【歴史部日記】2025年10月1週まとめ
- 順大 古川
- 9月30日
- 読了時間: 12分
更新日:10月3日
【目次】
中世ヨーロッパの文化:歴史部(2025/10/02)のサマリー(ZoomAI)
歴史部(2025/09/29)のサマリー
主なポイント
中国の1920年代の歴史と日本の関わりについて議論
蒋介石の全国統一と幣制改革について検討
中国共産党の活動と土地改革について説明
基軸通貨としてのイギリスポンドの役割について議論
次回の授業は第4巻130ページからのインド、中東、アフリカについて
議論されたトピック
蒋介石の全国統一
教科書99-102ページの内容について、M、M、Kが順番に読み上げ、うえまつ先生が補足説明を行った。
詳細
うえまつ先生: 1928年をもって蒋介石率いる国民政府が統一したと一般的に言われている
うえまつ先生: 青木先生が教科書にイメージ図を書いているが、実態はそんな単純ではない
結論
高校受験レベルでは1928年に蒋介石による中国統一が達成されたとされる
日本の情勢と田中義一内閣
教科書100ページの内容について、張作霖爆殺事件と田中義一首相の辞任について議論された。
詳細
W: 張作霖爆殺事件の責任を取って田中首相が辞任させられたという記述があるが、なぜ昭和天皇は田中首相の辞任を強く望んだのか
のぶた先生: 正確には辞任させられたのではなく、自ら辞任した。田中は張作霖爆殺事件の報告で前後矛盾した報告をし、陸軍をかばったため、昭和天皇が信用できないという意思を示した
うえまつ先生: 昭和天皇はこのことを後年後悔している。立憲君主制の範囲を超えてしまったと考えた
結論
昭和天皇は田中首相に直接辞任を命じたわけではなく、影響力を及ぼした結果、田中が辞任した
これは昭和天皇研究の点でも重要な事例である
平成改革と通貨政策
教科書100-110ページの幣制改革について、特に通貨政策と基軸通貨の役割について議論された。
詳細
I: 幣制改革で法幣(中国の通貨)がイギリスポンドとの交換を保証されていたことについて質問
うえまつ先生: 当時の基軸通貨はイギリスポンドであり、最も信頼性の高い通貨だった
のぶた先生: 中国とイギリスの貿易量が中国とアメリカの貿易量より多かったことも関係している可能性がある
結論
平成改革の一環として、政府系銀行に通貨発行権を統一し、他の銀行の通貨発行や銀の使用を禁止した
イギリスポンドが基軸通貨として選ばれたのは、当時最も信頼性が高かったため
第二次世界大戦後に基軸通貨の地位がイギリスポンドからアメリカドルに移った
共産党の活動と土地改革
教科書110-120ページの共産党の活動と土地改革について議論された。
詳細
Wa: 中華ソビエト共和国臨時政府の首都が瑞金に設置されたが、共産党は農村を中心に活動していたので、どのような形で拠点を置いていたのか
うえまつ先生: 1931年に中華ソビエト共和国臨時政府が瑞金に設置され、1934年まで続いた。国民党に負けて逃げ続けた結果、瑞金に最後の拠点を置いた
K: 土地改革について、日本の戦後農地改革との違いを質問
中国共産党は1931年に中華ソビエト共和国臨時政府を瑞金に設置したが、1934年に国民党の包囲作戦で敗れ、長征を開始した
共産党の土地改革は日本の戦後農地改革とは異なり、限定的な地域で行われた
この土地改革は後に共産党が農民の支持を得る布石となった
浜口雄幸内閣と外交政策
浜口雄幸内閣の外交政策と政党政治について議論された。
詳細
井上: 浜口内閣で幣原喜重郎が外相に戻ったことについて質問
のぶた先生: 政権交代の文脈で理解する必要がある。幣原は憲政会側(後の立憲民政党)の人物で、田中義一は立憲政友会の総裁だった
うえまつ先生: 浜口内閣は外交面では幣原喜重郎、大蔵大臣は井上準之助で、世界恐慌の時期に重要な役割を果たした
結論
浜口内閣は立憲民政党(旧憲政会)の内閣で、協調外交路線に戻った
