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執筆者の写真順大 古川

中近東各国の歴史(1)現代イランの歴史(1)【青木裕司と中島浩二の世界史ch:287】



世界史参考書の超ロングセラー『青木裕司 世界史B講義の実況中継』シリーズの青木裕司先生と、福岡を中心に活動する人気タレント中島浩二さんの青木裕司と中島浩二の世界史ch」の文章版です(許可を得ています)。


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中島:

歴史を紐解けば未来が見える。大人の世界史チャンネル中島浩二です。そして河合塾のカリスマ講師、世界史の青木先生です。よろしくお願いします。


青木:

お願いします。


中島:

イスラエルとハマスの戦闘がすごいので、中東をきちんとということですよね。


青木:

昨年の後半にハマス・イスラエル戦争が始まって。


中島:

10月ですね。


青木:

ハマスとはどういう組織だったかとか、イスラエルはどういう国だったかと。イスラエル周辺のいわゆる中近東のいろんな国々、簡単な略歴をそこそこ知っておくのはプラスになるだろうということで、今日はイランですね。今はイランイスラム共和国という名前になっていますけども。


中島:

イランは本当に大きな国で、ちょっと勘違いするんですけど文化的にはペルシャの人たちですよね。


青木:

アラブじゃないんですよね。民族を分けるときになんで分けるかって、基本言語なんです。アラブは文字通りアラビア語をしゃべる人たち。言語の系統でいうとユダヤ人と一緒なんです。セム系語族といって。それに対していわゆるイラン・ペルシャの人たちというのは、民族的には、言語による分類による民族ではインド・ヨーロッパ語族。だから隣のパキスタン、隣のインド、そしてヨーロッパなんかと実は言語的には一緒なんです。


中島:

ペルシャ絨毯とか、ああいう空飛ぶ絨毯とか、そのあたりの感じですよね。


青木:

絨毯はあそこの特産品なので。言語もペルシャ語ですね。インドの言葉なんかと結構似てるところがあるらしいんです。人口がだいたい8800万人で、イランという国はそんなに平野がなくて、わりと高原の寒い国なんですよね、面積は広いんですけどね。国民のほとんどはイスラム教の中でも少数派と言われるシーア派です。イスラム教はいろんな派閥があるんですけども、大別するとスンナ派とシーア派。よく生徒からも質問されるんです「なにが違うんですか?」と、教義的には僕らから見ると、仏教徒から見るとそんなに違いはないと。一番大きな違いはイスラム教徒のコミュニティ、そのリーダーは誰がふさわしいかと。スンナ派と言われる多数派の人たちはみんなで選んだ人で良いじゃないかと。これに対してシーア派の人たちは預言者であるムハンマド。7世紀に活躍したアラーの言葉をみんなに伝えた預言者ですね。そのムハンマドの血筋の人間じゃないとダメだと。これにこだわる人たちなんです。

僕らから見るとかなり政治的な違いというか、そういったものなんです。しかも特にシーア派がイランに多いというのは、先ほど言ったようにアラブ人とイラン人は民族が違うんです。


中島:

ペルシャ人ですからね。


青木:

なおかつ、なんだかんだ言ってイスラム教ってアラブ人の中から生まれてきた宗教なんですよね、ムハンマド自身もアラブ人だし。そのアラブ人がイスラム教徒になって領土を広げていく。言うなればペルシャというのは侵略された側なんですよね。

なんですけどもイスラム教をみんな受け入れていくわけです。ただ、アラブ人と同じ宗派はなんか嫌だよねという気持ちがどこかにあったと思うんですよね。

というのもペルシャ自身、イラン自身、昔から伝統的文化を誇っている国で。


中島:

非常に高度な文化がもともとあったところですよね。


青木:

そういった民族的誇りもある。ただ、ペルシャ人からすると外来の宗教であるイスラム教を受け入れたけども、なんでもかんでもアラブ人の言いなりにはなりたくないなと、みたいな気持ちはたぶん根本にあったんじゃないかと思うんですね。少数派と言われるシーア派、これを信仰してらっしゃるということです。ちなみに全世界的に見るとスンナ派が90%で、シーア派が10%ぐらいなんですが、こと中近東に関して言うと、実はシーア派が多数派を占める国って結構多いんですよね。イランがその代表なんですが、お隣のイラク。ここは民族はアラブ人なんですが、人口の60%以上は実はシーア派です。



中島:

ここと2つの国で戦争したということが。


青木:

