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【歴史部日記】2025年8月3週まとめ

更新日:5 日前

【目次】

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歴史部(2025/08/25)のサマリー

主なポイント

中国国民党の創設と、ソビエトロシアとの接近について議論

カラハン宣言の内容と歴史的意義について検討

帝政ロシア時代の中国に対する侵略行為の否認と領土問題について議論

白軍と反共産主義勢力の構成について説明

「前衛党」という用語の意味と共産主義における位置づけについて議論



議論されたトピック


中国国民党の創設

87〜88ページの内容について読み合わせを行い、孫文が中国国民党を創設した経緯について議論した。

詳細

W: 孫文は軍閥と提携したが、民衆の力を革命のエネルギーとして利用しようとした。1919年10月に中国国民党を正式に発足させた。

A: 1912年の国民党は議会政党だったが、1919年に作られた中国国民党は民衆のエネルギーをまとめ上げ、革命に結びつける前衛党だった。

結論

孫文の目指した革命はロシアのような社会主義革命ではなく、中国の近代的国家統一が目的だった。


カラハン宣言とソビエトロシアの中国接近

89〜90ページについて、カラハン宣言の内容とソビエトロシアが中国に接近した意図について議論した。

詳細

I: カラハン宣言が出された一週間後、ベルサイユ条約が調印され、山東省におけるドイツの権益は日本が継承することになった。

M: ソ連・コミンテルなどの共産主義勢力と民族主義との共闘という図式は、その後世界の至る所で見られた。

結論

ソビエトロシアは帝政ロシア時代の中国に対する侵略行為を否認する宣言を出したが、すべての権益を放棄したわけではなかった。


帝政ロシアの権益問題

カラハン宣言における帝政ロシア時代の権益放棄について質問が出た。

詳細

I: 東清鉄道と沿海州の扱いについて質問。

うえまつ先生: 中国は大きな利権を回収済みでソビエトロシアが放棄した特権はなかった。1920年の第二次カラハン宣言で東清鉄道についての規定が出された。

I: 沿海州(ウラジオストク周辺)は返還されたのか質問。

うえまつ先生: 沿海州は1860年の北京条約でロシア帝国領になり、返還の可能性は最初からなかった。

結論

カラハン宣言は中国が取り戻した帝政時代の特権をソビエトロシアが放棄するという宣言であり、すべての帝政ロシアの行為を否認したわけではない。


列強諸国のソビエトロシアへの対応

ソビエトロシアと各国の民族主義勢力の連携に対する列強諸国の対応について議論した。

詳細

W: 帝国主義諸国(アメリカ、イギリス、フランスなど)はソビエトロシアの動きに対してどのような対応策を取ったのか質問。

うえまつ先生: 干渉戦争が直接的な動きだったが、その後は各国の事情でソ連に対抗する統一的な動きは出づらかった。

のぶた先生: 日本では1922年に非合法の共産党ができ、1925年に治安維持法が制定された。1928年には共産党の大量検挙事件が起きた。

結論

列強諸国はソ連を国家として認めるのを遅らせた(イギリス・フランスは1924年、日本は1925年、アメリカは1933年)。

各国は国内での対共産主義政策は取ったが、国際的な連携は限定的だった。


カラハンの名前の由来

カラハン宣言を出したカラハンという人物の名前の由来について議論した。

詳細

W: カラハンという名前と中央アジアのカラハン朝との関連性について質問。

I: ウィキペディアによるとボージア(グルジア/ジョージア)あたりの出身で、本来の名字はカラハニアンとのこと。

結論

カラハン朝とカラハンの名前の綴りは似ているが、直接的な関連を証明するのは難しい。

