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【歴史部日記】2025年9月1週まとめ

更新日:9月4日

【目次】

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歴史部(2025/09/01)のサマリー

主なポイント

第一次国共合作の成立(1924年)について議論

孫文と蒋介石の関係性と役割の違い

当時の中華民国の状況と軍閥の乱立

黄埔軍官学校の設立と蒋介石の台頭

ソ連との関係と国民革命の目的



議論されたトピック


第一次国共合作の成立

教科書91-94ページの内容を読み、第一次国共合作の成立について議論した。

詳細

うえまつ先生: 中国国民党と中国共産党が手を結んだ国共合作について説明

W: 1924年に第一次国共合作が成立したことを教科書から読み上げ

O: 共産党が国民党内に入り込む意図について説明

I: 蒋介石の登場について読み上げ

T: 孫文の遺言について読み上げ

A: 孫文の日本への遺言と国民政府の自立宣言について読み上げ

結論

1924年に中国国民党と中国共産党の間で第一次国共合作が成立

国民党の三大政策(連ソ・容共・扶助工農)が採択された

孫文の死後、国民党内部で反共派と容共派の対立が表面化

1925年7月に広州国民政府の自立が宣言された


当時の中華民国の状況

中華民国の政治状況と各地に乱立していた軍閥について議論した。

詳細

I: 1925年の国民政府の自立宣言について質問、二つの政府が存在していたのか

うえまつ先生: 当時の中華民国は完全にバラバラで、各地に軍閥が乱立していた状況を説明

うえまつ先生: 北京政府と広州国民政府の関係について説明、北京政府が国際的に正当政府として認められていた

結論

当時の中華民国は戦国時代のように各地に軍閥が乱立していた

北京政府は遠征外の後継者たちが支配し、国際的に正当政府として認められていた

広州国民政府は蒋介石を中心に樹立され、北伐を通じて中国統一を目指した


中国の民族問題と領土

中国の領土と民族問題について議論した。

詳細

W: 新疆ウイグル自治区やチベット、モンゴルなど中国西部の状況について質問

うえまつ先生: 清朝時代の領土と中華民国成立後の状況について説明

うえまつ先生: モンゴルが外モンゴル(モンゴル人民共和国)と内モンゴル(中華民国領)に分かれた経緯を説明

結論

清朝時代は新疆、チベット、モンゴルなども領土に含まれていた

中華民国成立後、これらの地域は自立・独立の動きを見せた

外モンゴルはソ連の影響下でモンゴル人民共和国として独立

後に中華人民共和国がチベットや新疆を軍事力で支配下に置いた


孫文の外交政策

孫文の帝国主義国家との関係とソ連への接近について議論した。

詳細

I: 孫文がソビエトロシアと組んだ理由について質問

うえまつ先生: 孫文と日本の関係、ソ連との地理的近接性について説明

のぶた先生: 孫文にとって日清戦争は自分が倒したい清朝にダメージを与えた出来事だったと指摘

結論

孫文は当初から反帝国主義だったわけではなく、日本との関係も良好だった

パリ講和会議での失望や五四運動の影響で帝国主義国家との距離が生まれた

ソ連は地理的に隣国であり、敵に回すことは難しかった

孫文は日本の近代化を評価していた面もある


黄埔軍官学校の設立

黄埔軍官学校の設立目的と財源について議論した。

詳細

W:黄埔軍官学校の目的と財源について質問

うえまつ先生: 国民革命のための将校育成が目的で、ソ連の援助が大きかったと説明

のぶた先生: 軍事顧問や軍隊の編成について質問

I: 編成は日本式だったと調査結果を共有

結論

1924年に設立された黄埔軍官学校は国民革命実現のための将校育成が目的

財源としてソ連の援助が大きかった

多数のソ連軍事顧問が教官を務めていた

日本の軍隊制度を参考にしていた面もあった

孫文の死後、蒋介石の影響力が強まり、ソ連式から離れていった


次回の予定

世界史

94ページからの「北伐の進展と日本の介入」について学習

日本史

92ページ「鎌倉幕府の支配構造」について学習(月曜日)

