、源氏の縁故者への質問などで証明したのかも、と説明
I: 平家没官領の範囲について質問。どこまでが頼朝に与えられ、どこまでが朝廷の取り分だったのか
のぶた先生: 個別判断で決められており、統一された基準はなかったと説明
結論
身分証明は縁故者の紹介や所持品などで行われた
平家没官領の配分は個別交渉で決められ、一律の基準はなかった
次回の予定
全員
次回は鎌倉幕府の支配構造について学習
世界史は487ページ「中国国民党の創設」を予習
宿題がまだ終わっていない人は10日以内に完成させる
歴史部(2025/08/19)のサマリー
主なポイント
条約改正の実現について議論し、青木外相から陸奥宗光外相までの経緯を確認した
大津事件(1891年)の詳細と、ロシア皇太子ニコライへの影響について検討した
朝鮮をめぐる日清の対立について学び、長崎清国水兵事件や防穀令事件などの歴史的背景を議論した
日清戦争に至る過程は必ずしも日本が最初から戦争を目指していたわけではないという最近の研究動向を共有した
議論されたトピック
条約改正の実現
教科書67ページから条約改正の実現について読み進めた
詳細
のぶた先生: 条約改正の実現について教科書を読み進めるよう指示した
K: 青木外相の条約改正交渉と大津事件による辞任について読み上げた
M: 大津事件後の対応と司法権の国際的信頼について読み上げた
N: 陸奥宗光外相による日米通商航海条約の調印と不平等条約の改正について読み上げた
M: 条約改正の完成と1911年までの流れについて読み上げた
結論
条約改正は青木外相から始まり、小村寿太郎外相によって実質的に完成した
1899年(明治32年)から改正条約が施行され、領事裁判権の撤廃と関税自主権の確立が実現した
大津事件(1891年)
ロシア皇太子ニコライが日本訪問中に襲われた事件について詳しく議論した
詳細
M: 大津事件の犯人・津田三蔵の刑罰(無期懲役)について質問した
のぶた先生: 無期懲役(無期徒刑)の意味を説明した
M: ニコライの来日目的について質問した
のぶた先生: 世界周遊の一環として来日したと説明した
うえまつ先生: ニコライの旅程(シンガポール、サイゴン、鹿児島、神戸、京都、大津)を共有した
うえまつ先生: 大津事件後もニコライ自身は日本に対して悪感情を持たず、ロシア政府も日本の対応を評価したことを説明した
結論
大津事件は青木外相の辞任につながったが、松方内閣は総辞職せず
津田三蔵は日本の国内法に基づいて無期懲役となった
この事件は後の日露関係悪化には直接つながらなかった
朝鮮をめぐる日清の対立
教科書68-69ページの朝鮮半島をめぐる日本と清国の動きについて議論した
詳細
F: 大院君と閔妃の対立、清国の朝鮮への影響力について読み上げた
K: 甲申政変と日本の内政改革優先について読み上げた
M: 天津条約の締結について読み上げた
N: 長崎清国水兵事件と防穀令事件について読み上げた
のぶた先生: 長崎清国水兵事件の詳細を調査し、清国水兵が日本で起こした暴動について説明した
うえまつ先生: 防穀令事件について補足し、一ヶ月前の通告という手続き上の問題があったことを説明した
結論
朝鮮半島では閔妃派(親清派)と独立党(親日派)の対立があった
日本は当初朝鮮への積極的関与を控えていた
長崎清国水兵事件や防穀令事件など日清間の緊張が高まる事件が発生したが、日本政府は戦争に発展しないよう対応した
アクションアイテム
全員
次回は日清戦争と三国干渉について学習する準備をする
次回と再来週は世界史の授業(実況中継第三巻36ページ「独立戦争の経過」から)になるため準備する
のぶた先生
防穀令事件の朝鮮側と日本側の主張について更に調査する
歴史部(2025/08/20)のサマリー
主なポイント
江戸時代の文化史について教科書の200ページから220ページまでを読み進めた
蘭学の発展、浮世絵、文人画、寒暖計などの科学技術について議論した