カラハンの本姓は「カラハニャン」であり、中央アジアのカラハン朝との直接的な関連は不明。


白軍の構成

ロシア内戦における白軍の構成について質問が出た。

詳細

I: 白軍は具体的にどのような勢力で構成されていたのか質問。

うえまつ先生: 白軍は非公式な名称で、帝政ロシアの軍人を中心に、ボリシェビキと対立した社会革命党や立憲民主党も加わっていた。

結論

白軍は全国的な統一組織を持たず、地域的な反ソ軍事団体だった。

それぞれの軍事指揮官のもとに共産主義勢力と戦う集団が各地にバラバラに存在していた。


「前衛党」という用語について

教科書に出てくる「前衛党」という用語の意味について質問が出た。

詳細

のぶた先生: 88ページに出てくる「前衛党」という用語について質問。

うえまつ先生: 高校レベルの世界史の教科書には出てこない用語。

I: 各国の共産主義者によって解釈が異なる用語。

結論

「前衛」はもともと軍事用語で、共産主義勢力の中では理想を実現するための先進的な部隊を指す。


歴史部(2025/08/26)のサマリー

主なポイント

アメリカ独立戦争の経過と背景について議論

社会契約説とアメリカ独立宣言の関係性について説明

フランスやスペインなどのヨーロッパ諸国がアメリカ独立を支援した理由

アメリカの銃文化と社会契約説の関連性



議論されたトピック


アメリカ独立戦争の経過

実況中継第三巻36ページから40ページまでの内容を読み進めながら議論した。

詳細

うえまつ先生: 13植民地の面積は当時の日本列島と同じくらいで、人口は約250万人。イギリス本国は人口約2000万人で、軍事力・経済力で圧倒的に優位だった。

M: パトリック・ヘンリーの「自由か死か」というスローガンについて読み上げた。

U: アメリカ独立宣言の内容について、トマス・ジェファーソンが起草し、「生命、自由、幸福の追求」という権利について言及した部分を読み上げた。

T: 社会契約説と抵抗権について説明。ジェファーソンの草案には奴隷制批判の文章があったが削除された点を指摘。

M: サラトガの戦い(1777年)がターニングポイントとなり、その後フランスやスペインがアメリカ側に参戦したことを説明。

結論

アメリカ独立戦争は、小国だったアメリカが大国イギリスに勝利した重要な歴史的出来事

サラトガの戦いが独立戦争の分岐点となり、フランスやスペインの参戦につながった

フランスは1778年、スペインは1779年に参戦


社会契約説とアメリカ独立宣言

Fの質問をきっかけに、社会契約説と政府の関係について詳しく議論された。

詳細

F: 社会契約説における「政府」の概念について質問

うえまつ先生: 社会契約説では、人々が自分の武力・強制力を政府に委ねる代わりに、政府は人々を守る義務を負うという契約関係を説明

のぶた先生: アメリカの銃文化と社会契約説の関係について言及。アメリカ人が銃を持つのは犯罪者に備えるためだけでなく、政府に対する不信感も背景にある

うえまつ先生: 日本の刀狩りとの対比を説明。アメリカでは「自分の身は自分で守る」という考え方が根強い

結論

社会契約説では、政府が契約を守らない場合、人民には抵抗権(革命権)がある

アメリカ独立宣言はこの社会契約説に基づき、イギリス本国政府が北米植民地を適切に統治していないため独立する権利があると主張した

アメリカの銃文化は独立戦争の歴史的背景と社会契約説の考え方に根ざしている


アメリカとフランスの友好関係

うえまつ先生からのクイズ形式で、アメリカとフランスの友好関係を象徴するものについて議論された。

詳細

うえまつ先生: アメリカとフランスの友好を象徴するものは何かとクイズを出題

U: 自由の女神像と回答

うえまつ先生: ニューヨークの自由の女神像はフランスからアメリカ独立100周年を記念して贈られたもの。逆にパリにもアメリカからフランス革命100周年を記念して贈られた自由の女神像がある

