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【歴史部日記】2025年9月2週まとめ

更新日:9月18日

【目次】

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歴史部(2025/09/08)のサマリー

主なポイント

鎌倉幕府の支配構造と御恩と奉公の関係について詳細な説明があった

執権の役割と成立過程について議論された

裁判制度(特に三問三答制度)について説明があった

京都大番役と鎌倉番役の重要性と違いについて説明された

荘園の規模や御家人の数について具体的な数字が示された



議題


鎌倉幕府の支配構造

教科書92ページの内容を中心に、鎌倉幕府の支配構造について説明された。

詳細

のぶた先生: 鎌倉幕府と近代国家や江戸時代との違いをイメージしてほしいと説明

M: 御家人たちの奉公の義務について教科書を読み上げた

のぶた先生: 御恩と奉公の関係は封建制度の基本であると説明

結論

鎌倉幕府の根本は将軍と御家人との主従関係であり、土地の権利付与と奉公の義務が封建的主従関係の基礎となっている


執権の役割と成立過程

執権という役職の成立過程と役割について議論された。

詳細

I: 執権と引付衆の違いについて質問

のぶた先生: 執権は役職ではなく慣習的な呼び方であり、政所の別当のうち北条氏の有力者を指すようになったと説明

うえまつ先生: イギリスの首相(プライムミニスター)の成立過程と類似していると補足

結論

執権は最初から正式な役職ではなく、政所の別当の中から北条氏の有力者が呼ばれるようになった呼称

時政は政所の別当のみ、吉時が侍所を兼任するようになり、両方兼ねる形が定着した


引付衆の役割

引付衆の成立理由と表情衆との関係について説明された。

詳細

I: 引付衆がなぜできたのか質問

のぶた先生: 表情衆の仕事が多すぎて人手が足りなくなったため、表情衆の部下として引付衆が設置されたと説明

結論

引付衆と表情衆は基本的に同じ仕事をしており、人手不足を解消するために引付衆が設置された

裁判業務の増加に対応するためのシステム化の一環だった


鎌倉幕府の裁判制度

鎌倉幕府の裁判制度について詳しく説明された。

詳細

K: 裁判の進め方について質問

のぶた先生: 当事者が証拠を提出し、判決が下される流れを説明

I: 三問三答の制度について言及し、資料のリンクを共有

結論

鎌倉幕府の裁判は現代と同様に証拠に基づいて行われ、再審制度もあった

裁判は御家人にとって重要な恩恵であり、暴力ではなく法的に土地問題を解決する手段だった


京都大番役と鎌倉番役の重要性

京都大番役と鎌倉番役の違いと重要性について説明された。

詳細

O: 京都大番役と鎌倉番役の違いについて質問

のぶた先生: 両方とも自腹で行う奉公であるが、京都大番役は鎌倉幕府の正当性に関わる重要な役割だと説明

I: 承久の乱との関連について質問

結論

京都大番役は天皇を守る役割で、鎌倉幕府の存在意義に関わる重要な奉公

鎌倉番役は将軍と御家人の関係における重要な奉公

どちらも給料をもらう役職ではなく、御恩に対する奉公として自腹で行われた


荘園の規模と御家人の数

御家人の数と所領の規模について具体的な数字が示された。

詳細

M: 御恩でもらえる土地の平均的な広さについて質問

のぶた先生: 何十町から何百町の規模で、現代の市や町に相当する広さと説明

I: 平家没官領と承久の乱で没収した土地が合計約3500か所だったと補足

結論

御家人は全国で数百人程度しかおらず、一族のトップのみが御家人だった

荘園の規模は現代の市や町に相当し、村を10個程度合わせた広さだった


朝廷と幕府の二元支配構造

社寺の管理体制を例に、朝廷と幕府の二元支配構造について説明された。

詳細

K: 朝廷と幕府の二元支配について質問

のぶた先生: 社寺には朝廷が管理する「国公立」と幕府や私人が管理する「私立」があると説明

結論

朝廷は国公立の社寺を管理し、幕府や私人は私立の社寺を管理していた

江戸時代と異なり、鎌倉時代は全ての社寺を国家が管理していたわけではない


アクションアイテム

のぶた先生

鶴岡八幡宮の別当について調査し、稲野辺さんに報告する

次回の授業で94ページの「幕府と東国」から「執権政治」までを扱う

全員