「取得物」(拾い物)に関する江戸時代の法律と習慣について学んだ
次回からは下巻に進み、世界史を2回連続で行う予定
議論されたトピック
蘭学の発展
教科書の200ページから始まり、江戸時代の蘭学について議論した。
詳細
のぶた先生: オランダ語の本が長崎の出島に多く展示されていることを説明
I: 蘭学を学ぶにはオランダ語の習得が必要で、大槻の「蘭学階梯」や稲村三伯が編集した辞書が蘭学の進歩に貢献したことを読み上げた
M: 蘭学者の志筑忠雄は地動説や万有引力説を紹介し、平賀源内がエレキテルの実験や石綿を用いた寒暖計を作ったことを説明
結論
蘭学は西洋の科学技術を日本に導入する重要な役割を果たした
大槻玄沢の「蘭学階梯」や「蘭学塾」が各地に設立され、蘭学の発展に貢献した
江戸時代の文学と芸能
黄表紙や浮世絵など、江戸時代の文学と芸能について議論した。
詳細
O: 黄表紙や洒落本について読み上げ、江戸生まれの山東京伝や上田秋成の「雨月物語」について言及
T: 川柳や狂歌などの文学形式と、吉原の遊女や宿屋飯盛について説明
I: 歌舞伎が人形浄瑠璃の作者の作品を上演し、江戸三座が幕府公認の劇場として栄えたことを読み上げた
結論
江戸時代には様々な大衆文化が発展し、庶民に親しまれた
黄表紙は風刺的な内容で人気を博した
浮世絵と絵画
江戸時代の絵画、特に浮世絵について詳しく議論した。
詳細
L: 洋学の発展とともに西洋画の技法も紹介され、平賀源内や司馬江漢が銅版画を始めたことを説明
O: 浮世絵は18世紀半ばに鈴木春信が多色刷りの錦絵を創始してから発展し、東洲斎写楽が役者絵で人気を博したことを読み上げた
のぶた先生: 丸山応挙や文人画、浮世絵の用途について補足説明
結論
浮世絵はブロマイドのように大量生産され、庶民に親しまれた
西洋画の技法(遠近法や陰影法)は浮世絵にも取り入れられ、後に海外にも影響を与えた
「取得物」(拾い物)の法律と習慣
教科書のコラム「取得物」について議論し、江戸時代の拾い物に関する法律と習慣を学んだ。
詳細
M: 中世では拾った物は拾った人のものという常識だったが、江戸時代に現代の常識ができたことを読み上げた
O: 古典落語「芝浜」の話を例に、拾い物に関する当時の考え方を説明
T: 江戸では拾い物を町奉行に届け、三日間公開する措置があったことを説明
のぶた先生: 拾い物の経験について参加者に質問し、自身の体験を共有
結論
江戸時代から拾い物は自分のものにせず、奉行所や役所に届け出る習慣が始まった
落とし主が現れた場合、お金ならばその半額を謝礼として渡すことになっていた
科学技術と実験器具
エレキテルや寒暖計など、江戸時代の科学技術と実験器具について議論した。
詳細
L: エレキテルについて質問
のぶた先生: エレキテルは静電気を起こす機械で、だれかが医療効果があるとアッピールしたことを説明
O: 寒暖計について質問
のぶた先生: 寒暖計は液体の膨張と収縮を利用した温度計であることを説明
結論
平賀源内は様々な西洋の科学技術を実験的に取り入れた「器用貧乏の見本」のような人物だった
江戸時代に西洋から導入された科学技術は人々の知的好奇心を刺激した
アクションアイテム
参加者全員
下巻の最初のページから準備する
次回は世界史の授業になるため準備する
江戸時代の文化史で興味を持ったトピックについて自分で調べる
質問があればフォーラムに投稿する
のぶた先生
「浮気の蒲焼き」の名前の由来について調査し、次回報告する
世界史の授業を2回連続で準備する
歴史部(2025/08/21)のサマリー
主なポイント
縄文時代の生活と信仰について教科書の4〜7ページを読み合わせた
縄文時代の農耕の有無、貝塚の解釈、集落の分散化などについて議論した
掘立柱と礎石建築の違いについて説明があった
出席者が少なく、のぶた先生とうえまつ先生が中心となって進行した
議論されたトピック
縄文時代の農耕
