浜口雄幸暗殺事件【歴史部生徒質問・調べてみた】
- 順大 古川
- 7月26日
- 読了時間: 2分
更新日:7月28日
個人レベルで調べて勉強しているので、誤りもあるかと思います。事実誤認や参考文献の読み間違いなどがありましたら、ご教示いただけるとありがたいです。
継続して勉強していきますので、参考文献や史料などの情報求むです。
【生徒さん質問】
浜口雄幸を襲撃した犯人は銃をどんなルートから手に入れたの?
回答:
有桓社編『明治・大正・昭和歴史資料全集 暗殺編』(有桓社・昭和8年)(国立公文書館デジタルコレクション)に、昭和5年11月18日の東京朝日新聞の記事が収録されていました。
それによると、浜口雄幸首相を銃撃したのは長崎出身で23歳の男です。
襲撃犯は右翼団体の愛国社に所属していました。
愛国社の社長は岩田愛之助なのですが、襲撃犯はこの岩田愛之助社長からブローニング式八連発の銃を入手していました。
では、愛国社の岩田社長がどこから中を入手したのかというと、「昨年(1929年?※のぶた)八月一日夜別府市外昭和園に於て支那亡命客張宗昌氏に過って射殺された陸軍士官学校出身の秀才、粛親王の第十七子憲開氏が東京に留学中かねて親交を重ねてゐた岩田に記念として贈った品」(参考文献)だそうです。
ちなみに、粛親王は清朝の皇族愛新覚羅氏につらなる名族で、清朝末から中華民国、満州といろいろな政治に関わっている大物です。
粛親王は日本との関わりも深い人でした。
というわけで、驚くべきことに、濱口首相の襲撃犯は清朝(満州民族)の皇族の銃を入手したということになります。
追記:2025/07/28
山崎博『目撃者が語る昭和史 第2巻昭和恐慌』(新人物往来社・1989年)に、昭和31年12月刊行の『日本週報臨時増刊』に寄せた犯人の証言がありました。ここでは、以下のようになっています。
「当時の愛国社には、日本刀、騎兵銃、満州から持ってきたという外国製の軽機関銃、小銃などがあったのだが、その中から、私は一つの小さな拳銃を選んだ。これはモーゼルの三号で川島芳子が持っていたとかいうもので、精巧な六連発であった。前に述べた先輩の松木氏が持っていたので、ピストルを出して自分のものとしておいた。」
ビミョーに記憶が変わっていますね。昭和5年の記事の方が事件に近いし、警察発表を記事にしたものなので、基本的には東京朝日新聞の記事を信じるべきなのでしょう。
なお、川島芳子は憲開の妹で、日本軍の諜報活動に従事していたと言われている人です。
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