ただイラクの実権はアラブ人のイスラム教徒のスンナ派が握ってるんですよね、サダム・フセインなんかはその代表なんだけども。そのフセインにとって厄介だったのは南部にいるシーア派。この連中がイランと結びついていると。自分たちから独立するんじゃないかと。これの恐怖にずっと怯えてるんですよね。なんでこんな国境線になったかというと、今から100年前にイギリスが引いちゃったんです。



中島:

ここのところもですね。


青木:

あとサウジアラビアの南にあるイエメン。よくフーシ派という言葉がニュースに登場します。フーシ派のフーシさんというのはイエメンのシーア派のいわゆる法学者です、精神的指導者。もう20年ぐらい前に殺されちゃったんですけどね。それからシリア。アサド大統領という独裁者がいるんですけども、ここはイスラム教徒の宗教の派閥でいうとスンナ派が多数派なんだけども、独裁者の大統領であるアサドさんの一族、これはシーア派なんですよね。なおかつその隣国のレバノン。レバノンという国はキリスト教徒も半分ぐらいいるし、イスラム教徒も半分いる。そのイスラム教徒のうちの半分ぐらいがシーア派なんですね。そのレバノン南部に拠点を持っている武装闘争組織がヒズボラという組織で、これをイランがずっと支援をしていると。イスラエルに対抗させているという構図があるんです。


中島:

ここで僕は本当に「うわー」と思うのが、いわゆるイスラエルが、もともとはガザがイスラエルの人たちをテロ攻撃して人質を取りました、この前の10月からの話で言うとですね。そこにイスラエルが人質をなんとか救出しようということでむちゃくちゃな攻撃をして、かなりガザの人たちが2万5000人も亡くなっている。収録時点22日ですけど、どんどんたぶん数は増えていっていると思います。その中で、同じイスラム教の人たちでもちょっとこちょこちょ、この前だってイランがパキスタンになにかあれしたとかいうのがありましたよね。


青木:

パキスタンも実は、ほとんどイスラム教徒なんですけども、人口の多数派はやっぱりスンナ派なんです。ところが正確な数字はわかっていないけど10%から15%ぐらいはシーア派の人たちがいるんです。そういった人たちにイランって影響力を一定持ってるんです。


中島:

そこでまた、言うなれば大もとは同じ宗教なのに、そうやってまたこちょこちょなるんですね。


青木:

民族的対立とか国家的対立とかいろいろあって、ただイランとパキスタンの関係はめちゃくちゃ複雑で、すごく仲の良かった時期もあるんです。悪くなった時期もあって、結構離合集散を繰り返しているという感じがあるので、なかなかここは説明が難しいです。

そのイラン。今はイラン・イスラム共和国ということで、いわゆる宗教指導者たちが権力を握ってるんです。その体制になったのが1979年、いわゆるイラン革命という事態。それまでのイランはどんな国だったかというと、王様がいる国だったんです。王朝はパフレヴィ王朝といって、パフレヴィ2世という国王がいた。その国王はヨーロッパ、あるいはアメリカなんかの支援を受けながら近代化を進めようとしておった。

ちなみに言うとイランで1908年にイギリスの資本が投下されて初めて油田が出てくるんです。中近東の油田の多くは実はイギリスが開発するんです。なぜかというと、今から150年ぐらい前かな、19世紀のなかばぐらいから石油の採掘が始まって、それがエネルギー源として利用されていくんだけども、当初ほとんどの石油生産ってアメリカだったんです。19世紀においては、19世紀いっぱいを考えるとほぼ90%。これがアメリカが生産する石油で、10%がロシアだった。だから世界の海を支配しているイギリスも石油は基本的にアメリカから買ってたんです。そればっかりじゃいけないよねと、自分の支配地域で石油を開発しないといけないよねといろいろ調べたら、イランに非常に有望な油田があると。掘ったら出てきたわけです。そういったこともあってイギリスとイランの関係というのは昔から深かったんです。

第二次世界大戦後になるとアメリカもイランの内政にいろいろ干渉し始めていくわけですね。要するにイギリスやアメリカなんかに代表される欧米と友好関係を取っている国王陛下がいらっしゃったわけです。さっき名前を出しましたパフレヴィ2世という人で、こちらはその奥様なんですが、これがイラン国民にとっては非常に衝撃だったと。なにかというと、髪を隠してないよねと。パッと見わかるように欧米の。


中島:

いわゆる西洋の王様と女王様という。


青木:

一緒だよねと。もちろんそれを良しとする人もいたし、それを良しとしなかったのが、それこそホメイニに代表されるようなイスラム教の伝統を守ろうとする人たちだったんです。こういった人たちがリーダーシップを取って1979年にバフレヴィ2世の体制を倒したわけです。