縄文時代に原始的な農耕が行われていたという説について議論された
詳細
のぶた先生: 縄文時代の農耕の有無は学術的に大きな議論の中心である
のぶた先生: 半栽培や木の実の管理など、完全な栽培とは言えないが農耕的要素はあった可能性がある
うえまつ先生: 弥生時代との区分は水田稲作の広がりによるものである
結論
縄文時代の農耕については証拠をもとに言えるのか言えないのかという議論が現在も続いている
貝塚の解釈
貝塚の意味や機能について議論された
詳細
のぶた先生: 最近では貝塚を単なる「ゴミ捨て場」と表現しなくなってきている
うえまつ先生: 貝塚に埋葬されているケースもあるのか質問
のぶた先生: 人骨が出てくることもあり、埋葬の機能も持っていた
結論
貝塚はゴミ捨て場としての機能だけでなく、埋葬など複数の機能を持っていた可能性がある
縄文時代の集落の分散化
縄文時代中期から後期にかけての集落の変化について議論された
詳細
A: 集落が分散したという話について質問
うえまつ先生: 世界遺産北海道北東北の縄文遺跡群の公式サイトによると、後期に大規模な拠点集落が減少し、集落の分散化が進んだとある
のぶた先生: 三内丸山遺跡のような大規模拠点から、中小規模の集落が増えたという変化がある
結論
縄文時代の中で集落の形態に変化があり、後期には大規模集落が減少して分散化が進んだ
この分散化の理由については今後調査する必要がある
縄文時代の埋葬方法
屈葬を中心とした埋葬方法について議論された
詳細
F: 屈葬以外の埋葬方法があったのか質問
のぶた先生: 伸展葬(体を伸ばして埋める方法)もあった
A: 屈葬は死者が起き上がりにくくするためではないかと推測
F: 死者が動かないようにするためではないかと推測
結論
縄文時代は主に屈葬が行われ、これは死者の復活を防ぐ目的があったと考えられている
機能面では埋葬スペースを小さくできるという利点もあった
縄文時代の階級差
縄文時代における階級差の有無について議論された
詳細
A: 中期に階級差があったというのはどうやってわかるのか質問
のぶた先生: 埋葬の差や副葬品の違いから判断できる
のぶた先生: 中期に一時的に階級差が見られたが、その後なくなった
結論
縄文時代は基本的に平等な社会だったが、中期には一時的に階級差が生じた形跡があるらしい
弥生時代になると階級差がより明確になる
建築技術:掘立柱と礎石建築
古代の建築技術について説明があった
詳細
のぶた先生: 掘立柱は地面に穴を掘って柱を立てる方法
A: 掘立柱は土を掘って柱を立てる方法だと説明
F: 礎石建築は穴を掘る必要がない利点がある
A: 礎石建築は木が腐りにくくなる利点がある
のぶた先生: 礎石建築は重い瓦を支えられる利点もある
結論
掘立柱は古い技術で、定期的な建て替えが必要
礎石建築はより高度な技術で、寺院建築などに使われた
出雲大社は掘立柱で建てられた巨大建築の例である
モースによる大森貝塚の発見
アメリカ人学者モースによる大森貝塚発見の経緯について議論された
詳細
F: モースがなぜ大森貝塚を調査したのか質問
のぶた先生: もともと貝塚研究をしていて、日本にも貝塚があると考えて調査した
うえまつ先生: 1877年に来日し、横浜から東京へ向かう途中の線路脇で貝殻の堆積を発見した
結論
モースは元々貝塚研究の専門家で、列車の窓から見えた貝殻の堆積に気づいて調査を始めた
大森貝塚は現在の品川駅あたりにあった
アクションアイテム
のぶた先生
縄文時代の集落が分散化した理由について調査する
縄文時代の階級差に関する資料を確認する
次回、南蛮図屏風に描かれた托鉢修道会の人々の絵を見せる
全員
次回は弥生時代から日本史を学ぶ(教科書7ページの「農耕社会の成立」から)
次回と再来週の2週間は世界史を学ぶ(世界史実況中継第2巻99ページから)




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