Iが共有した三問三答の資料を確認する

次回の世界史の授業(中国近代史の続き、94ページ「清末の進展と日本の介入」)の準備をする


歴史部(2025/09/09)のサマリー

主なポイント

日清戦争と三国干渉について教科書の70-71ページを読み、詳細に議論した

東学(とうがく)の乱と朝鮮農民戦争の背景について説明があった

冊封関係(宗主国と従属国の関係)の概念について詳しく解説された

日清戦争における賠償金の額と経済への影響について議論された

次回の授業は政党勢力の台頭(72ページ)から始まる予定



議論されたトピック


日清戦争と三国干渉

教科書の70-71ページを読み、日清戦争の経緯と三国干渉について議論した。

詳細

のぶた先生: 日清戦争の流れと三国干渉の説明を行った

M: 朝鮮を改革するべきだと日本が考えるようになった経緯を読み上げた

T: 朝鮮応急占領について読み上げた

M: 日本海軍の動きについて読み上げた

K: 下関条約について読み上げた

N: 日清戦争の戦費と賠償金について読み上げた

Yo: ロシアへの敵意と軍備拡張について読み上げた

結論

日清戦争は日本が勝利し、下関条約によって賠償金と領土を獲得した

三国干渉によって遼東半島を返還することになった

賠償金は約200,000,000テール(約300,000,000円)で、当時の日本の歳入の約2倍強だった


東学(とうがく)と朝鮮農民戦争

東学の宗教的背景と朝鮮農民戦争の関係について議論された。

詳細

Y: 東学と朝鮮農民戦争の違いについて質問した

のぶた先生: 東学は民間信仰を基礎に儒教、仏教、仙教を取り入れた独自の宗教で、西学(キリスト教)に対抗するものだと説明した

のぶた先生: 東学の具体的な信仰方法として、呪文を唱え、「霊符」を灰にして飲み、剣舞をすることなどがあると説明した

結論

東学は反カトリック的な民族宗教であり、朝鮮の伝統的な信仰を守るための運動だった

現在は「東学の乱」ではなく「朝鮮農民戦争」という呼び方が主流になっている


朝鮮王宮占領

日本による朝鮮王宮占領の経緯について議論された。

詳細

Y: 朝鮮王宮を占領したという記述について、どのように占領できたのか質問した

のぶた先生: 日本が朝鮮王宮に侵入し、国王の身柄を確保したことを説明した

のぶた先生: 日本は朝鮮政府から「清国軍を退去させる」よう依頼されたという大義名分を作るために王宮を占領したと説明した

結論

日本は朝鮮国王を人質にして、自分たちに都合のいい言葉を引き出すために王宮を占領した

この研究は奈良女子大学の中塚明氏らによって「日清戦史草案」などの一次資料から明らかにされている


開港場の開設

下関条約による開港場の開設について議論された。

詳細

M: 71ページにある「新たに四港を開くこと」の影響について質問した

のぶた先生: 開港場は長江流域にあり、イギリスの勢力圏だったことを説明した

のぶた先生: 日本は日清戦争直前にイギリスと条約改正を行い、暗にイギリスの同意を得ていたと説明した

結論

開港場の開設はイギリスとの関係を良くするための政治的な意味合いが強かった

実際の貿易量の増加よりも、イギリスの勢力圏に風穴を開けるという意味があった


日清戦争の戦力差

日本と清国の戦力差について議論された。

詳細

T: 日本と清国の戦力差について質問した

のぶた先生: 清国の方が人員数も戦艦の数も上だったが、日本が勝利したことを説明した

のぶた先生: 日本の戦略が約23-24万人に対し、清国側は約98万人と約4倍の差があったと説明した

のぶた先生: 軍艦も日本が28隻に対し、清国は82隻と約3倍の差があったと説明した

結論

清国は日本より圧倒的に戦力が上だったにもかかわらず、日本が勝利した

日本の勝利は世界に衝撃を与えた


賠償金と経済効果

日清戦争の賠償金が日本経済に与えた影響について議論された。

詳細

M: 賠償金への期待から日本経済が好況になったという記述について質問した

のぶた先生: 経済は期待によって動くもので、賠償金が入ることで投資が活発になり経済が回ると説明した

うえまつ先生: 「景気は気から」という言葉があるように、期待感が経済に大きな影響を与えると補足した

結論

賠償金は当時の日本の国家予算の約3倍に相当する額だった

賠償金への期待から投資が活発になり、経済が好況になった


冊封関係(宗主国と従属国の関係)