中島:

革命を起こすわけですよね。


青木:

はい。実際に権力に座ったのはイスラム教の法学者。よく日本のマスコミでは聖職者という言い方をするんですが、厳密にはイスラム世界には聖職者はいないんです。これは預言者であるムハンマド自身が言うんですけども、イスラム教の世界において聖なるものはアラーだ。もうちょっと言うとアラーの忠実なしもべである天使。それぐらいが聖なるものであって、「預言者の私?いや、僕人間ですから」と。これはムハンマドが強調して言うんですよね。「僕は違うよ、拝む対象は僕じゃないからね、アラーだよ。あるいは天使だよ」と。「僕は単にそれを取り持ってるだけだから。だから僕を崇拝してもなにもなりませんよ」というのはムハンマド自身がおっしゃるんです、おっしゃっていたみたいなんです。だからそういったことを踏まえてイスラム世界には聖なる職業の人間というのはいない、ムハンマドですらそうだったんだからと。

おっしゃったように法学者。なんで法学者が力を持つことになるかというと、イスラム教徒の世界ってアラーの教えに導かれながら運営されていくわけです。僕らは良いか悪いかは別にして、仏教の教えと日常生活、そんなにリンクしていないじゃないですか、多くの仏教徒にとっては。仏教の戒律を忠実に守りながら日常生活をやってる人間って、特に日本人においてはそんなに多くない。ところがそれこそユダヤ教徒とか、イスラム教徒の人たちというのはコーランに書かれているもの、これが生活の基本なので、それからはみ出さないような生活をやってるんです。ただ、イスラムの歴史の中で特にイスラム教が成立した頃、多くの人たちが文字の読み書きができない。だから村に1人か2人いる読み書きのできる人がコーランをしっかり読み込んで、村で揉めごとが起こったときに仲裁に入るわけです。「君なにやったの?」「あいつからお金を借りたんです」「それで返したの?」「返したんだけどもあいつが利子をつけると言うんですよ。僕、噂に聞いたんだけど、アラーはお金でお金を儲けてはならない。利子をつけて借金をさせてはならないということをおっしゃったというのがコーランに書いてあるというふうに聞いたんですが、どうですか?」と。そのイスラム教を勉強した知識人が「あんたの言ってる通りだ。お金でお金を儲けちゃいけないみたいなことは確かにコーランの中に書いてある」ということはアラーがおっしゃってるので、「君、利子を要求しちゃダメだよ」と。こうしてイスラム教について知識を持っている人が、コーランを読み込んだ人が、言うなれば弁護士とか裁判官とかみたいな仕事をするようになるわけ。イスラム世界のルールというのを作っていくわけです。いわゆるイスラム法。

ただ自分のコミュニティだけに通用する法律では普遍性がないというので、隣の村ではどういう裁定を行ったか、隣の村ではどういう裁定を行ったかというのをウラマーと言われる知識人が集まって話し合いをしていくわけです。こういうのを重ねることによっていわゆるイスラム法というのが長い年月をかけて形作られていくわけ。長い年月をかけて作られていったということは、それだけイスラム教徒の生活に根差したもの。それをしっかりと把握している人たちが社会コントロールの頂点に立つべきだというのが彼らの、ホメイニさんたちの意見なんです。

イスラム法学者、これを指導者とする国家体制、これがイランにできあがっていったわけです。


中島:

これはまた不思議な国の成り立ちというか。


青木:

そうなんですよね。彼らは国民に選ばれたわけじゃないんですよね。国民に選ばれた人たちが委員会を作って、法学者を中心とする委員会を作って、たとえばホメイニさんが亡くなったあとは誰を次の最高指導者するか。合議をして、今のハメネイさんを選ぶわけですね。

だから国の最高指導者を選ぶ方法というのが、イスラム教をどれだけ理解し、イスラム教の法律をどれだけしっかりわかっているか、どれだけ説得力を持つ議論を展開できるか、みたいなところがポイントになって選ばれていくんです。


中島:

指導者になるってかなりの責務、重責。間違った方向に持っていけないわけでしょ。


青木:

とにかくそうならないようにイスラムの法律、シャリーアと言いますけれど、これを熟知した人。なおかつ説得力を持った議論ができる人。こういった人たちがイランで、こういう人しかイランでは指導者にはなれないと。



中島:

すごい話。でも一応大統領とかはいるんですよね。


青木:

大統領はいます。ただ基本的に大統領というのは、選挙もありますけども、最高指導者がダメだと言ったらダメなんですよ。


中島:

これが不思議な政治システムなんですよ。次回に続きます。


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