歴史部(2025/09/02)のサマリー

主なポイント

アメリカ独立戦争に関する議論(1775-1783年)

武装中立同盟、義勇軍、イギリスの独立支持派、パリ条約について学習

アメリカ独立戦争に参加した3人の人物(ラファイエット、サン・シモン、コシューシコ)の経歴と貢献

空想的社会主義の概念と歴史的背景



議論されたトピック


アメリカ独立戦争の国際的側面

世界史実況中継第3巻の41-44ページを読み、アメリカ独立戦争の国際的側面について議論した。

詳細

うえまつ先生: 前回はアメリカ独立戦争の勃発と、フランスやスペインなどのヨーロッパ諸国の参戦によるイギリスの孤立化について説明した

N: 武装中立同盟について読み上げた

T: 義勇軍について読み上げた

M: 「なぜ彼らは戦ったのか」とコシューシコの説明部分を読み上げた

F: イギリスの独立支持派について読み上げた

K: パリ条約とアメリカ独立の承認について読み上げた

結論

アメリカ独立戦争は単なる植民地とイギリス本国の戦いではなく、多くのヨーロッパ諸国が介入した国際戦争に発展した

1783年のパリ条約でアメリカの独立が正式に承認された


アメリカ独立戦争中の武器調達と経済

アメリカ独立軍がどのように武器を調達し、経済を維持したかについて議論された。

詳細

のぶた先生: アメリカの人口は250万人程度で、イギリスは1000万〜2000万人だった。アメリカはどのように武器を調達し、経済を維持したのか疑問を呈した

うえまつ先生: アメリカ軍は武器や弾薬、衣服や薬の慢性的不足に悩まされていた。フランスなどヨーロッパからの支援が重要だった

のぶた先生: 当時のアメリカは基本的に農業国だった点を指摘

結論

フランスを中心とする外国からの支援が重要だった

オランダも参戦してアメリカを支援した可能性がある

後の米英戦争(1812年)の際の貿易断絶がアメリカの工業化のきっかけとなった


アメリカ独立戦争に参加した3人の人物

ラファイエット、サン・シモン、コシューシコの3人の経歴と貢献について詳しく議論された。

詳細

T: 3人のその後の人生について質問

うえまつ先生: コシューシコはポーランドに帰国後、ポーランド分割に抵抗して戦ったが敗れ、最終的にスイスで亡くなった

うえまつ先生: ラファイエットはフランスに帰国後、フランス革命に参加し、人権宣言の起草者となり、その後もフランス政界で活躍した

のぶた先生: サン・シモンについて世界人名大辞典の情報を共有

うえまつ先生: サン・シモンは思想家として活躍し、後の社会主義思想に影響を与えた

結論

3人とも独立戦争後も歴史的に重要な役割を果たした

ラファイエットとコシューシコは軍人・政治家として、サン・シモンは思想家として活躍した


空想的社会主義

Kの質問をきっかけに空想的社会主義の概念について議論された。

詳細

K: 「空想的社会主義」の意味について質問

うえまつ先生: マルクス以前の社会主義思想を指す言葉で、マルクス主義者が自分たちの「科学的社会主義」と区別するために使った言葉

のぶた先生: 「空想的」という言葉には否定的なニュアンスがあり、サン・シモンの経歴から見て彼の人物像について独自の解釈を示した

結論

空想的社会主義はマルクス以前の社会主義思想を指す

サン・シモンはその代表的人物の一人

詳細は実況中継の128-132ページで学習予定


アクションアイテム

全員

次回は45ページの「独立後のアメリカ」から学習を進める

興味がある人は128-132ページの社会主義思想の変遷について予習する

日本史学習者

次週は日清戦争(下巻70ページ)を学習する

全員

木曜日の授業に参加する


歴史部(2025/09/03)のサマリー

主なポイント