この内閣は昭和恐慌の改革を行い、後に満州事変も経験することになる重要な転換点となった
アクションアイテム
全員
第4巻130ページからの第76回「インド、中東、アフリカ」を予習する
日本史クラス受講者
鎌倉時代の執権政治について95ページから予習する(10月6日)
歴史部(2025/09/30)のサマリー
主なポイント
フランス革命前の社会構造「アンシャンレジーム」について学習(第一身分:聖職者、第二身分:貴族、第三身分:平民)
フランス革命の背景となった財政危機と三部会の開催について議論
重農主義と重商主義の違いについて説明
「サンキュロット」の語源と意味について解説
次回はフランス革命の勃発について学習予定
議題
フランス革命前の社会構造(アンシャンレジーム)
うえまつ先生が世界史実況中継第3巻49-55ページについて説明し、生徒たちが順番に教科書を読み上げた。
詳細
うえまつ先生: フランス革命とナポレオン時代の26年間を学習する。政治体制の変化と政治権力の推移がポイント。
U: アンシャンレジームの社会構造について読み上げ。第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(平民)の説明。
T: ブルボン朝の財政危機とアメリカ独立戦争参戦による影響について読み上げ。
K: アメリカ独立革命がフランス革命に与えた経済的・思想的影響について読み上げ。
N: 財政改革と貴族の反発、三部会開催要求について読み上げ。
M: 三部会での議決方法をめぐる対立について読み上げ。
M: 国民議会の成立について読み上げ。
結論
フランス革命前の社会は三つの身分に分かれており、第一・第二身分(人口の10%以下)が特権を持ち、第三身分(90%以上)が税負担を強いられていた。
財政危機を背景に174年ぶりに三部会が開催されたが、議決方法をめぐる対立が生じた。
三部会について
Tの質問から三部会の歴史的背景について議論された。
詳細
T: 三部会がなぜ停止されたのかについて質問。
うえまつ先生: 三部会は1320年に初めて開催され、国王が各身分の代表者から支持を得るために使われた。ルイ13世の時代(1615年)以降は国王の権力が強まり不要になったため停止された。ルイ16世の時代に国王の力が弱まったため174年ぶりに再開された。
結論
三部会は国王の権力の強弱によって開催・停止した。
フランス革命直前は国王の権力が弱まり、各身分の支持を必要としたため再開された。
重農主義と重商主義
Nの質問から経済思想について説明された。
詳細
N: 重農主義の意味について質問。
うえまつ先生: 重商主義は流通過程に国家が介入して利益を得る考え方。重農主義は農業など富を生み出す源泉を重視し、国家の経済介入を否定する考え方。「レッセ・フェール(自由放任)」の思想につながる。
結論
重農主義は単に農業を重視するだけでなく、国家の経済介入を否定する自由主義経済の源流となった。
キュロットとサンキュロット
Mの質問から革命期の服装と階級の関係について説明された。
詳細
M: キュロットとは何か、なぜ貴族はそれを着用していたのかについて質問。
うえまつ先生: キュロットは貴族が着用していたぴったりとしたタイツ状の半ズボン。サンキュロット(「キュロットを着ない者」の意)は長ズボンを履く都市の民衆を指す蔑称だった。
結論
服装の違いが階級の象徴となっており、革命期の民衆はサンキュロットと呼ばれた。
聖職者の出自
Tの質問から聖職者の社会的背景について議論された。
詳細
T: 聖職者は平民から出ることもあるのかと質問。
うえまつ先生: 平民出身の聖職者も存在したが、教会でキャリアを積むには裕福な家庭出身者が多かった。リシュリューの例を挙げて説明。
結論
聖職者には平民出身者もいたが、上流階級出身者が多かった。
フランス革命前の財政危機
Mの質問から戦費の具体的規模について議論された。