結論

自由の女神像はアメリカとフランスの友好関係を象徴するシンボルとなっている

ニューヨークとパリの両方に自由の女神像が存在する


ヨーロッパ諸国の参戦理由

Mの質問をきっかけに、フランスやスペインがアメリカ側に参戦した理由と規模について議論された。

詳細

M: フランスとスペインがどのくらいの戦力で参戦したのか質問

うえまつ先生: ウィキペディア情報によると、アメリカ軍が約25万人(民兵含む)、フランス軍が1万5千人、スペイン軍が8千人、対するイギリス軍は1万2千人程度

のぶた先生: スペインとオランダの当時の国力関係について質問

うえまつ先生: 17世紀はオランダの世紀と呼ばれ、金融や海軍力ではオランダが優位。スペインは18世紀にはブルボン家の支配下にあった

結論

フランスとスペインはイギリスへの対抗意識からアメリカを支援

フレンチ・インディアン戦争の敗北に対するリベンジもフランス参戦の動機だった

スペインとフランスはともにブルボン家が支配しており、「ダブルブルボン」としてアメリカ側で参戦した


アクションアイテム

全員

次回は実況中継第三巻41ページの武装中立同盟から読み進める

フォーラムでうえまつ先生の投稿を閲覧し、「いいね」ボタンを押す

興味のある参加者

社会契約説についてさらに学びたい場合は、第二巻を先に読んでおく

質問があればフォーラムに投稿する


歴史部(2025/08/27)のサマリー

主なポイント

漢代の文化について教科書の140〜150ページを読み、議論した

歴史書の叙述スタイル(紀伝体と編年体)について詳しく説明された

中国の医学書「傷寒論」とその歴史的重要性について議論された

「令和」の元号の由来となった万葉集の詩について説明があった

次回は三国志の時代(160ページ)について学習する予定



議論されたトピック


漢代の文化

教科書の140〜150ページから漢代の文化について読み進めた。

詳細

I: 紀伝体と編年体の違いについて読み上げた。紀伝体は君主などの記録である本紀と家臣や周辺地域などの記録である列伝を軸に歴史を展開するスタイル。編年体は時系列に従って歴史を叙述するスタイル。

O: 医学書「傷寒論」や詩文について読み上げた。「初春の令月、気淑く風和らぐ」という詩が令和の起源となったことを説明した。

のぶた先生: 傷寒論が後世にどのように影響したか質問した。江戸時代の漢方医学との関連について尋ねた。

うえまつ先生: 傷寒論は三国時代に注釈書が作られ、北宋の時代に皇帝版も作られ、歴代王朝に継承されたと説明。日本の漢方医学にも影響を与えたと説明した。

結論

漢代の文化の中で、歴史書(史記・漢書)、医学書(傷寒論)、文学作品集(文選)が重要な成果として挙げられる

これらの文化的成果は後世に大きな影響を与えた


歴史書の叙述スタイル

紀伝体と編年体の違いについて詳しく議論された。

詳細

I: 令和の元号の由来について質問した。

のぶた先生: 元号を決める際には有識者が集まり、古典から選ぶと説明。令和の場合は日本の古典から取るという方針があったと説明した。

うえまつ先生: 安倍首相の意向で日本の古典から取ったという一般的な報道がある一方、元々は漢文に由来するという見方もあると補足した。

T: 歴史書や医学書を書いた動機について質問した。

うえまつ先生: 司馬遷の『史記』は父の意志を継いで編纂されたこと、班固の『漢書』は前の王朝が滅んだ原因を知るために編纂されたことを説明した。

T: 紀伝体と編年体の違いについて質問した。

のぶた先生: 紀伝体は人物単位で歴史を記述し、編年体は時系列順に記述すると説明。信長・秀吉・家康の例を用いて分かりやすく説明した。

うえまつ先生: 編年体は年表を文章にしたもので、紀伝体は人物を主軸にまとめた歴史書だと補足説明した。

結論

編年体は時系列順に歴史を記述するスタイルで、春秋がその代表

紀伝体は人物を主軸に歴史を編纂するスタイルで、司馬遷の史記が始まり

中国では紀伝体が王朝の正史とされる歴史書の基本スタイルとなった

日本の歴史書は基本的に編年体である


中国の医学書

中国最古の医学書について議論された。

詳細

L: 傷寒論より古い医学書があるか質問した。

うえまつ先生: 黄帝内経(こうていだいけい)が中国最古の現存する医学書であると説明した。皇帝が学者に疑問を問うて問答形式で編纂されたもので、傷寒論よりも古いと説明した。

のぶた先生: 日本の医学書については「医心方」が平安時代の末期に編纂された最古のものだと補足した。

結論

中国最古の現存する医学書は黄帝内経である

医学的知見は時代を超えて引き継がれていった

日本最古の医学書は平安時代末期の「医心方」である


次回の予定

次回の授業内容について説明があった。

詳細

うえまつ先生: 次回は160ページの三国志の時代について学習すると説明した。

のぶた先生: 三国無双をやって予習しておくよう冗談交じりに勧めた。

結論

次回は160ページから始まる三国志の時代について学習する


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教科書160ページの三国志の時代について予習する

うえまつ先生

次回の授業で三国志の時代について教える準備をする


歴史部(2025/08/28)のサマリー

主なポイント

歴史部の授業では中世イタリア史とヨーロッパ文化史について議論された

フランチェスコ修道会とイエズス会の違いについて説明があった

チョンピの乱(1378年)は世界初の労働者一揆として紹介された

中世ヨーロッパでは神学が学問の中心であり、「哲学は神学の下僕」と表現された

参加者が少なく、次回は110ページから再開することが決定された



議論されたトピック


フランチェスコ修道会とイエズス会の違い

のぶた先生が九州国立博物館で見た展示品について共有し、修道会の違いについて議論された。

詳細

のぶた先生: 九州国立博物館でフランチェスコ修道会の人々の展示を見つけた。イエズス会とは格好が異なることに気づいた。

うえまつ先生: イエズス会はスペインを中心に生まれた修道会で、フランチェスコ修道会はイタリアのアシジを中心に設立された托鉢修道会である。フランチェスコ修道会は元々托鉢活動会として生まれたものである。