アジアにおける宗主国と従属国の関係について議論された。

詳細

K: 「冊封関係」とは何かと質問した

のぶた先生: 冊封関係とは宗主国と従属国の関係で、朝鮮の王様は中国の皇帝に王様にしてもらう代わりに貢物を持っていくと説明した

のぶた先生: 従属国のメ


歴史部(2025/09/10)のサマリー

主なポイント

歴史部の授業で江戸時代の社会変容と対外危機について学習した

階層分化、打ち壊し、一揆などの社会問題について議論

寛政の改革の内容と背景について詳細に検討

学問吟味の試験内容や江戸幕府の財政難の原因について質疑応答



議題


江戸時代の社会変容

教科書の下巻から江戸時代の社会変容について読み合わせを行った

詳細

のぶた先生: 下巻の1ページから「村と町の変動」について読み進めることを指示

複数の生徒: 教科書の内容を順番に音読

のぶた先生: 階層分化について説明し、社会格差が生じていた時代背景を解説

結論

江戸時代には農村の荒廃や都市への人口流入が起こり、社会構造が変化していた


義民と名代官の検証

教科書に記載されていた義民と名代官について議論

詳細

L: 相五郎一揆の実在性と伝承について音読

M: 寺西大明神として祀られた名代官について音読

のぶた先生: 義民と名代官が同時期に検証される動きがあったことを説明

結論

百姓からすると、村の百姓の生活を守ってくれたという点で義民と名代官は同じような存在だった


裏店借りについての質問

Tさんから裏店借りの意味について質問があった

詳細

T: 「裏店借り」という言葉の意味を質問

のぶた先生: 江戸時代の住居形態について説明し、家持ち、地借り、店借りの違いを解説

のぶた先生: 裏長屋に住む最下層に近い人々が裏店借りであることを説明

結論

裏店借りとは道に面していない裏長屋に住む賃貸居住者のこと


助郷役についての質問

Oさんから助郷役について質問があった

詳細

O: 「助郷役」の意味を質問

のぶた先生: 大名行列や飛脚のために馬や人手を提供する役目であることを説明

のぶた先生: 道沿いの村が指定され、年間の馬や人足の提供が義務付けられていたことを解説

結論

助郷役は交通・通信のための人手と馬を提供する一種の税負担


国訴についての質問

Lさんから国訴の具体的内容について質問があった

詳細

L: 国訴の具体的な内容について質問

のぶた先生: 関西地方で起きた有名な国訴について説明

のぶた先生: 問屋仲間株の流通独占をやめさせるよう訴えた事例を紹介

結論

代表的な国訴は木綿を自由に売ることを求める訴えで、農民たちが勝訴した


寛政の改革

教科書の3〜5ページにかけて寛政の改革について読み合わせを行った

詳細

複数の生徒: 寛政の改革の内容について順番に音読

のぶた先生: 内外の危機に対応するための改革であったことを説明

S: 改革派の譜代大名について質問

のぶた先生: 松平信明や本田忠勝などが登用されたと回答

結論

寛政の改革は内外の危機に対応するため、農村再建や幕藩体制の立て直しを図った


学問吟味についての質問

Mから学問吟味の試験レベルについて質問があった

詳細

M: 学問吟味のレベルについて質問

のぶた先生: 合格率が約10%程度で、論語や孟子などの儒教の経典から出題されたことを説明

のぶた先生: 試験内容には経義、歴史、作文などが含まれていたことを紹介

結論

学問吟味は高度な儒教知識を問う難関試験だったが、実務との関連性については疑問が残る


石川島についての質問

Tから石川島の場所について質問があった

詳細

T: 人足寄場が設けられた石川島の場所について質問

のぶた先生: 江戸湾にあった島で、現在の中央区あたりに位置していたことを説明

結論

石川島は隅田川河口付近にあり、現在は埋め立てられて中央区の一部となっている


江戸幕府の財政難についての質問

Oから江戸幕府の慢性的な財政難の原因について質問があった

詳細

O: なぜ江戸幕府が慢性的に財政破綻を起こしていたのか質問

のぶた先生: 幕府の財源が全国ではなく幕領400万石の税収に限られていたことを説明

のぶた先生: 石高制による米での税収が米価下落で目減りしたこと、貨幣経済の発展で出費が増えたことを解説

結論

幕府の財政難は限られた財源、米価の下落、貨幣経済の発展による出費増加が主な原因