詳細
M: 「莫大な戦費」とはどの程度かと質問。
うえまつ先生: 正確な数字は教科書に出ていないが、ネット情報によると軍事費がGDPの20-30%を占め、戦争時には平時の2倍以上に増加したとの研究がある。
結論
具体的な数字は確定できないが、国家財政に大きな負担となる規模だった。
球戯場の誓い
Mの質問から革命初期の重要な出来事について説明された。
詳細
M: 「球戯場」とは何か、なぜ「テニスコート」と括弧書きされているのかについて質問。
うえまつ先生: ベルサイユ宮殿内の室内テニスコートのこと。国王軍が議会を閉鎖したため、第三身分の代表者たちがここに集まり「憲法制定まで解散しない」と誓った。
結論
球戯場の誓いはフランス革命の重要な前段階となる出来事だった。
次回の予定
全員
世界史実況中継第3巻56ページから「革命の勃発と立憲君主制の成立」について学習
来週は日本史で日清・日露戦争(72-73ページ)を学習
再来週の世界史の授業は休講
のぶた先生
フランス革命は「貴族の革命から始まった」という皮肉について次回詳しく説明
うえまつ先生
フランス革命の勃発とバスティーユ襲撃について次回説明
歴史部(2025/10/01)のサマリー
主なポイント
歴史部の会議で世界史の授業が行われた
「西晋の成立」と「西晋の滅亡」について教科書の内容を読み進めた
占田・課田法や八王の乱など中国古代史の重要事項について議論した
質問形式で授業を進行し、のぶた先生が指名する「のぶたゲーム」を実施した
次回は「五胡十六国時代」について学習する予定
議題
出席確認
のぶた先生が出席者を確認
うえまつ先生が授業内容を説明し、教科書110-111ページの読み進め方を指示
教科書の読み合わせ
L:占田・課田法について読み上げ
K:西晋の滅亡と八王の乱について読み上げ
質疑応答
L:「禅譲」の意味について質問
うえまつ先生:皇帝が血縁関係のない人に位を譲ることを「禅譲」と説明
O:宣伝家電法の内容について質問
うえまつ先生:豪族の大土地所有を制限するための法律だが、具体的内容は資料が少ない
O:劉淵が「漢」を名乗った理由について質問
うえまつ先生:単に漢への憧れだけでなく、劉淵は東匈奴の首長と漢の皇帝の娘との血筋を引いていると主張していた
T:西晋時代の王国と前漢時代の王国の違いについて質問
うえまつ先生:基本的に同じだが、西晋は魏の反省から皇族に力を持たせた結果、八王の乱が起きた
O:占田・課田法で穀物の徴収はあったのかについて質問
うえまつ先生:資料には絹や綿の徴収しか記載されていないが、穀物の徴収(田租)もあったと考えられる
結論
占田・課田法は豪族の大土地所有を制限する目的だったが、貴族階級が支配する社会では成功しなかった
八王の乱は皇族に権力を与えすぎた結果起きた内乱で、それぞれが皇帝の座を争った
魏の建国(220年)と西晋の建国(265年)には、それぞれ実力者である父(曹操と司馬昭)の死後に息子が即位するという共通点がある
次回の予定
のぶた先生が次回の予定を確認
世界史:112ページから「五胡十六国時代」について学習
日本史:下巻7ページから学習
再来週は休講
アクションアイテム
全員
次回の授業(112ページ「五胡十六国時代」)の予習
歴史部(2025/10/02)のサマリー
主なポイント
中世ヨーロッパの大学教育について議論(190-113ページ)
大学の成立背景と二つの類型(ボローニャ型とパリ型)
中世の学問内容と七自由学科について
中世ヨーロッパの文芸(叙事詩、騎士道物語、吟遊詩人)
中世の建築様式(バシリカ式、ビザンツ式、ロマネスク式、ゴシック式)
イスラム医学の発展と中世ヨーロッパへの影響
議論されたトピック
大学教育の成立背景
うえまつ先生の進行で、190ページから113ページまでの中世ヨーロッパの大学や文芸、建築物について読み進めた。
詳細