今回の授業は世界史の週で、三国時代から南北朝時代(魏晋南北朝時代)について学習した

三国時代(魏・蜀・呉)の成立と変遷、および晋による中国統一について議論された

中国の王朝交代における「禅譲」と「放伐」の概念について詳しく説明された

三国時代の国際関係と周辺諸国との外交関係について議論された



議題


魏晋南北朝時代の概要

のぶた先生とうえまつ先生が授業を開始し、魏晋南北朝時代の基本的な特徴を説明した。

詳細

うえまつ先生: 魏晋南北朝時代は後漢が滅亡した220年から589年までの約370年間で、一統一王朝が成立しなかった分裂の時代であり、騎馬遊牧民の活動が活発だった時代である

O: テキストを読み上げ、この時代の特徴として「五胡融合」という言葉で表現される漢民族と遊牧民の文化融合があったことを説明した

結論

魏晋南北朝時代は中国史において特殊な分裂期であり、民族融合が進んだ時代である


三国時代の政治史

三国時代(魏・蜀・呉)の成立と変遷について議論された。

詳細

T: テキストを読み上げ、三国の政治史について説明した

M: 魏の成立について説明した

うえまつ先生: 170ページの図を参照しながら、後漢滅亡後の中国王朝の分裂と変遷を説明した

結論

魏が220年に後漢を滅ぼし、その後263年に魏が蜀を滅ぼし、265年に晋が魏に取って代わり、280年に晋が呉を滅ぼして中国が60年ぶりに統一された


三国時代の国際関係

Oさんの質問をきっかけに、三国時代の周辺諸国との関係について議論された。

詳細

O: 内戦時の中国に対して、周辺諸国はどのように朝貢していたのかと質問した

うえまつ先生: 北方の匈奴や鮮卑などの遊牧民は基本的に魏に朝貢し、西側のチベット系民族は魏と蜀の間で二股外交を行い、少数民族の三越は呉に接近していたと説明した

のぶた先生: 日本(邪馬台国)の視点からも補足し、周辺国は強そうな国や正当性がありそうな国、自国の都合のいい国を選んで外交関係を結んでいたと説明した

結論

周辺諸国は時期や力関係によって朝貢する相手国を変えており、複雑な国際関係が形成されていた


中国の王朝交代における「禅譲」と「放伐」

Tさんの質問をきっかけに、中国の王朝交代の方法について詳しく議論された。

詳細

T: 「禅譲」と「放伐」のどちらが主流だったのか質問した

うえまつ先生: 基本的には武力で権力の座を奪い取る「放伐」が主流だが、魏晋南北朝時代は特殊で「禅譲」が流行した時代だったと説明した

うえまつ先生: 中国史における「晋」の読み方の違い(「はたしん」「すすむしん」「きよしん」)についても説明し、学術的な区別方法を紹介した

結論

中国史全体では「放伐」が主流だが、魏晋南北朝時代は「禅譲」が多く見られた特殊な時代だった

魏から晋への禅譲は司馬炎が主導し、265年に実現した


三国志の文化的影響

のぶた先生とうえまつ先生が三国志の文化的影響や個人的な思い入れについて語った。

詳細

のぶた先生: 横山光輝の漫画『三国志』のイメージと実際の歴史の違いについて言及した

うえまつ先生: 小学生の頃にゲームから入り、漫画、小説と段階を踏んで三国志に興味を持ったことを共有した

結論

三国志は漫画やゲームなど様々なメディアで取り上げられており、歴史的知識としても価値がある


アクションアイテム

全員

次回の世界史の授業(再来週)では、第一巻180ページからの「魏の屯田制」について学習する

来週は日本史の授業で、下巻の江戸時代(村と町)について学習する

漢字の読み方に注意し、読書量を増やす努力をする

希望者

木曜授業にも参加する(出席者が少ないため参加を推奨)


歴史部(2025/09/04)のサマリー



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