結論

フランチェスコ修道会とイエズス会は出身地域や活動内容に違いがある

フランチェスコ修道会は托鉢修道会として日本に来る前からヨーロッパで活動していた


中世イタリア史

教科書99-100ページの内容について、イタリアの分裂とシチリアの晩鐘について議論された。

詳細

K: イタリアの分裂について教科書を読み上げ、ゲルフとギベリンの対立、北部のミラノ公国、ベネチア、ジェノバ、フィレンツェなどの都市共和国について説明した。

F: シチリアの晩鐘について教科書を読み上げ、1282年のフランス人支配に対する反乱、アンジュー家の南イタリア支配、アラゴン家のシチリア支配について説明した。

うえまつ先生: シチリア島の勢力範囲は大学受験でも重要なポイントであると説明した。

結論

イタリアは中世において様々な勢力に分裂していた

シチリア島の歴史を通じて地中海の主な勢力を知ることができる


チョンピの乱について

フィレンツェで起きた世界初の労働者一揆について質問があり、詳細な説明がなされた。

詳細

F: チョンピの乱が何を理由に起こったのか質問した。

うえまつ先生: フィレンツェでは有力商人が政治を牛耳っており、労働者(チョンピ)は政治参加から排除されていた。1378年にローマ教皇との戦争に敗北したことをきっかけに、チョンピたちが武装蜂起し、政治参加を要求した。約1ヶ月で鎮圧された。

のぶた先生: 労働者一揆というと経済的要求を想像していたが、政治参加を求めるものだったことに驚いた。

結論

チョンピの乱は経済的要求ではなく政治参加を求める運動だった

フィレンツェは経済的に豊かな都市だったため、労働者も政治参加を求める余裕があった

日本の歴史と比較すると、同様の労働者一揆を見つけるのは難しい


ゲルフとギベリンについて

イタリアにおける政治的対立勢力について質問があり、その歴史的経緯が説明された。

詳細

K: ゲルフとギベリンの対立がその後どうなったのか、現代の政党に影響を与えているのか質問した。

うえまつ先生: ギベリンは神聖ローマ皇帝を支持する勢力で、皇帝がいなくなると衰退した。ゲルフはフランスを支持し、16世紀頃にハプスブルク家がイタリアを支配するようになると、この対立構図は使われなくなった。

結論

ゲルフとギベリンの対立は16世紀頃に消滅した

現代の政党に直接的な影響はほとんどない


中世ヨーロッパの文化と神学

教科書110ページの内容について、中世の神学と哲学の関係、スコラ学の始まりについて議論された。

詳細

F: 中世の文化の中心は神学であり、「哲学は神学の下僕」という言葉があることを説明した。

K: 中世神学の始まりは8世紀で、カール大帝がイギリスから招いたアルクインなどが神学を講じ始めたことを説明した。

のぶた先生: 形而上学と神学の違いについて質問した。

うえまつ先生: 形而上学は哲学の一分野で、神だけでなく霊魂や世界全体など超越的な存在を扱うと説明した。

結論

中世ヨーロッパでは神学が学問の中心であった

スコラ学はカール大帝の時代に始まり、後にアリストテレス哲学の影響を受けて発展した

形而上学と神学は同じではなく、形而上学はより広い概念を扱う


天動説と地動説の対立

漫画「ち。」の話題から、天動説と地動説の歴史的対立について説明があった。

詳細

K: 漫画「ち。」で描かれていた天文学と地動説について質問した。

うえまつ先生: 中世からルネサンスにかけて、ローマ教会は天動説を聖書の教えに従った正統な説とし、地動説を唱える者を異端として処罰した。ガリレオ・ガリレイも宗教裁判にかけられ、最終的に地動説を撤回した。

結論

天動説と地動説の対立は単なる科学的論争ではなく、宗教的・神学的な問題でもあった



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