T: 商工業の発展により計算能力や技術革新の需要が高まり、都市を中心に大学が形成された
F: 大学には二系統あり、ボローニャ大学型(学生中心)とパリ大学型(教授中心)があった
S: 学問の内容として、神学、法学、医学、哲学の四学部があり、イスラム医学の流入により医学が発展した
M: 七自由学科について説明。下級三学(文法、修辞学、論理学)と上級四学(算術、幾何、天文、音楽)があった
I: 主な大学としてボローニャ大学、ナポリ大学などを紹介
結論
中世ヨーロッパの大学は商工業の発展を背景に成立し、ラテン語を共通語として高等教育が行われた
大学には学生中心と教授中心の二つの類型があり、それぞれ特徴的な運営方法があった
イスラム医学について
Mの質問に対し、うえまつ先生がイスラム医学の特徴について説明した。
詳細
M: イスラム医学がヨーロッパより優れていたとされるが、具体的にどのように優れていたのか質問
うえまつ先生: イスラム医学は食事療法やハーブの使用、患者の生活習慣や精神状態を考慮した全体的な健康管理を行っていた。外科手術(傷の縫合、腫瘍の切除、眼科手術、血管手術など)も発達していた
結論
イスラム世界では総合的な医療技術が発達し、医学書の編纂も進んでいた
イブンシーナの医学典範はラテン語に翻訳され、中世ヨーロッパの医学に大きな影響を与えた
中世の文芸
T、T、Fらが中世の文芸について読み進めた。
詳細
T: 叙事詩や騎士道物語について説明。ローランの歌、アーサー王物語、ニーベルンゲンの歌などが紹介された
T: 吟遊詩人について説明。ドイツではミンネジンガー、フランスではトルバドゥールと呼ばれた
結論
中世ヨーロッパでは騎士の活躍を題材にした物語が人気を博した
騎士道精神(武勇、主君への忠誠、弱者の保護、キリスト教への信仰、女性への礼節)が重視された
中世の建築様式
S、M、Iらが中世の建築様式について読み進めた。
詳細
K: バシリカ式について説明。柱が並ぶ様式で、ギリシア・ローマ時代の公共建築物の様式を教会に応用したもの
S: ビザンツ式について説明。ギリシャ十字の形をした平面図と円屋根が特徴。ハギアソフィア聖堂などが代表例
M: ロマネスク式について説明。11-12世紀に北イタリアで発祥し、重厚で暗い室内が特徴。ピサ大聖堂などが代表例
I: ゴシック式について説明。12世紀に北フランスで生まれ、高い塔と尖頭アーチが特徴。ノートルダム大聖堂などが代表例
のぶた先生: ハギアソフィア聖堂について質問
うえまつ先生: ハギアソフィア聖堂はもともとキリスト教の教会だったが、オスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼした後、イスラム教のモスクとして使われるようになった
結論
中世ヨーロッパには四つの主要な建築様式があり、それぞれ特徴的な構造と代表的な建築物がある
建築様式は時代や地域によって変化し、文化的・宗教的背景を反映している
日本との比較
のぶた先生とうえまつ先生が日本の歴史と比較しながら議論した。
詳細
のぶた先生: 日本では漢文が高等教育の基礎となり、江戸時代まで続いた。明治時代になって自国語で高等教育ができるようになった
うえまつ先生: 中世ヨーロッパではラテン語が共通語として使われ、基本的なテキストはラテン語で書かれていた
結論
日本と中世ヨーロッパでは、それぞれ漢文とラテン語が高等教育の基礎言語として機能していた
自国語での高等教育が可能になったのは、日本では江戸時代以降、ヨーロッパでは近世以降である
アクションアイテム
全員
次回は「アジア諸地域との諸国」(120ページ)について学習する
木曜日の日本史は上巻11ページ「倭の小国の分立」について学習する
のぶた先生
再来週は休講のため、スケジュール調整を行う




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