アクションアイテム

のぶた先生

学問吟味について詳しく調べてフォーラムで共有する

大久保長安について勉強しておく

記事題と対訳詩論の内容について調査する

全員

次回は6ページの「寛政の改革」の続きから読む

世界神話実況中継の第一巻180ページ「魏の屯田制度」を読んでくる

次回の授業で最低一つは質問を準備してくる


歴史部(2025/09/11)のサマリー

主なポイント

弥生時代の始まりと稲作の伝来について議論

縄文時代から弥生時代への移行期における文化変化の検討

遠賀川式土器と弥生文化の特徴について説明

日本人のルーツと遺伝子構成についての議論

弥生時代の年代が従来の説より約500年遡る可能性について言及



議論されたトピック


弥生時代と稲作の伝来

教科書7ページの「農耕社会の形成」から読み進め、弥生時代の始まりと稲作の伝来について議論した。

詳細

I: 教科書の最初の段落を読み、水田跡や灌漑用水路の発見について説明

OneStep: 稲作が伝来した時期について、従来の説より約500年遡る可能性を指摘

うえまつ先生: 縄文時代晩期の水田跡について質問し、時代区分の定義について確認

結論

紀元前5世紀頃には西日本に水稲稲作を基礎とする文化が成立し、東日本から東北地方にまで広まった

弥生文化は土器の変遷をもとに前期、中期、後期に区分される

最近の研究では弥生時代の始まりが従来の説より約500年遡る可能性がある


渡来人と縄文人の交流

朝鮮半島から渡来した人々と在来の縄文人との関係について議論した。

詳細

A: 渡来人と縄文人の交流と混血について教科書の段落を読み上げた

K 言語の異なる集団間のコミュニケーション方法について質問

OneStep: 時間をかけた交流や通訳の存在、身振り手振りなどでコミュニケーションが成立したと説明

結論

弥生文化は渡来人が持ち込んだ新技術と縄文文化の伝統が融合したもの

渡来人と縄文人の同化や混血が進み、現在の日本人の原型が形成された

言語の壁があっても、時間をかけることでコミュニケーションが成立した


遠賀川式土器と弥生文化

遠賀川式土器とそれに伴う文化要素について詳しく議論した。

詳細

M: 教科書7ページにある「遠賀川式文化」について質問

OneStep: 九州歴史資料館の資料を共有し、遠賀川式土器の特徴と重要性を説明

S: 渡来人の具体的な人数について質問

結論

遠賀川式土器は弥生文化の初期に広く西日本一帯に広がった

遠賀川式土器に伴う文化要素には石包丁、柱状片刃石斧、紡錘車、環濠集落などがある

これらの文化要素は朝鮮半島から稲作とともに伝わったもの


日本人のルーツと遺伝子構成

現代日本人の遺伝子構成と起源について議論した。

詳細

Y: 現代日本人の遺伝子構成について質問

OneStep: 現代日本人のゲノムの80〜90%が渡来系(弥生人)由来で、10〜20%が縄文人由来と説明

A: 新モンゴロイド系の人々の顔の特徴(起伏が少ない)について質問

OneStep: 気候と体温調節の関係から、寒冷地の人々は表面積を小さくするため顔の起伏が少なくなると説明

結論

現代日本人は遺伝子的には渡来人(弥生人)の影響が大きい

新モンゴロイド(弥生人)は中国東北部やモンゴル高原など寒冷地域の出身で、顔の特徴はその環境適応の結果


続縄文文化と薩摩文化

弥生文化が広がらなかった地域の文化について議論した。

詳細

OneStep: 北海道の続縄文文化と南の薩摩文化について説明

うえまつ先生: 続縄文文化の農耕について補足情報を提供

OneStep: 続縄文文化では稲作は行われず、狩猟採集が中心だったと説明

結論

北海道の続縄文文化と南の薩摩文化では稲作が行われなかった

続縄文文化では縄文時代の生活様式が基本的に続いていた

薩摩文化では古墳時代の影響を受け、鉄器が普及し、一部農耕も行われていた


アクションアイテム

OneStep

続縄文文化の農耕状況について詳しく調査する

板付遺跡における金属器の有無について確認する

全員

次回は9ページ以降「農耕社会と青銅器の祭祀」から学習を進める

来週は世界史の「普遍論争」(第二巻140ページ)について学習する



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